オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

受難のイエス

2013-06-06 00:00:00 | 礼拝説教
2013年6月30日 主日礼拝(使徒2:22-24)岡田邦夫


 「あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」使徒2:23ー24

 歴史に名を残した対照的な二人の人物、しかも、人類の歴史が終わるまで、必ず名が残るであろう人物の話です。この二人が出会ったのはわずかな時間のことでしたが、それは決定的な事件となりました。一人は栄光の座にいたのですが、後に世で汚名を帰せられ、一人は汚名を帰せられていたのですが、後の世で栄光の座に着いたのです。世界中のクリスチャンが告白朗唱している「主は…ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け十字架につけられ死んで葬られよみにくだり…」がそれです。

 その前に歴史を変えた、有名な決断の話をしましょう。ローマ帝国は紀元前2世紀後半からの100年間というものは内乱につぐ内乱で混乱状態が続いていました。フランスの反乱を静めたカエサルが帰る途中、ルビコン川に差し掛かったときのことです。ローマに入る際には軍隊の武装を解かなければならない決まり。このまま軍を進めてローマを制圧すれば、大きな権力を手にすることができ、混乱した政治を立て直せるはず。その時、武装したまま進軍を決意。この時、カエサルが言った言葉が「賽(さい)は投げられた」でした。彼は暗殺されるものの、すれから(紀元前27年)の約200年間は
安定した時代が続く、ローマ帝国全盛期となりました。その時期で、皇帝ティベリウスの時にユダヤ属州の総督を務めたのがポンテオ・ピラトでした。
 そのピラトのもとにユダヤ人の祭司長、長老、律法学者たち(全議会)が一丸となって、ナザレのイエスが神を冒涜した罪で死刑にしてくれと訴えてきました(マタイ27:1-、マルコ15:1-、ルカ22:66-、ヨハネ18:28-)。尋問して、こう言いました。「この人には何の罪も見つからない」(ルカ23:4、14、ヨハネ19:6)。しかし、ユダヤ当局に先導されて、群衆が「十字架につけろ。」と叫び続けます(マタイ27:22-23他)。「それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した」のです(マルコ15:15)。「そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。『この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。』」(マタイ27:24)。

 ローマ法によれば死罪には当たらないから、不当な裁判、しかし、ここでそれをしなければ暴動が起こり、皇帝の耳に入れば、自分の首が危ない、また帝国の安定も崩れるかも知れない。「賽(さい)は投げられた」。罪のない方を十字架の死刑に結審したのです。これが「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け十字架につけられ」たという史実です。ペテロは最初の説教でこう言いました。「このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たち(ピラトのこと)の手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです(使徒2:23 新共同訳)。こうして、イエスは国家権力に従われたわけですが、ほんとうは神が国家権力を用いたのです。「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった」のです(イザヤ53:10)。むち打たれ、いばらの冠をかぶせられ、つばをかけられ、十字架に釘付けにされ、さらしもにされ、ののしられ、着物をくじびきにされ…。当時の人々がそうしたのですが、それは神が与えたものであり、主のみこころでした。私たちの身代わりに罪の罰として受けられた苦しみでした。それは死の苦しみという苦い杯でしたが、私たちを罪と死から救うために飲み干されたのです。この杯を飲む決断をされたのはゲッセマネでの祈りの時でした。その時、人類救済のための賽(さい)は投げられていたです(マタイ26:42他、ヨハネ12:27)。
 人類の罪をすべて背負ったために神に見捨てられたのです。それは究極の苦しみで、断末魔の叫びをあげたのです。ゴルゴダの丘でのこと。「エリ、エリ、サバクタニ」(「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)。それはイエスが人間の代表として罪責を負って、のろわれ、神の義が全うされるためでした。また、人間の代理として、罪責を赦すためにあがないとなられ、神の愛が全うされるためでした。義と愛が交差したのが十字架でした。
 そして「死んで葬られ」ました。永遠で不変の方が人として人生を終結し、生命を消滅されたのです。そこで終わりではなく「よみにくだられた」のです。よみは神との断絶された苦悩の場所でありましょう。神に捨てられた者としてそこまで行かれたのでしょう。そうして、人間の代理として受けた神の審判をよみで確認されたのでしょう。まだ先があります。「あなたは、私のたましいをよみに捨てておかず、…墓の穴をお見せになりません」です(詩篇16:10)。ペテロはこれを引用して言います。「そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』」と(使徒2:31新共同訳)。そうして、主がよみがえられたからこそ、私たちは救われるのです。

 ピラトには言い分があるでしょう。政局安定のためにやむなくしたことだと。結果的には罪のない神の御子を殺害する決定をしてしまったのです。しかし、ピラトは私かも知れない、十字架につけろと叫んだユダヤ人、あざけり呪った人々は私たちかも知れません。「私たち罪人のもとで」苦しみを受けと言い換えた方がいいくらいでしょう。「ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」。また、イエスの受難の道は罪深い私たちが通らなければならない、裁きの苦悩のドラマなのに違いありません。むち打たれるのは本来なら私なのです。十字架の激痛も呪いの苦悩も、見捨てられる絶望の叫びも私が受ける分だったのです。私の杯だったのです。しかし、イエス・キリストが代わりに飲み干されたのです。
 私たちはただただ感謝して、信じるしかありません。私たちも十字架を前にして、人生を賭けるのです。賽を投じるのです。また、信じた者は自己犠牲を示しなさったイエス・キリストの背を見て、自分の十字架を負って従って行くのです。そういう生き方に人生を賭けるのです。賽を投じるのです。結果は栄光に違いありません。

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