日本は世界で一番社会主義が成功した国だという。
もちろん社会主義国ではないのだが、一理あると認めざるを得ない。その背景にあるのは、政府というか行政の社会に対する支配が行き届いているからだ。
狭い意味では行政指導だが、もっと広い意味で国民が役所の言うことに従いやすいことが、行政の支配の根幹にある。
だが、勘違いしてはいけない。確かに日本は、行政の指導の下に発展してきた国である。それを否定するほど、私は狭量ではない。しかし、常に行政が正しかった訳ではない。むしろ失政の多さも事実である。
それでも多くの面で、行政主導の下、日本社会が安定して成長してきたのは歴史的な事実である。失政を上回る実績があると認めるのに、私は吝かではない。
その一方、行政というか行政職、つまり役人には誤った認識がある。行政=正しいとの思い込みから、現実が行政にそぐわない状態になっていることを、なかなか認識したがらない。
常に上から目線で、こうあるべきであると押し付けてくるのが、日本の行政の最大の悪癖であろう。これは、役人が社会の為にこうするのが良いのだとの確信の裏返しでもあるので、一概に悪いともいえない。
だからこそ、三権分立により、行政の欠点を立法と司法で監視するのだが、これがあまり上手くいってない。立法府(議員様たちだね)は、行政から如何に予算をかすめ取るかに汲汲としているし、司法は暗記勉強の弊害から現状が正しいと盲信しがちである。
これは、いざという時のお役所頼りの日本人気質が育んだ政治土壌でもある。社会が安定している時は良いが、変化に対しての適応力が鈍いことが最大の欠点である。
いや、鈍いというよりも、現状の変化を認める勇気がない。現実よりも、現状維持の夢を優先している頑迷さが、政府の発表する景気予測などから嗅ぎ取れる。
なかでも酷かったのは、今月に発表された定年70歳延長である。70ですぜ、70歳。70まで働けと政府は言っているのである。もうお気づきの方もいるだろうが、これは年金支給を70歳からとしたい政府の悲鳴である。
もっと意地悪く言えば、69歳までに死んでおいてねとの、政府の願望でもある。遺族年金の問題もあるが、とりあえず69までに死んでくれれば、年金の死差益が出るのである。
別に驚くことではない。民間の生命保険会社は、この死差益あってこそ経営を維持できているのは、保険業務に関わっている人間ならば、当然気づいて然るべき常識である。
ちなみに、某保険会社では70歳からでも加入出来て、年金支給は95歳からという保険契約を売っている。銀行が飛びついて、預金者を銀行に呼び出して、その場で契約させて問題になったのはご存じの方もいるかと思う。
もちろん95歳まで生きて、その後に年金を貰える方もいるだろうと思う。でも大半は・・・まァ死んでいるはずだ。保険会社に膨大な利益をもたらす優良な商品であることは確かだ。ちなみに銀行が、預金者を呼び出したのはクーリングオフを免れる為であり、その性悪さを裁判でも指摘されている始末である。
それに比べれば、定年70歳との延長と、年金支給の延期は、それほど悪くないと、霞が関の快適なオフィスでほくそ笑んでいる役人がいるか、どうかは私は知らない。
知らないけれど、この定年70歳延長が非常に無責任で性質の悪いものであることは誰でも分かろうというものだ。
まず、70まで働ける業務がどれほどあるのか。誰だって年を取れば、体力も落ちるし、知力だって鈍くなる。年齢相応の働き方なら出来るだろうが、企業からすれば、若い労働力のほうがありがたい。
むしろ若い労働力を求める市場は今後増える一方だろうが、高齢者向けの労働はむしろ減っていくのが自然である。第一、本来ならば悠々自適で、長閑な引退生活こそ、高齢者には必要ではないのか。
そんなことは無視して発表された定年延長のニュースは、年金支給額の積立不足の現実に、目を背けて誤魔化しきれなくなった役所の悲鳴でもある。つまり日本年金機構及び厚生労働省の失政である。その失敗のつけは、定年延長と年金支給の延期で国民に払わせるつもりであろう。
このような非道な発表を、批判を交えず淡々と報じるしかないのが日本の大新聞やTV局といったマスコミ様である。年金保険料を青天井の予算だと思い込んで、使い放題に使い尽くした官僚や政治家、それに群がる政治業者たちの姿が脳裏に浮かぶことさえなかったのが、日本の大マスコミ様である。
しかし、つくづく思うけれど記者クラブって便利ですねぇ。ええ、政府にとっては、ですけれどもね。