ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

人材不足

2014-05-16 12:33:00 | 社会・政治・一般

噂には聞いていたが、実際に目にするとうすら寒いものを感じる。

たとえば銀行。バブル崩壊後強引にリストラを進めた結果、現場で融資先企業と密接な関係をもっていた銀行員が爪腹を切らされて退職。その後、合併などに伴うリストラと人員減らしが露骨に進められた結果、早期退職に応じる行員も少なくなかった。

更に団塊の世代が順次退職した結果、中堅社員が大幅に不足することになった。もちろん、それは織り込み済みであり、業務の集中化などで乗り切るつもりであった。しかし、現場のノウハウをもった中堅行員の不足は如何ともし難く、遂には退職した行員を若手の教育係りとして招く事態に陥っている。

その役割を担った方に言わせると、後十年あっても元のレベルまで復活させることは困難だという。なぜなら、育てた若手をまっとうに評価し、使い得る上司が育っていないのだから、当分は銀行の融資能力は大幅に低下するのは必然であるそうだ。

同様なことは日本の官公庁にも起こっている。私の場合、日ごろ付き合いが多いのは税務署である。先日のことだが妙な税務調査立会をした。

税務署が納税者の申告が適正かどうかを実際に調べるのが税務調査だ。その連絡を受けると、私はいつも通り、その担当調査官の経歴を洗い出した。すると妙なことに、前職よりも職位が大幅に下がっている。

不祥事などでの降格なら分かるが、滅多にあることではなく、気になっていろいろ調べてみた。その結果分かったのは、おそらくその担当調査官は一度退職し、その直後に嘱託として再雇用された可能性が高いことであった。

税務署を退官した職員は、従来ならば税理士として新たな職に就くのが通例だ。しかし長引く不況のせいで、以前のように税務署から顧問先の斡旋はなく、自分で顧客を開拓せねばならない。

その自信がない人は少なくなく、その替わりに税務署に再雇用されて若手職員の教育係りを担う第二の人生を選ぶ人が増えている。私も噂で聞いていたので、今回の担当者がそうらしいと考えた。

予想通り、その担当者は若手を二人連れてくるので、よろしくお願いしますと連絡してきた。実のところ、調査の対象である顧問先は、それほど大きな規模はなく、通常なら一人の調査官で事足りる。それを若手二人を連れての3人体制だというから、これこそ噂に聞いていた研修目的の税務調査だと確信できた。

通常、税務調査は朝10時から始まる。その少し前にやってきた調査官は予想通り60代と思われるベテランだ。同行してきた二人は、どちらも20代である。こりゃ、若手の研修のための調査で間違いなし。

調査に合間に雑談をふり、さりげなく尋ねてみたら、あっさりと退職しての嘱託再雇用であることを認めた。やはり税務署も人材の不足に苦労しているとの噂は本当なのだろう。

実際、その調査ぶりをつぶさに観察してみても、実力の違いは明白であった。ベテランの方はツボを心得た質問と雑談で余裕綽々。実際、すぐに要点を把握して、今後のスケジュールを私と話だし、3時までに終えてしまった。

普通の調査なら10時から休憩1時間を挟んで、夕方4時までみっちりやる。さすがにベテランは仕事が早い。だが問題は同行してきた若手二人のほうだ。一人は物珍しそうに、何やら書類をめくっているが、まるで意味のないところばかり見ている。

少し年長と思われるもう一人は、領収証を丁寧にめくっているが、何をしているかと思いきや、償却資産の取得価額の確認である。申告書を作っている立場の私から云うのも何だが、そんなこと調べてもこの会社、何も出てこないぞ。

ベテランの方は、帰り際にこの調査は短期間で終わらせたいので、協力お願いしますと言って帰っていった。既に申告是認になると判断しているようだ。その後ろを、大量のファイルを預かってカバンに詰め込んだ若手2人が、追いかけるようについていく。

思わず、あいつら大丈夫か?と口に出したら、隣にいた社長さんが「先生、あの若いのも税務署職員ですよね?」と訝しげだ。そりゃ、そうだと思う。あの二人、明らかに現場経験が不足している。

