この七年、毎朝かかさず続けていることがあります。そのために、旅行なども極力避けて・・・どうしても出かけなければならなかった時には一泊にさせてもらい、出発の日には出掛ける前の早朝に、次の日はさすがに朝は無理なので帰ってきてから夜に・・・だから、正確に言うと毎朝必ずではなく、毎日必ずってことになりますが・・・まあ、そう、続けていることがあります。
いえいえ全然大層なことではないんですよ。一つは、藍那と母と自分のために珈琲を淹れること(日曜日は夫にも、裕太の帰省中には裕太にも淹れますよ、もちろん(^^))。もう一つは、藍那に向けての思いを、藍那にプレゼントした万年筆で、走り書き程度にちょこっと紙に書くことです。この走り書き、最初の頃はなんやかんやと愚にもつかないことを書いてましたが・・・愚にもつかないのはそのままに、次第に内容が安定してきたというか固定してきたというか・・・最近は、ずっと同じ文言を毎日書いています。もはやメッセージというより写経的な感じですが・・・不思議と落ち着くというか・・・意味はないと分かっていても、何かした気になれているんでしょうね(^^;。
で、そのメッセージを書く紙なんですが・・・そこはそんなに気をつかっていなくて・・・ほとんど在りもので済ませているんですが・・・ずっと真っ白な紙だったのが、ここしばらく罫のある紙を使っています。とね・・・あたりまえですが、きっちりと真っ直ぐに書けるんですよ・・・罫がありますから(^^;。で・・・当たり前のことなんですが・・・無性にスゴイな罫があるってって感心している自分がいます。
なんていうのかな・・・我が家は罫のない紙を評価するような家庭だったんですよ、ずっと。要するに、個性とか自由とか、そういうものに重きを置くというか・・・そういうものを評価する傾向が強いんですよね・・・
で、それが、ずっと藍那を苦しめていた。家族はみんな、真っ白な罫のないノートのような心をもっていて、伸び伸びと自信たっぷりに生きているのに、自分はなんて平凡でつまらないんだって・・・それをコンプレックスに感じてた。でも、大學を卒業し・・・思いっきり悩んだ暗黒時代を経て・・・案外、自分の心にも真っ白なノートがあるって気づいて・・・そこに好きなものを描いていこうという気持ちになっていたんですよね・・・
その頃、よく話していたのは・・・藍那には真っ白なノートの心と、罫線のあるノートの心と両方がある・・・それはものすごく面白いこと、何かしようという時の武器になる・・・真っ白オンリーの天才芸術家の様なタイプの人たちのすることはできないかもしれないけど、真っ白なページも罫線のページも両方あるからこそ分かること出来ることがいっぱいあるはずで・・・それはきっと自分だけでなく他の人とも繋がれる、他の人と他の人を繋ぐことができる、そんな資質なんだと思うって・・・
もちろん、その頃にノートの例えはしていませんよ。その頃は、罫線のあるノートが使いやすいなぁ~なんて風に感じて立ち止まったことないですからね(^^;。でも、まあ、意味はそういうこと、よく話してました・・・はい。
ん・・・何の話だっけかな・・・そうそう・・・罫線のある紙も、真っ白な紙も、それぞれ良さがあるねってことです。その時の気分、使う用途・・・上手く使い分けられたら、面白さが広がりますね(^^)。
いえいえ全然大層なことではないんですよ。一つは、藍那と母と自分のために珈琲を淹れること(日曜日は夫にも、裕太の帰省中には裕太にも淹れますよ、もちろん(^^))。もう一つは、藍那に向けての思いを、藍那にプレゼントした万年筆で、走り書き程度にちょこっと紙に書くことです。この走り書き、最初の頃はなんやかんやと愚にもつかないことを書いてましたが・・・愚にもつかないのはそのままに、次第に内容が安定してきたというか固定してきたというか・・・最近は、ずっと同じ文言を毎日書いています。もはやメッセージというより写経的な感じですが・・・不思議と落ち着くというか・・・意味はないと分かっていても、何かした気になれているんでしょうね(^^;。
で、そのメッセージを書く紙なんですが・・・そこはそんなに気をつかっていなくて・・・ほとんど在りもので済ませているんですが・・・ずっと真っ白な紙だったのが、ここしばらく罫のある紙を使っています。とね・・・あたりまえですが、きっちりと真っ直ぐに書けるんですよ・・・罫がありますから(^^;。で・・・当たり前のことなんですが・・・無性にスゴイな罫があるってって感心している自分がいます。
なんていうのかな・・・我が家は罫のない紙を評価するような家庭だったんですよ、ずっと。要するに、個性とか自由とか、そういうものに重きを置くというか・・・そういうものを評価する傾向が強いんですよね・・・
で、それが、ずっと藍那を苦しめていた。家族はみんな、真っ白な罫のないノートのような心をもっていて、伸び伸びと自信たっぷりに生きているのに、自分はなんて平凡でつまらないんだって・・・それをコンプレックスに感じてた。でも、大學を卒業し・・・思いっきり悩んだ暗黒時代を経て・・・案外、自分の心にも真っ白なノートがあるって気づいて・・・そこに好きなものを描いていこうという気持ちになっていたんですよね・・・
その頃、よく話していたのは・・・藍那には真っ白なノートの心と、罫線のあるノートの心と両方がある・・・それはものすごく面白いこと、何かしようという時の武器になる・・・真っ白オンリーの天才芸術家の様なタイプの人たちのすることはできないかもしれないけど、真っ白なページも罫線のページも両方あるからこそ分かること出来ることがいっぱいあるはずで・・・それはきっと自分だけでなく他の人とも繋がれる、他の人と他の人を繋ぐことができる、そんな資質なんだと思うって・・・
もちろん、その頃にノートの例えはしていませんよ。その頃は、罫線のあるノートが使いやすいなぁ~なんて風に感じて立ち止まったことないですからね(^^;。でも、まあ、意味はそういうこと、よく話してました・・・はい。
ん・・・何の話だっけかな・・・そうそう・・・罫線のある紙も、真っ白な紙も、それぞれ良さがあるねってことです。その時の気分、使う用途・・・上手く使い分けられたら、面白さが広がりますね(^^)。
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