ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

放射能と鼻血

2014-05-23 13:08:00 | 社会・政治・一般

まず最初に言っておくと、私は原発反対派ではない。

何度か書いているが、だからといって現状の原子力発電を全面的に肯定している訳でもない。今の技術は発展途上のものであり、未完成なものだとさえ思っている。だいたい、放射能廃棄物を安全化する技術がないのだから、原発が安全な訳がない。

だが、石油の枯渇と値上げ、石油以外の化石燃料の高騰を思うと、現状では原発再稼働も止む無しと判じている。これは日本が多量の電気を費消する産業国家である以上、致し方ない選択だと考えざるを得ないからだ。

しかし、原発の危険性は堂々と認識すべきだとも思っている。

現在、話題になっているのが、人気漫画「美味しんぼ」で掲載された放射能被害を匂わす鼻血の問題である。菅官房長官から環境省、各地方自治体までをも巻き込んで、風聞被害やらなんやらで騒ぎになっている。

私の知る限り、よほどの高レベル放射能でない限り、鼻血が出ることはないようだ。実際、医療関係者からもそのような指摘が相次いでいる。もし本当ならレントゲン技師など、職業病として鼻血が出てくるはずだとの指摘も理解できる。

だが、本当に福島原発の放射の漏れと、周辺住民での鼻血に因果関係はないのかは、まだまだ研究すべき問題だと私は思う。

私は昨年の心筋梗塞以来、血をサラサラにする薬を常用している。そのせいで出血が止まりにくくて困っている。なかでも困るのは、鼻血である。本当に些細なことで鼻血が出るのには、本当に閉口している。

鼻血とは鼻腔内の毛細血管の損傷による出血である。もともと長年免疫抑制剤と服用していたので、毛細血管が脆くなっているので出血しやすい。問題はその出血の原因である。

多くの場合は、鼻をかんだ時に出血する。また洗顔の時、温かいお湯が鼻腔内に入った時にも出血することがある。これは注意していれば、ある程度避けることができる。しかし、困るのは原因らしき原因がなくても鼻血が出ることが稀にあるからだ。

どうも鼻腔内の毛細血管は極めて繊細であるらしい。まァ、嗅覚という感知器官に付随する血管なのだから、むしろ繊細で過敏なのは普通なのだろう。

だからこそ、些細なことで鼻血として出血することがあるのだろうと考えている。つまり単なる低レベル残留放射能で鼻血が出ることはなくとも、ストレスや空中を漂うアレルゲン物質などと複合的に影響し合っての鼻血は十分ありうる可能性だと私には思える。

風聞被害を恐れる自治体や政府関係者の惧れは分かるが、実際に鼻血を出している人がいる以上、頭ごなしにありえないと否定するのは如何なものかと思う。特に福島の原発被害は、いささかヒステリックな反応をする人が少なくない現状を思えば、もう少し丁寧な対応が望ましい。

非常に残念ではあるが、福島の原発被害は数十年はかかる長期的な問題である。それを思うと、今回の政府の対応はいささか短絡に過ぎると思う。

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バイオハザード

2014-05-22 14:14:00 | 映画

元々はソニーのプレイステーション用のゲームである。

それも大して期待もされず、ゲーム会社カプコンでも主力の社員は登用されず、若手中心に企画され、期待もされないまま発売されたのが、ホラーアクション・ゲームの嚆矢となったバイオ・ハザードである。

私の記憶でも、それほど大々的に宣伝されていたようには思えなかった。だが、口コミというか、実際にプレーして驚いたゲーム好きの少年たちからの評判が凄く良くて、ゲーム雑誌の読者投稿欄を賑わすこととなった。

日本で作られたゲームの癖に、英語の会話が聞こえてきて、字幕で内容が分かるという、まるで映画のような作りに驚かされた。そしてなにより、あの怪物たちの個性的な暴れっぷり。

映画のゾンビのような、もっさりとした人型モンスターはともかく、カラスや犬のゾンビに驚愕した。ちなみに私は犬のゾンビが倒せなくって挫折している。どうもアクションゲームは苦手なのだ。っつうか、犬好きの私にワンコのゾンビは倒せない。

私はあっさりと止めてしまったゲームだが、人気はうなぎのぼりで日本のみならず、世界中で大ヒットをかました。そして驚いたことに、このゲームはハリウッドで映画化されてしまった。

私の知る限り、TVゲームが映画化されたなかで最大のヒット作である。ミラ・ジョボビッチの華麗なアクションもさることながら、襲い掛かる新種のゾンビたちとのバトルは世界中で話題になった。

だからこそ続編がいくつも作られたのだろう。もっとも私はこの最初の作品が一番好印象である。続編になればなるほど、怪物化したゾンビたちよりも巨大企業アンブレラの人間たちのほうがよほどオゾマシイ怪物に見えてしかたないからだ。