場数を踏めば、何を調べ、何を訊き、何を確認するべきかは現場から読み取るものだ。あの若手二人は、それなりに勉強もしてきたろうし、頭も悪そうには思えなかった。ただ、絶対的な経験値が不足している。おそらく、十分に現場で教わっていない。

知識はあるのだろうが、その知識を活かす経験からくる知恵がない。おまけに積極性にも欠ける。もっと質問するべきだし、自分から積極的に納税者に話しかけるべきだ。これでは、わざわざ会社まで来て調査をした意味がない。

税務調査のベテランは怖い。何気ない雑談から情報を引き出し、怪しい部分を見つけ出す。世間話にみせかけて、さりげなく「隠し金庫」とか「裏帳簿」なんて単語を会話に混ぜる。

すると、後ろめたいところがある納税者は、目線を隠し金庫のある場所に泳がせたり、もう一つの、つまり税務署に知られたくない帳簿の隠し場所を思わず見たりする。ベテランの調査官はそこを見逃さずに、その目線の先の引き出しを指さして「ちょっと、その引き出しを開けてもらえますか」などと付いてくる。万事休すである。

そんなことにならないよう、税務調査の際には私ら税理士が立ち会うのだが、現場を抑えらえたらどうしようもない。私の師匠である故・佐藤先生は「調査官との雑談こそ、真剣勝負」と言っていた。自身がかつて調査官の立場にあった人だけに、痛感していたのだろう。

だから、今回の調査でも私の仕事の大半は、ベテラン調査官との雑談であった。もちろん契約書や領収書などにつての話もするし、税法上の解釈や取扱いなどの話もする。でも、一番浮「のが、何気ない雑談から、貴重な情報をとられることだ。

今回は事前に社長さんと打ち合わせて、雑談に気を許さぬ様に説明しておいたので、何事もなく終わった。別に怪しい申告をした訳でもないのだが、税務調査は調査官の恣意的な意向で、地獄にも容易に変わる。

それが分かっているからこそ、ベテラン調査官には注意が必要であり、今回は無事済んで一安心。でも、あの若手二人、大丈夫だろうか。あれを一人前に育てるのは大変だと思う。

税法という奴は、解釈の余地が広い、困った法律である。おかしな解釈をされないように、調査官には納税者の実情をよく分かって欲しい。昔に書かれた税法を、杓子行儀に適用されると、とんでもない事態に陥りかねない。

明確な脱法行為ならば追徴課税は当然だが、税法と現実の齟齬を糞まじめに捉えられての無理矢理の追徴課税は困る。だからこそ、調査官には、一社会人として常識と良識を兼ね備えた優秀な職員であって欲しい。

あの若手二人は、おそらく学校の成績は優秀なのだろうと思う。ただ、現場での経験が圧涛Iに不足している。とりわけ質問力というか、会話による聞き取り能力が未熟すぎる。いくら書類を真剣に眺めても、現場をみて、中身を訊いてみなければ分からない事、沢山ある。

多分、ベテランの調査官に遠慮した部分はあったと思う。また、少し特殊な分野の会社なので、初めて目にする光景に圧倒されたのかもしれない。だが、ひとたび現場に来た以上は、国を代表する公務員なのだから、もっと積極的にあるべきだ。

私が感じた不安は、同席した社長さんも同様であった。間違いなくベテランの調査官も認識していたはずである。人手余りの、人材不足が言われるようになって久しい。

人材の育成不足は、ここまできたのかと痛感せざるを得ない体験に、私としては未来を危惧せずにはいられません。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カリオストロの城

2014-05-15 13:05:00 | 映画

私は一時期、極度のアニメ嫌いであった。

原因は宇宙戦艦ヤマトである。私が中学生の頃にTV放送され、SF好きの私は当然のようにはまった。しかし、ヤマト3が作られるとの報に激怒した。ファンをおちょくるのもいい加減にして欲しい。あまりに商業主義も過ぎると、かえって作品を損ねることぐらい分かりそうなものだが、大人の事情ってやつだろう。

