この道・・・通い始めて、まだ半年しかたっていない・・・春からの半年の間に、十数回、いや二十数回か、とにかくそれくらいしか通っていない。けれど、すでに我が道のような親しみを感じている・・・道の先に、裕太が居る、だからだろうか。
それにくらべて、半年前までは、一日に何度も往復していたJRの駅への道、久しぶりに行く機会があったのだけど・・・妙に余所余所しさを感じてしまった。半年で、この道は、もう私の道ではなくなっていた。
そういえば、通いなれた道筋にある店々・・・外側は飽きるほど見慣れてはいるけれど、立ち寄ったことがなければ、書割(舞台のセット)と同じ、風景の一つでしかないのだけど、何かの切っ掛けで一度立ち寄ると、それ以降は店の外見まで違って見える。書割の二次元が、立体的三次元になったというか・・・人肌の温かみをまとうようになったというか・・・とにかく、リアルになる。
そういえば・・・毎朝の日課として巡回している友だちのブログの中には、本当にプライベートな日記として綴られているブログがあって・・・つまりそれは、読み物として何かを提供しようという意図が全くないブログなのだけど、にもかかわらず、わたしはそれを非常に興味深く毎朝読んでいる。けど、もし、これが全く知らない人の書いたものなら、わたしは毎日訪れて読みたいとは思わないだろうなとも思う。つまり、対象に対する親しみ・・・それが、わたしの関心の素なのだろうね。
なんていうか・・・人は、というより私は、自分のテリトリーの内側に招き入れたモノに対しては「親しみ」を感じ、強い興味を持つんだと思う。けど、反対に、自分のテリトリーの外にあるモノは、その存在を知っているつもりでいても、どこか実感を持てないでいるというか・・・空々しい認識しか出来ていないような気がする。
ちなみに・・・偽善は、空々しい関係の相手に対しての方が、有効に働く。偽善は、悪くも働くが、役に立つものもあるので、うまくコントロールして使いたいと思っている。
ん?何の話だっけ・・・(^^;
それにくらべて、半年前までは、一日に何度も往復していたJRの駅への道、久しぶりに行く機会があったのだけど・・・妙に余所余所しさを感じてしまった。半年で、この道は、もう私の道ではなくなっていた。
そういえば、通いなれた道筋にある店々・・・外側は飽きるほど見慣れてはいるけれど、立ち寄ったことがなければ、書割(舞台のセット)と同じ、風景の一つでしかないのだけど、何かの切っ掛けで一度立ち寄ると、それ以降は店の外見まで違って見える。書割の二次元が、立体的三次元になったというか・・・人肌の温かみをまとうようになったというか・・・とにかく、リアルになる。
そういえば・・・毎朝の日課として巡回している友だちのブログの中には、本当にプライベートな日記として綴られているブログがあって・・・つまりそれは、読み物として何かを提供しようという意図が全くないブログなのだけど、にもかかわらず、わたしはそれを非常に興味深く毎朝読んでいる。けど、もし、これが全く知らない人の書いたものなら、わたしは毎日訪れて読みたいとは思わないだろうなとも思う。つまり、対象に対する親しみ・・・それが、わたしの関心の素なのだろうね。
なんていうか・・・人は、というより私は、自分のテリトリーの内側に招き入れたモノに対しては「親しみ」を感じ、強い興味を持つんだと思う。けど、反対に、自分のテリトリーの外にあるモノは、その存在を知っているつもりでいても、どこか実感を持てないでいるというか・・・空々しい認識しか出来ていないような気がする。
ちなみに・・・偽善は、空々しい関係の相手に対しての方が、有効に働く。偽善は、悪くも働くが、役に立つものもあるので、うまくコントロールして使いたいと思っている。
ん?何の話だっけ・・・(^^;
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