アントニオ猪木の後継者に一番近かった男、それが前田日明であったと思う。
だが、後継者にはなれなかった。
1メートル90センチの身長と、100キロを超える体重はヘビー級のプロレスラーとして十分な体格であった。少し怖い顔つきだが、笑えばけっこう魅力ある男であり、外見的なスター要素は合格点。
元々は大阪の喧嘩好きのアンちゃんだが、空手を学び、新日本プロ入りしてからは藤原の薫陶を受け、カール・ゴッチにも認められた実力派である。アマレスの経験はないが、そのスープレックスは本格的で、その威力故に外人レスラーから嫌がられるほどであった。
空手の経験があるゆえに蹴り技も本格的で、投げ技、寝技も一流であったから実力的には、猪木の後継者たり得る逸材であったことは間違いない。実際、新日本プロレスも、前田を将来のスター候補として大々的に売り出していた時期もあった。
だが猪木の後継者とはならなかった。そう、自らの意志で、スター路線を拒否したのが前田であったと思う。
いろいろと理由はあるだろうが、そのきっかけは猪木に裏切られたことではないか。猪木はブラジルでの事業に失敗したツケを、新日本プロレスに押し付けようとしたらしい。が、それを経営陣が拒否したことから、自分が作った新日本プロレスを飛び出して、UWFを作ろうとした。
その時に、UWFへ移籍したのが前田ら本格的な格闘技志向のプロレスを志向する中堅選手たちであった。藤原、木戸、高田、山崎らがUWFへと飛び出して、当時のプロレス業界は大騒ぎであった。
しかし、いかなる理由かは不明だが猪木が裏切った。これだけが理由ではないが、この第一次UWFは経営的に頓挫して、結局新日本プロレスに戻る羽目に陥った。この出戻り組と残留組との確執が、当時の人気試合となったのだが、猪木はこのあたりで微妙に距離を置いていたのが、卑怯であったと私は思っていた。
スポンサーの問題や、TV局の問題もあり、一概に猪木一人を非難するのもどうかと思うが、不満を抱えた旧UWF勢から逃げた猪木の姿勢は、私らプロレスファン以上に、前田らに強い不信感を残したのだと思う。
だから前田が猪木の後継として、新日本プロレスに残らなかったのは当然だ。でも正直に云えば、私はそれを残念に思っていた。あの頃、前田ほど猪木の後を引き継げる人材はいなかったからだ。
さすがに、あれから20年以上経つと、希代の演技者あるいは大ウソつきであった猪木の後継者となるには、前田が正直過ぎで、不器用過ぎたことが分る。それでも批難したくないのは、彼の置かれた立場の苦労が相当なものであったことが想像できるからだ。
前田は第二次UWF以降、選手としてだけでなく、ブックメイカーとして、興業主として、そして経営者として頑張らねばならなくなった。そして残念なことに、彼の周囲には経営面で彼を十分サポートできる人材がいなかった。
いや、居るにはいたが、どちらかといえば業界ゴロというか、魑魅魍魎に近い山師のような輩が多かった。だから優秀なプロレスラー足り得たはずの前田日明は、試合に集中できず苦労していたことが伺えてしまったからだ。
才能は十二分にあったと思うが、プロレスラーとして集中できなかったことが、彼の最大の不幸であった。それは一概に彼の責任とは言えない故に、私は彼を非難したくない。
でも、やっぱり残念に思うのです。これだけの才幹を活かすことが出来なかったのは、周囲の人たちの責任でもあると私は悔しく思っているのです。
ジャンボ鶴田vs前田日明 !!!! 観たかったゾゥ。