アニメファンを愚弄するかの如き姿勢に腹を立てた私は、以来TVアニメから遠ざかってしまった。そんな時期にあってさえ、表題のアニメ映画の評価が高いことは、私の耳にも入っていた。

曰くスピルバーグ絶賛とか、海外の日本アニメ・ファンのバイブルであるとか噂は有名だ。日本でも、あの宮崎駿の初映画作品とかで評価は高く、某アニメーター養成学校ではテキストとして使われているなんて話も聞いてはいた。

しかし、頑固で依怙地な私は、まったく観ようとしなかった。TVアニメ嫌いはその後、かなり解消されたのだが、頑迷な私はこの作品がTVでオンエアされても、やはり観ようとしなかった。

だから、今回が初めてである。たまたまお台場の映画館で時間潰しのつもりで観た。なんでもデジタル・リマスターで画像を綺麗にしての再上映らしいのだが、そんなことは全くつゆ知らずで、渋滞のせいで本命の映画の上映を逃したが故の時間潰しであった。

で、観た印象からいうと、これはモンキーパンチのルパン三世ではなく、宮崎駿のルパン三世であった。クラリスみたいなキャラ、絶対モンキーパンチは出さないぞ。

これは否定的な意味ではなく、むしろ肯定的でさえある。たしかにこれならアニメ映画の傑作として評価されるのも理解できる。アニメ少年たちのハートをくすぐるキャラであることは理解できる。まァ、現実にはいないタイプですけど。

それはともかくも、このアニメ映画は最近の3Dアニメーションと比べると明らかに古臭く思えるが、作品としての価値はまったくひけをとらない。それは確かだと思う。

この映画をTVではなく、映画館のスクリーンで観れたのは良かったと思っています。ところで本命の映画はどうしよう。実はキャプテン・アメリカなんですけど、これも映画館の大スクリーンで観るべきだと思うので、なんとか都合つけたいもの。しかし、今月は仕事が忙しい。

う~ん、悩ましいな。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

代表メンバー決定

2014-05-14 11:55:00 | スポーツ

遂にブラジル・ワールドカップ代表メンバーが決定した。

サプライズは大久保であるとの報が多いが、私からするとドイツ・ブンデスリーガーでレギュラーとして活躍している細貝の落選が最大のサプライズであった。

今回のメンバーで目立つのはFW登録の選手が10人、日本のストロングャCントというか肝である中盤がたったの4人(遠藤、長谷部、山口、青山)であることだ。

細貝はボランチの候補のなかで、最も守備に長けた選手であり、また落選した中村憲剛は攻撃的だが年齢が高く、また体格的に劣ることが原因に思う。ザッケローニは自ら若い選手を選ぶようにしたと述べている。

どうも、ベテランの選手の伸びしろよりも、若手の成長に賭けたように思える。また課題の守備にはある程度諦めがみえる。だからこそ、攻撃は最大の守備といわんばかりのメンバー構成となったのであろう。それゆえに、細貝と中村は落選したのだろう。

また長身のFWが一人もいないのもザックの見極めというか、諦めのようにも思える。実際、このチームは長身FWを活かすような戦術が下手だ。

このあたり、平均身長や体格に劣る日本人の特性を見極めた上での選択なのだろう。つまり俊敏さやチームの和を活かした攻撃型チームが、サッケローニの結論なのだと思う。

もう一つの特徴として、Jリーグで長年トップチームとして活躍してる鹿島アントラーズから一人も選ばれなかったことも銘記したい。アントラーズはJリーグで最も南米型というかブラジル型のチーム作りをしてきたチームである。しばしば代表に選ばれた柴崎をはじめ優秀な若手もそろっている好チームである。

しかしザックは選ばなかった。やはりイタリア人らしく欧州志向なのだろう。それは分かるが、いささか不安も感じる。なんといっても会場はブラジルである。南米で開催されたワールドカップでは、欧州のチームは常に苦戦している。

それを承知の上で敢えて、欧州で活躍する選手を過半に占める代表チームをザッケローニは作った。これは必然であり、ザックの責任ではなく、彼を選んだ日本サッカー協会の選択である。

