自分を分かっていなかった。
フィンランド生まれのトニー・ホームはアマチュア・ボクサーとしては成功した。しかし、それは北欧に留まったもので、世界すなわちアメリカではプロボクサーとしては目が出なかった。
巨漢であり、運動神経も頭も悪くはなかったが、成功を目指して死物狂いで頂上を目指すアメリカのボクシング界では通用しなかった。だが若いトニーは諦めはしなかった。プロレスの道場に通ってみたり、ハリウッドのセレブのボディガードをやってみたり、いろいろチャレンジしてみた。
その一つが、日本でのプロレス・デビューであった。もっとも、プロボクサーとして当時売出し中の橋本真也の異種格闘技戦の相手としてであった。その試合で彼は勝ってしまった。ここで彼は初めて大金を稼ぐようになった。
それが筋書とおりなのか、そうでなかったのかは不明だが、真っ当なボクシングの技術を使っての勝利であり、文句のつけようはなかった。北欧から来た巨漢ボクサーであるトニー・ホームは一躍日本のプロレス界に名を轟かした。
その試合をTVで観ていたが、なんとも朴訥な白人青年との印象は拭えなかったことを覚えている。その後、橋本のリベンジを跳ね返し、その実力を見せつけたが、反面物足りなさも感じていた。
この人、なにを目指しているのだろうか。
少なくともプロボクサーとして頂点を目指しているようには思えなかった。当時ヘビー級ボクシングは、俊敏な黒人ボクサーだけが闊歩する特異な世界であり、デカイが真っ当すぎるトニーが通用するとは思えなかった。
さりとてレスリングの技術がないことは、ベビーフェイスイス(善玉レスラー)としてデビューしてみて、すぐにバレてしまった。何試合か観た記憶はあるが、パンチの迫力はともかく、試合を作るのは下手であった。
しかし、それよりも、なによりも自分に何を求められているのか分かっていない気がした。不器用でもいいから、もっと朴訥にプロレスを演じるべきであった。だが、どうも自分は一番強いと勘違いしている感が否めなかった。
そのうち寝技、立ち技どちらも達者で、かつ試合を作れる実力のあるトップクラスのレスラーと対戦するようになると、まるで華のないレスラーであることが露見してしまった。
だが彼は自分の可能性を諦めなかった。再びアメリカへわたり、プロレスラーとして、また総合格闘家としても頑張ってみた。だが遂にビックネイムとなることは出来なかったようだ。
その後、故国フィンランドへ戻り、作家になったり、はたまた政治家になったりいろいろやったらしい。
だが、最後のニュースは拳銃による自殺。しかも薬物を服用していての事件であった。その報を目にした時、私が思い出したのは、リングの上で何を演じたらよいか分かっていなかったトニー坊やであった。
いくら薬物の影響があったとはいえ、40代での死亡は早過ぎる。人生での勝利を目指して試行錯誤したトニーは、どこで道を誤ったのだろうか。それが勝ってしまった橋本戦からではなかったのかと思うのは、私の錯覚であろうか。
でも、この人、久しぶりに見ましたが、まさか自殺とは…車椅子の上の身になても、それを恥じないダイナマイト・キッドみたくあって欲しい。
悪いけど、「自分探し」の人生はやめた方が良いと、実体験からも思いました。
ダイナマイト・キッドは精神的に剛直で、立派に車椅子人生を生きていると聞いたことがあります。若いころのファイト同様、その剛毅な生き方には感心します。
あちこち好き勝手にコメントしてるうち、どこをどう読んだのか解らなくなてきました。
ダイナマイト・キッド、本当に格好が良かった。
タイガーの仮面を剥ぎかけた時、ラーメン屋で客が総立ちになって騒いだのを懐かしく思いだします。
あれがセメントであるか、曲本があたかなど、どーでも良いです。
血を沸かした熱狂には嘘がないもの。
私はその後者のなかに入ります。
ある名勝負の試合を見たことと、メキシコでルチャ・リブレ(自由への闘争という意味だそうです)の試合を見たことが契機になりました。
リアル・伊達直人のプロレスを観たので。メキシコが事実上のデフォルト状態で、福祉予算を削られた時代でした。元レスリングの五輪選手 だたカトリックの司祭が、経営する 孤児院院のためにリングに上がる。
悪いけどただのオヤジでした。神父はすでに初老だたおもいます。だが観客の熱狂はスゴい。
パーデレ、パーデレ…という大声援。
事情通の通訳に話を聞くと、そりゃあ応援しますわね。そん時に思うたんです、リアルファイトがなんぼのもんじゃいと!
確かに強い人はいるのでしょう。
だが自衛でも隊で選抜射手だた私に言わせれば、狙撃用の小銃を、持たせてくれれば、一発で小錦でも唐オてみせる。超音速の弾丸なら、アンドレだろうが衝撃波で全身の神経と毛細血管を破壊され即死です。64式で600メートルの標的に全弾をヒットした私が負けると思わない。
でもさ、プロレスの偉大なところは、胡散臭くても、人に夢と希望を与えることでないでさか!?
司祭は国が経済バターし、ストリートに娼婦が並ぶ中で、希望を与えたのです。
そんなことできるプロレスは偉大な格闘ショーだおもいます。プロレスなめんなよ!
格闘技の真剣みを楽しめるのは、格闘技は分かる人だけであり、素人には敷居が高すぎる。その点プロレスは子供から老人まで楽しめる。その娯楽を真剣に演じているのを評して八百長だなんて底の浅い観方だと思います。