OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

消したい過去シリーズ(^^;

2018-09-12 14:01:50 | Weblog
母校から、毎年恒例の教育基金の寄付を募る手紙が届いた。それをキッカケに、学校に通っていた頃のことが次々と蘇ってきた。楽しい思い出は山ほどある。なにせ中学一年から大学卒業までの10年を過ごした学校だ。ここで楽しい思い出がなければ地獄の思春期でしょ。残念ながら、そういう思いをした人もいると聞くけれど・・・わたしの場合は、ありがたいことに、友人たち、先生たち、学校のおかげで、楽しい経験を山ほどさせてもらった。

とはいっても・・・当たり前だけれど、楽しいばかりで日々は過ごせない。多感な時期でもあるし、それなりに若い苦悩の中にもあった。でも、それは、今となっては愛おしい思い出になっている。わたしってば、かなり感受性豊かだったんじゃない?なんて、ちょっと誇らしくさえある(爆)。

ただ・・・やっぱり・・・人には恥ずかしくて言えない・・・出来ればなかったことにしたい・・・自分でも忘れてしまいたい・・・情けない失敗も数々ある・・・ああ~。何かのきっかけで・・・そう今回の様なちょっとした切っ掛けで・・・否応なく、それらを思い出すたび、自分で自分に失望して、ゾッとする。

だから、少しずつ、それらを言語化して、自分の中でけじめをつけていきたいな・・・なんて、ふと思いついて、今、これを書いている。後で後悔する気がしないでもないのだけどね・・・

というわけで、恥ずかしさの度合い、情けなさの度合が、かなり低いものからスタートしてみようかな(^^;。

いきなりだが・・・わたしにはセンスがないっ!!ファッションなどはもちろん、全般的な美的センスに乏しい。それは、すでに小学生の頃から感じていた。悲しいかな、見る目というか、良し悪しを判断する感性は、それほど酷くないみたいで、人を見て「彼女はセンスが好いな」みたいなことは、けっこう分かる方だと思う。なのに、自分に関しては、その見る目が全く活かされない(涙)。そういえば合唱部に、耳が抜群にいい音痴の子がいて、周りが「どうしたものか」と困っていたのを思い出すが・・・わたしの美的センスは、そんな感じなのかもしれない。

で・・・わたしのような人間は、センスのある人が大事にしていることも理解できない傾向にあるようなのだ・・・

ある日、教室で机を並べている同級生が新しい鞄をもって登校してきた。色はドンピシャの私好みで、何より良かったのはそのサイズ。教科書やノートが綺麗に整理整頓して入れられる形をしていて・・・わたしは、それがものすごくステキに思えた。それで、母に頼んで同じものを買ってきてもらって、意気揚々と持って登校した。隣の席の子は、それを見て、何も言わなかった。しかし、しばらくたって、その子が、その子の親しい友達に「直ぐに同じものを買って来たのよっ!!」と、わたしのことを話しているのを見かけた。ものすごく嫌そうで・・・悲しそうだった。それを見て、わたしは始めて気づいた・・・わたしは、彼女に対して、とんでもなく申し訳ないことをしたのだと・・・

わたしの無神経さが、せっかくの彼女の喜びや楽しみを台無しにしたことはもちろん・・・そうなることに全く気付かなかった自分の感覚が情けなかった。たぶん、センスが多少でもある人なら、彼女がどれだけ不愉快な思いをしたか、よく分かるのだと思う。でも、わたしは、まったく思いもつかなかったのだ・・・それがなんとも情けない・・・ほんと、恥ずかしい・・・

今でも、テレビなどでファッション自慢のタレントさんが「お気に入りのTシャツを着ていったら、同じモノを着ている人がいて、すぐに着替えたよ」なんていっているのを聞くと、その時のことを思い出して、一人反省してしまう。

同じく、テレビ番組で「嫌いな女」の再現なんかをやっていて、人のお気に入りを何でもすぐに真似する女なんてのが出てくると、穴があったら入りたくなる。

ダメなことだってことが分かってなかったの、ごめんね・・・その時、ちゃんと謝れなかったけど・・・心から、そう思っています。

と、若き日の数々の失敗の中から、まずは、まだ人に話せると思ったものを、披露させていただきました。このシリーズ、本気で続けるのか? 自分でもよく分かりませんが・・・必要なことのようにも・・・墓穴を掘っているだけのようにも思えます・・・さて、どうしたもんだか(^^;。

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