改めて見直す必要があると思う。
小泉純一郎が森政権の退陣を受けて、新政権として発足したのが2001年の6月であり、その後郵政解散を経て絶頂期を迎え、2006年9月に退陣している。
歴史の評価には、ある程度の年数が必要なのであるが、そろそろ10年が経ったので、改めて小泉政権を見直す必要があると考える。
政治家として何をなしたのか。はっきり言えば、田中角栄以来、自民党の中心派閥であった竹下、金丸の経世会を潰した男、それが小泉である。それだけに政治生命を賭けた半生であったと思う。
YKKなどと呼ばれても、所詮泡沫政治家でしかなかった不遇の時代にため込んだ鬱憤を晴らすかのように、全力で旧・田中派の政治家を潰した。そのために構造改革を導入して談合中心の利権構造を破壊した。第二の予算と呼ばれた財政投融資を、郵貯の民営化により制約を加えた。
これにより、旧・田中派の利権を潰し、その資金力を奪い、橋本、小沢、羽田らの田中派の後継者たちを潰した。
だが、今になり冷静に振り返ると、その結果の破壊の惨状は、日本を破壊してしまったと評していいと思う。
まず、建設における談合を潰したことで、丸投げが横行した。競争入札といえば聞こえはいいが、結果は入札価格を事前に入手できる官僚OBを有利にさせ、現場を知らぬ官僚OBが係る会社は、入札しても利益を削るだけで、すぐに下に丸投げした。その結果、建設工事に責任感が薄れ、手抜き工事が横行した。
談合に不公正さがあるのは確かだが、談合を仕切る会社には、建設工事に対する責任感があった。利益が確保される談合だからこそ、丸投げよりも工事の手抜きは少なかった。
隠れ大蔵省派といわれた小泉だが、その構造改革においてやったのは、不良債権を生み出した温床である現場知らずの退職金渡り鳥である官僚OBの安全(起訴されない)を確保した上で、外資の手先である竹中を送り込んで、後は知らん顔をしたことだ。
護送船団を解体させて、外資の金融機関に旨味を吸わせるべく竹中は暗躍し、金融庁に現実離れしたマニュアルを作らせて、日本の強みである製造業を支えた中小企業を潰させた。跡地にはマンションを建てさせてミニ・バブルを生み出した。
旧・田中派潰ししか念頭にない小泉は、挙句の果てに財務省まで竹中に任せて、「潰せない銀行はない」と恫喝して、銀行を委縮させた。その合間を縫って外資が日本の金融市場に入り込み、学校や組合など金融音痴どもに後に不良債権化する証券を売りつけさせて大儲した。
最悪だったのは、権限を持っていた企業や官僚のトップに責任をとらせず、業績悪化等の責任は、従業員や下請け企業などの弱いものに押し付ける風潮を推し進めたことだ。これにより、日本のモラルは官民ともに地に落ちた。
本来、責任をとるべき人が、責任をとらずに、弱いものに押し付ける。小泉・竹中よる構造改革とは、強いものの責任逃れを正当化させ、弱いものを押しつぶすことを正しいとしたことに他ならない。
これが今日に至るまで、日本を病み衰えさせた構造改革の実態である。この不公正を推し進めたのは竹中とそれに便乗した官僚、大企業であり、それを権限譲渡の名の下に追認した丸投げ首相の小泉の最大の悪行である。
そして、忘れてならないのは、その小泉が旧・田中派を押し潰したことに拍手喝さいを送ったマスコミの功罪である。マスコミは小泉のワンフレーズに飛びつき、これまでいくら偏向報道を繰り返しても倒せなかった旧・田中派を潰した小泉を絶賛した。その結果、最高責任者が責任をとらず、下に押し付けることをマスコミが追認した。この罪は恐ろしく深く、悪質である。
この小泉、竹中タッグによる日本ぶち壊しがあったからこそ、日本は長期低迷に陥った。これがあったからこそ、民主党政権の3年余りの悪夢が生まれた。小泉の退陣から十年がたち、改めて振り返った私の評価がこれである。
小泉純一郎に靖国参拝や、北による拉致被害者奪還などの功もあったことは否定しない。しかし、罪のほうがはるかに大きい政治家であると私は考えています。