ゾンビよりも生きている人間の方が厭らしく感じるのだから、ある意味とんでもない映画である。だからといって、ゾンビを応援する気にもなれないのですがね。


なお、個人的には第一作がベストで、後はお好きならどうぞってレベル。興味深かったのは、五作目か四作目で日本の渋谷のスクランブル交差点がロケ現場になっていたこと。

なんでもこの渋谷のスクランブル交差点は、世界的に有名だそうで、あれだけの人数は交差するにも関わらず、ぶつからずに交差点を渡りきる不思議な光景としてネットの世界で知られるようになったそうです。

私自身は子供の頃から何度となく渡っている交差点なので、ちょっと不思議な気もします。でも確かに最近、外国人観光客が多いように思えるので、間違いなく有名な観光スポットなのでしょう。

変な観光スポットだと思いますが、外国人の視点からすると面白い光景なのでしょうね。

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ヴェトナムの反シナ暴動に思うこと

2014-05-21 12:43:00 | 社会・政治・一般

南シナ海が危うい。

そんな印象を持った方は少なくないと思う。シナの海洋侵略は確実に進展している。日本がやられたように、気が付かぬ内に石油採掘設備を設置されてしまい、ここはシナ領であると宣言するやり口は、周辺諸国には到底容認できるものではない。

おかげで、フィリピンは一度は取り戻したスービック基地を再びアメリカ軍に戻してシナの横暴に対する後ろ盾を求めた。

ヴェトナムに至っては、国内の反シナを掲げた全国規模のデモが吹き荒れ、もはや暴動に近い騒乱となっている。

インドネシアも、ここに至って反シナの口火を切り、東南アジア全体に危機感が広まっている。

もっとも日本国内では、シナの横暴に目をそむけ、ひたすら安倍首相こそ危険な政治家であるとの情報操作に勤しんでいるマスコミがいる始末である。誰がどう見たって戦争の危機を煽っているのは共産シナであることは明白である。

だが、ここで冷静に考えてみる必要がある。シナの政府が対外的に強硬策に出るときは、必ずと言っていいほど国内に別の問題がある。現在、考えられるシナの国内問題は以下の通り。

1 不動産バブルの崩壊と輸出企業全般の不振
2 ウィグルに代表される少数民族の不満
3 法輪行のような宗教組織の反政府活動
4 国内石油の枯渇と輸入石油の増大
5 習政権内部の権力闘争
6 陸軍中心の北方軍と海軍の伸長を狙う南方出身の地方政治家との暗闘
7 PM2.5のような環境問題
8 砂漠化の進行と水資源の枯渇
9 地方政府の腐敗と癒着に対する民衆の不満

内憂外患としか言いようがないのが、現在のシナの実情である。この国内に渦巻く不満を逸らす手段が反日であり、海洋侵略である。とりわけ南シナ海での石油資源の確保は、さらなる経済成長のためには不可欠なものであり、引くに引けない事情がある。

ただ、その一方でアメリカ軍には抗しえない現実も分かっている。まだまだシナの軍隊は近代化の初歩の段階であり、とても正面切ってアメリカに挑めるだけの軍事力はもっていない。

もっともアメリカには、シナの経済成長を世界経済の原動力にしたい意向もあり、本格的な対立は望んでいない。民主党及びオバマ大統領の意向はシナとの融和だが、アメリカ軍および国防省はシナの野望を看過する気はない。アメリカの対中政策は決して一枚岩ではない。

だからこそ、シナは小さく侵略し、ことを荒立てたくない。さりとて国内を抑えるためにも弱腰外交は出来ない。必然勇ましいセリフだけがまかり通る。私のみるところ、この南シナ海での紛争が戦争にまで行き着く可能性は低い。

ただし、ヴェトナムが絡むと厄介だ。旧ソ連とインド以外の国で、シナに対して戦争を拒まないのは間違いなくヴェトナムである。実際、人民解放軍の侵攻を阻んだ実績もある。

もしかしたら南シナ海を舞台にヴェトナムとシナの戦争もしくは戦闘はあるかもしれない。もちろん周辺国は止めに入るだろうし、なによりアメリカとロシアが必ず関与してくるはずだ。

この段階での日本の集団的自衛権が発動される可能性は低いが、シナの軍事的侵略の危険が尖閣を含む沖縄周辺に至った時こそ、真剣に考えねばならないだろう。

だが、シナという国は戦争すら政争の一手段だと考える国であり、国内の政治こそ第一。そのことは銘記しておくべきでしょう。平和馬鹿の日本人はすぐに戦争か平和かという極端な選択しか視野にない。シナの事情を分かったうえで、様々な策謀を練れば戦争は回避できることもある。

おそらく今回の南シナ海の紛争は、なんらかの形で北京政府内の権力構造に変化をもたらすと予想しています。おバカな日本のマスコミでは、そのあたりの事情が分かりづらいのが難点ですがね。

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プロレスってさ トニー・ホーム

2014-05-20 14:24:00 | スポーツ

自分を分かっていなかった。

フィンランド生まれのトニー・ホームはアマチュア・ボクサーとしては成功した。しかし、それは北欧に留まったもので、世界すなわちアメリカではプロボクサーとしては目が出なかった。

