ヌマンタの書斎

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軍師黒田官兵衛伝 重野なおき

2017-04-24 11:57:00 | 

平和な時代と、戦乱の時代では常識が違う。

安定した時代でないがゆえに、ただ生き残ることさえ難しいのが戦国時代だ。如何に才能があろうと、仕える上司が無能ならダメだし、勇気と智謀を兼ね備えていても、それを活かせる場がなければ出世は望めない。

戦国時代末期に活躍した軍師・黒田如水(官兵衛)もそうだったのだろう。名軍師として名高い黒田だが、仕える上司は何度となく変わっている。最初は播磨の小大名の小寺氏であり、その後織田信長陣営に加わることを小寺氏に奨めるうちに、信長の眼にとまる。

だが、上司の裏切に遇い幽閉されたことを知らぬ信長に誤解され、人質に出していた長男を殺されそうになる。これは官兵衛を自らの後継者にと考えていた竹中半兵衛の策で救われるが、一年に渡る幽閉で足が不自由になり、頭部にむごい傷を負う。

しかし、この幽閉でも信長を裏切らなかったことが高く評価され、諸将から信望が高まった。その後は、秀吉の軍師役を務め、信長が明智に裏切られて死んだ時、すぐに引き返して明智を倒した秀吉の天下取りの道筋を導いたとされる。

秀吉の死後は、石田光成と反目し、徳川家康側に付き、あの関ヶ原での小早川の裏切にも一役買ったとされる。其の半生において、仕える上司を幾度も変えており、また裏方として大いに力を奮ったが故に、その評価は一様ではない。

だが、官兵衛自身は大名にはなっても、決して自ら天下を狙ったとは、私には思えない。むしろ、自分の器を使いこなしてくれる上司を求めていたのだと思う。彼が憧れたのは、漢の劉邦を支えた張良であり、具体像として竹中半兵衛を追いかけた半生ではなかったのかと思う。

戦国時代にあって、指折りの名軍師であることは、間違いないところだろう。その功績が大きいだけに、否定的な評も少なくない、江戸時代にあってさえかなり曲解された説が出回っている。

よく云われるのが、秀吉が官兵衛を評して「その気になれば、儂に変って天下を取れる」と云ったとか、息子の長政が家康の会談した際に、「何故、家康を殺して天下を取ろうとしなかったのか」と云ったとされ、大変な危険人物とされ、その功績に比してあまり出世は出来なかったとされる。

しかし、これは徳川家の支配が定まった平和な時代に記された書を根拠としている。平和な時代にあっては、確かに黒田官兵衛のような人物は、危険とされたのであろう

実際、官兵衛はまだ壮年のうちに家督を息子の長政に譲っている。石田光成との反目もあろうが、周囲から警戒されたのは確かであろう。でも、秀吉も家康も、官兵衛を高く評価して、引退後も活躍させている。そして、官兵衛はその生涯において、一度も上司に反逆したことはない。

その黒田官兵衛を四コマ漫画家の重野なおきが主役として取り上げたのが、表題の作品である。「信長のしのび」以来、歴史四コマ漫画を連作で描く楽しみを得た重野氏である。

かなり気軽に読める歴史漫画であるのだが、よく調べた上で描かれている。その重野版官兵衛に異論が出ることは避けられないが、単純ならざる黒田官兵衛を知るには、たいへん分かり易い快作に仕上がっている。

四コマ漫画=お笑い、ではない。むしろ、表現が制限されているからこそ描けるものがある。まだ連載中の作品ですが、十分評価に値する作品となっていると思います。良かったら、どうぞ。

コメント (2)
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