正直、私は不安だ。それはザッケローニを選んだ時点で分かっていたことではある。しかし、その後のコンフェデ等の国際大会での実績を見る限り、やはり南米のチームにはいささか分が悪い。

スメ[ツ新聞などには、優勝を目指すとか前回以上の成績を当然との報道があるが、私は多分無理だろうと思っている。南ア大会はホームであるはずのアフリカ勢の失速に救われたのが本当だと思う。

弱さを自覚した選手たちが、敢えて守備を固める決意をし、それを追認した岡田監督の諦めあってこその快進撃であった。今回、ザッケローニは日本の限界を知りつつ、敢えて攻めるチームにすることで勝利を目指すという賭けに出た。

正直、分が悪い賭けだと思う。弱いチームは本来、守りに徹して隙をついて勝利を目指すべきなのだ。その原則を崩して、敢えて攻撃に重きを置いた。はたして吉と出るか凶と出るかは、難しいところだ。

悲観的なことばかり書いたが、勝利を目指して危険な賭けに出たチャレンジ精神を評価しないわけではない。今回の予選リーグで最も弱いのが日本であり、ほかの三チームは、すべて日本戦では勝ち点をとることを当然とみなしている。そこにチャンスがある。

分は悪いが、勝ち目がない賭けではない。

ただなァ~、今回はライブで試合が観れるかどうかは自信がない。深夜や早朝に起きている自信がないばかりでなく、無理に起きていれば仕事に差し支えるように思う。それが実は一番の心配だったりする。

とはいえ、あと一か月余りで大会は始まる。ソワソワ、ドキドキの不安も楽しみながら開幕を待とうではないか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テルマエ・ロマエ2

2014-05-13 11:57:00 | 映画

子供の頃から銭湯に行くのは好きだった。

小学生の頃だから昭和40年代から50年代にかけての頃だ。当時住んでいた三軒茶屋の少しはずれ、下馬には銭湯が3軒あった。一番近所の銭湯は、困った風呂屋で、水質が濁っていて白いタオルがすぐに赤茶けた色に変色する。多分、水道管が錆びていたのではないかと思う。3軒ある風呂屋のなかで一番古く、そのせいか大らかな雰囲気であった。

だから、この銭湯を好む客はタオルが変色することなんか気にしない、大らかな人が多かった。背中に登り竜のクリカラモンモンが鮮やかな博徒のおじさんと知り合ったのも、この湯であった。背中を流してあげると、よくスカットという炭酸飲料をおごってもらったものである。

少し歩いた団地の先にある銭湯は比較的大きく、中も綺麗で若い客が多かった。ただ、5分以上歩くので夏場や冬場には、あまり行く気になれなかった。当時はあまり意識しなかったが、綺麗なだけに風情はなかったと思う。

そしてもう一軒は、三茶の栄通り商店街の脇道にあった。ここは客層が賑やかだった。仕事前に一風呂浴びる店主や、仕事を終えて汗を流しに来る店員さんたちが賑やかで、いかにも商店街のなかの銭湯といった風情があった。

私はここで、のんびり湯に浸かりながら、店員さんたちの雑談を聞くのが好きだった。学校で教わらないような余計なことを覚えたのは、間違いなくここであったと思う。

でも、一番数多く通ったのは、間違いなく最初に上げた赤茶色のお湯の銭湯であった。徒歩2分という近場であることも確かにあるが、ここは近所の悪ガキどもの集まる場所であり、ここでの情報交換は子供たちには重要な意味を持っていたからだ。

くだらない話から、下世話な話、エロ話などもあったが、真剣な悩みの相談場所でもあった。私はここでクラスメイトのAが実は養子であることを自白するのを聞いたり、Bが隣のクラスのY子とできちゃったことなど、大人が聞いたら動転するような話を何度も聞いたものだ。

裸の付き合いは、心の鎧をほどかせる。だからこそ、ここで聞いた話は絶対に内緒でなければならなかった。もっとも、この手の話は知っている奴はなぜか知っていて、子供ながら人付き合いの難しさを悩む場でもあった。