巨漢であり、運動神経も頭も悪くはなかったが、成功を目指して死物狂いで頂上を目指すアメリカのボクシング界では通用しなかった。だが若いトニーは諦めはしなかった。プロレスの道場に通ってみたり、ハリウッドのセレブのボディガードをやってみたり、いろいろチャレンジしてみた。

その一つが、日本でのプロレス・デビューであった。もっとも、プロボクサーとして当時売出し中の橋本真也の異種格闘技戦の相手としてであった。その試合で彼は勝ってしまった。ここで彼は初めて大金を稼ぐようになった。

それが筋書とおりなのか、そうでなかったのかは不明だが、真っ当なボクシングの技術を使っての勝利であり、文句のつけようはなかった。北欧から来た巨漢ボクサーであるトニー・ホームは一躍日本のプロレス界に名を轟かした。

その試合をTVで観ていたが、なんとも朴訥な白人青年との印象は拭えなかったことを覚えている。その後、橋本のリベンジを跳ね返し、その実力を見せつけたが、反面物足りなさも感じていた。

この人、なにを目指しているのだろうか。

少なくともプロボクサーとして頂点を目指しているようには思えなかった。当時ヘビー級ボクシングは、俊敏な黒人ボクサーだけが闊歩する特異な世界であり、デカイが真っ当すぎるトニーが通用するとは思えなかった。

さりとてレスリングの技術がないことは、ベビーフェイスイス(善玉レスラー)としてデビューしてみて、すぐにバレてしまった。何試合か観た記憶はあるが、パンチの迫力はともかく、試合を作るのは下手であった。

しかし、それよりも、なによりも自分に何を求められているのか分かっていない気がした。不器用でもいいから、もっと朴訥にプロレスを演じるべきであった。だが、どうも自分は一番強いと勘違いしている感が否めなかった。

そのうち寝技、立ち技どちらも達者で、かつ試合を作れる実力のあるトップクラスのレスラーと対戦するようになると、まるで華のないレスラーであることが露見してしまった。

だが彼は自分の可能性を諦めなかった。再びアメリカへわたり、プロレスラーとして、また総合格闘家としても頑張ってみた。だが遂にビックネイムとなることは出来なかったようだ。

その後、故国フィンランドへ戻り、作家になったり、はたまた政治家になったりいろいろやったらしい。

だが、最後のニュースは拳銃による自殺。しかも薬物を服用していての事件であった。その報を目にした時、私が思い出したのは、リングの上で何を演じたらよいか分かっていなかったトニー坊やであった。

いくら薬物の影響があったとはいえ、40代での死亡は早過ぎる。人生での勝利を目指して試行錯誤したトニーは、どこで道を誤ったのだろうか。それが勝ってしまった橋本戦からではなかったのかと思うのは、私の錯覚であろうか。

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ベルリン・コンスピラシー マイケル・バー=ゾウハー

2014-05-19 12:39:00 | 

一人の犠牲で数多の命を救う行為は尊いものである。

自己犠牲の精神の尊さを否定する気はないが、それはあくまで本人の自発的な意図あってこそだと思う。他人に自己犠牲を強要することは、その対極にある醜悪さだと考えている。

大概、その手の醜悪な試みは猥雑な現場とは無縁な、空調の利いた快適なオフィスで練り上げられる。しかもお勉強の良く出来るエリートほど、この手の醜悪な試みを良心の呵責も感じることなく平然と行うのは、古今東西変わることがないらしい。

表題の著者はブルガリア生まれでイスラエル育ちのスパイ小説の名手だ。諜報や国家謀略を題材にしたら第一級の作家であり、ル・カレやフォーサイスとは一線を画す斬新な作品を幾つも出している。

ただ寡作な作家なので、なかなか新しい作品が出てこないのが不満だ。そんなわけで久しぶりのゾウハーなのだが、正直以前感じていた斬新さはなかった。むしろスパイ小説としては、真っ当で、途中からエンディングが見えてしまったほど正統派の作品であることに驚かされた。

まァ、考えてみればゾウハーもかなりの高齢なので、それは致し方ないことなのかもしれない。ただ、もしゾウハーの初期の作品を読んでいない方ならば、十二分に楽しめる内容だともいえる。

なにしろ、読みだして最初の100頁あまりは、いったい何が起こっているのか、さっぱりと分からないからだ。その謎が次第に明らかになり、見えてくるオゾマシイ真相は、国家謀略の恐ろしさを知るには十分なものだ。

取材力のあるゾウハーだけに、おそらくこの作品のプロットは実際にあった話をネタにしているのだろうと容易に想像がつく。厭らしいことに、これからも十分起こりうることも否定できない。

最後の最後で、とんでもないどんでん返しが待っている。私にはゾウハーが、自己犠牲を強要する者たちへのしっぺ返しを望んでいるとしか思えなかった。まっとうな人間ならば、あの手の作為には嫌悪を抱かずにはいられないはずだ。ゾウハーもその一人なのだと信じたいですね。

コメント (7)
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