ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

マダガスカル3 

2012-08-21 13:15:00 | 映画

大人げないのは分かっているので、軽く読み流していただけたら幸いです。

動物を擬人化して表現する方法は、たしかに面白い。古くは日本の鳥獣戯画が有名ですが、世界各地に伝承された寓話や神話などに登場する神々や妖魔も、似たようなものだと言っても差し支えないと思います。

動物などを人間に擬してみると、親近感がわいたり、個性が強調されたりするので便利な手法だと考えるのは、古今東西変わらないのでしょう。なかでも、アニメーションの発達により、アメリカでウォルト・ディズニーがネズミやアヒルを擬人化して大衆の人気を博したことは特筆されるべきでしょう。

実際、アメリカを嫌い、憎み、敵対視しる人々でさえ、この二足歩行富士額ネズミや、ヒステリーアヒルの映像の面白さは無視できなかった。アメリカとは長年敵対関係にあるイランなどの国々でさえ、この手の動物擬人化アニメを完全に禁止することは出来なかった。

もちろん、アニメーションではアメリカに匹敵する大国である日本でも、この動物の擬人化手法は広く普及している。戦前の「のらくろ」や手塚の「ジャングル大帝」はもちろん、赤塚の「にゃろめ」もそうだし、ジブリの「平成狸合戦ポンポコ」や猫のマイケル、ハムスターのハム太郎などもそうだ。

たしかに楽しい、それは認める。

だが、表題の映画を観ていて、どうしても違和感を禁じ得なかった。NYの動物園で生まれ育った動物たちが、本来の故郷に戻りたがるのはいい。また、せっかくアフリカの大地に戻ったものの、NYの動物園を懐かしむ気持ちだってわかる。

でもなァ、サーカスに行きたいか?

そりゃ、動物園の檻の中よりマシかもしれない。そう思えても無理はない。でも、私の知る限り、サーカスで飼われている動物たちは、あまり長生きしない。これは別にサーカスが動物を虐待してるからではない。そりゃ鞭などを駆使して動物に撃d込むことはあろうが、往々にしてサーカス団員は動物たちを仲間と捉えて大事にする。

しかし、世界各地を移動して動くサーカスでは、その移動中の多くを狭い檻に入れられて動物たちは過ごさねばならない。検疫も多く、ストレスの多い環境であるのは間違いない。

一方、現在の動物園は意識改革が相当に進み、単なる展示興行ではなくなっている。希少動物たちの保護、生育の場であり、動物たちの研究場としての役割を担っている。動物の専門医との連携はもちろん、大学などとの共同研究、世界各地の他の動物園との連絡など従来の動物園とは様相が違っている。

率直に言って、動物にとってはサーカスよりも動物園のほうが好ましい環境だと思う。

だから、表題の映画を観ていて複雑な気分に陥った。楽しい映画であることは間違いない。3D映像の技術も見事だが、表情豊かな動物たちの演技は、やはりアニメーションならではの魅力。そして、なんといってもサーカスの場面。この場面だけでも見る価値がある。

実際、私も楽しく映画を観ていたのだから、文句を言うのも野暮だと分かっている。

でもなァ、やっぱり人間目線での動物たちだよ。動物たちが演技をするのは餌目当てだし、撃キることを楽しんでいるにしても、それは動物本来の姿ではない。本来の棲息環境に居るのが一番だと思う。

現在の動物園は、可能な限り本来の棲息環境を模して動物を飼うよう努力している。環境破壊が進み、本来の生息域では生きていくのが難しい種の保護を考えると、動物園は必ずしも悪い選択ではない。

動物を擬人化して表現する手法は便利だし、楽しいけど、やっぱり人間の視点で描かれてしまう。動物には動物の生き方があるし、それを尊重して欲しいなァと思ってしまった私は、やっぱり理屈っぽいな。

コメント (4)
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