でかい湯船につかりながら、あれこれ思いを語り合い、着替え場のベランダで夜風に当たりながら、真剣な思いを共有し合った奇妙な連帯感に酔いしれたことも懐かしい。

一人ならば20分程度で済む銭湯も、友達となら2時間以上過ごすことある。それが私の銭湯であった。

ところで表題の映画は二作目である。これも笑えます。某NPO団体の関係者(大半が在日の外国人)を連れて映画館に行ったのだが、非常に受けました。片言の日本語しか分からない外国人でも十分楽しめる映画です。ちょっと、おかしなニホンを強調しすぎな感もありますが、お笑いなのだからこれでいいのでしょう。

余計なことを考えず、大きな湯船に浸かっているかのようにゆったりした気持ちで素直に笑う。それもまた映画の楽しみ方なのでしょうね。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リフレインが叫んでいる

2014-05-12 12:48:00 | 日記

連休は久々に都内の古本屋巡りに精を出した。

神田神保町、早稲田、高円寺、荻窪、西荻窪、吉祥寺と自転車で走り抜け、最後に近所の新古書店を出た時には夜の10時を過ぎていた。お腹ペッコペコである。

それにしても予想通り閉店した店が多かった。その一方で新古書店も統廃合が激しい。新古書店は広い店舗と安さが魅力だが、お目当ての本を探すのに時間がかかる。従来の古本屋ならば、店主に尋ねるだけで即答であったので時間はかからない。むしろ移動時間と、いらんお喋りのほうが多かった。

しかし、新古書店は店員に古書の目利きなどいるわけなく、高額なはずの古書でさえも当初はそれなりでも、売れない時間が続くと、すぐに100円の棚に移される。ここが狙い目なのだが、なにせ探すのが一苦労だ。

だからこそ、苦労して探し出した時は感慨ひとしおである。

ところで自宅から十分とかからない近場の新古書店で私は悩んでいた。かねて読みたいと思っていた歴史書を前にして、私はどうしたもんかと悩んでいた。この本は愛知県の郷土史家が数十人集まって編纂した戦国武将をテーマにしたもので、なかなか面白そうだと思っていた。

ただ、500頁を超す大作であり、当然にハードカバーであり、如何に新古書店といえども安くはなかった。買えない値段でもないが、いいものを如何に安くが古本探しの醍醐味だと思っていたので、ちょっと躊躇っていた。

なにせバックの中は既に買い込んだ古本で一杯である。おまけに安売りしていたCDを十枚ほど買い込んでいたので、財布の中身も寂しい。この歴史書を買ってしまうと夕食が侘しくなる。既に10時近くで、いまさら料理する気になれず、近くの定食屋に行くつもりだったからだ。

さて、と考え込む。この新古書店は一定期間売れないと、一冊100円のコーナーに移される。既に三か月以上、売れ残っていることを思うと、来月には大幅に安くなるはずだ・・・

とらぬ狸の皮算用ではないが、この時点で私は甘い予測を信じる気でいた。うむ、空腹を満たすことこそ、まず肝要であると言い聞かせて、件の歴史書は買わずに店を出た。ペッコペコのお腹が悲鳴を上げているのに耐えかねたからだ。

数日後、GWの連休明けの土曜日に再び近所の新古書店を訪ねた。件の歴史書を探すも見つからず、もしかしてと期待に胸を弾ませて一冊100円のコーナーを丹念に見て回る。しかし、見つからない。ちょっと焦り気味で再び歴史書の棚を探すも、やはり見つからない。

どうやら売れてしまったらしい。後悔先立たず、である。

この時私の脳裏に流れた曲は、松任谷由美の「リフレインが叫んでいる」である。先日、格安で大量購入したCDの中の一枚に収められていた曲である。

「どうして、どうして僕たちは離れてしまったのだろう・・・・」

嗚呼、どうしてあの時買っておかなかったのだろう。実に悔しい。あれから一週間以上経つのに、いまだにこのフレーズが頭の中に流れている。困ったもんである。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする