善意と正義は、人を暴走させる。
先月ぐらいから、永田町の首相官邸前に週末になると人が集まるようになった。反・原発活動に燃える市民たちが、ツイッターなどを通じて自然に集うようになり、それが徐々に膨らみ、今では数万人の規模にまで拡大している。
なんでも紫陽花革命とか云っているらしく、現在だと警察が歩道にはみ出て車の走行の邪魔にならないよう規制するほどになったようだ。参加している方々や、参加できないまでも心情的に反原発に賛意を示している人々からは絶賛されているようだ。
まァ、ロクなネタがないマスコミが、これらの週末デモを取り上げたがるのも分からないでもない。でも、率直に言って、この程度のデモで世の中が変わることはないと断言できてしまうのが、なんとも寂しい。
60年安保闘争の時には、国会前を100万人近いデモが埋めて、朝日新聞に煽られた全学連の秋田明大らが柵を乗り越えて国会に乱入した。しかし、事態にビビった朝日は学生に大学に戻れと、言い訳して失笑を買う始末。結局単なる騒乱事件に終わり、日米安保はそのまま継続され、やがて70年安保の挫折へとつながる。
敢えて暴言を吐かせていただくと、武力を持たぬ大衆運動なんざ、なんの威力もない。平和的なデモなんて、せいぜい参加者のその場限りの自己満足だけに終わるのが現実だと思う。
原発反対だと、いかに騒ごうと代替案もない無意味な叫びが、政府の心を揺さぶることはない。むしろ、こいつらには話し合いは無駄だと思われて、政府主導で密室で決められての原発再稼働に至るだけだ。
絶対反対との主張は、答えが決められた主張なので、妥協も代替案もない愚者の叫びに他ならない。むしろ、政府の態度を頑なにするだけだと思う。
断っておくが、私は現状の原発に賛同している訳ではない。活断層の上に建てられていたりする問題はさておいても、現在の原子力発電の技術では、放射能廃棄物を大量に出さざる得ない。この放射能廃棄物の処理を安全に出来ない以上、今の原子力発電のシステムは欠陥品としか言いようがないではないか。
海底は論外だが、たとえ地底深くに埋めたとしても、それが根本的な解決策でないことは明らかだ。困ったことに、政府が進めようとしているプルサーマル技術にしても、いまだ未完成のものであり、更なる研究が必要とされる。果たして放射性廃棄物の再処理は、安全に稼働することが出来るのか。現時点では、けっこう危ういと私は考えている。
しかし、昨年来の原発停止は、日本にとって致命傷となりかねない危険性を孕んでいる。日本に限らず先進国では、もはや電気エネルギーは必要不可欠なものだ。その安定供給は、政府の義務といっていい。
そして、原発が稼働出来ないと、大規模な停電の危険性はもとより、日常生活にも支障をきたす可能性が高いことは、誰にでも分かる当然の理屈だと思う。私は現状の原子力発電所の危険性は、早急に改善すべきだと考えているが、それでも目先の電力供給に支障がでる危険性は無視出来ない。
とりあえず原発を再稼働させて時間を稼ぎ、安全な代替発電所の建築に取り鰍ゥるのが本筋だと思う。その代替発電が、石炭なのかLPGあるいはシェールガスなのかはともかく、自然再生エネルギーでは全然足りないのも分かっている。
既に石油の枯渇は、今世紀中だと分かっている以上、次なるエネルギー政策は国家的命題でもある。その場しのぎではあるが、現在の原発を再稼働して、次なる発電システムの構築に取り鰍ッるのが、一番現実的だと思う。
でも、現在首相官邸前に集まっての、反原発デモに夢中なお方がたは、そんな現実的方針には納得するまい。あくまで反対、とにかく反対なのだから。善意と正義が肥大して、冷静な現実的妥協が出来なくなっている愚かさを自覚することは、決してないだろうと思う。
そんな哀れで、愚かな人たちを取り上げて悦に入るマスコミは、彼ら以上に悪質な愚者だと思う。なぜなら、再稼働により電力が安定して供給されることに安堵している人々を無視しているからだ。多分、後者のほうが多数だと思うが、その事実をマスコミは愚かな大衆には知らせたくないのだろうね。
先月ぐらいから、永田町の首相官邸前に週末になると人が集まるようになった。反・原発活動に燃える市民たちが、ツイッターなどを通じて自然に集うようになり、それが徐々に膨らみ、今では数万人の規模にまで拡大している。
なんでも紫陽花革命とか云っているらしく、現在だと警察が歩道にはみ出て車の走行の邪魔にならないよう規制するほどになったようだ。参加している方々や、参加できないまでも心情的に反原発に賛意を示している人々からは絶賛されているようだ。
まァ、ロクなネタがないマスコミが、これらの週末デモを取り上げたがるのも分からないでもない。でも、率直に言って、この程度のデモで世の中が変わることはないと断言できてしまうのが、なんとも寂しい。
60年安保闘争の時には、国会前を100万人近いデモが埋めて、朝日新聞に煽られた全学連の秋田明大らが柵を乗り越えて国会に乱入した。しかし、事態にビビった朝日は学生に大学に戻れと、言い訳して失笑を買う始末。結局単なる騒乱事件に終わり、日米安保はそのまま継続され、やがて70年安保の挫折へとつながる。
敢えて暴言を吐かせていただくと、武力を持たぬ大衆運動なんざ、なんの威力もない。平和的なデモなんて、せいぜい参加者のその場限りの自己満足だけに終わるのが現実だと思う。
原発反対だと、いかに騒ごうと代替案もない無意味な叫びが、政府の心を揺さぶることはない。むしろ、こいつらには話し合いは無駄だと思われて、政府主導で密室で決められての原発再稼働に至るだけだ。
絶対反対との主張は、答えが決められた主張なので、妥協も代替案もない愚者の叫びに他ならない。むしろ、政府の態度を頑なにするだけだと思う。
断っておくが、私は現状の原発に賛同している訳ではない。活断層の上に建てられていたりする問題はさておいても、現在の原子力発電の技術では、放射能廃棄物を大量に出さざる得ない。この放射能廃棄物の処理を安全に出来ない以上、今の原子力発電のシステムは欠陥品としか言いようがないではないか。
海底は論外だが、たとえ地底深くに埋めたとしても、それが根本的な解決策でないことは明らかだ。困ったことに、政府が進めようとしているプルサーマル技術にしても、いまだ未完成のものであり、更なる研究が必要とされる。果たして放射性廃棄物の再処理は、安全に稼働することが出来るのか。現時点では、けっこう危ういと私は考えている。
しかし、昨年来の原発停止は、日本にとって致命傷となりかねない危険性を孕んでいる。日本に限らず先進国では、もはや電気エネルギーは必要不可欠なものだ。その安定供給は、政府の義務といっていい。
そして、原発が稼働出来ないと、大規模な停電の危険性はもとより、日常生活にも支障をきたす可能性が高いことは、誰にでも分かる当然の理屈だと思う。私は現状の原子力発電所の危険性は、早急に改善すべきだと考えているが、それでも目先の電力供給に支障がでる危険性は無視出来ない。
とりあえず原発を再稼働させて時間を稼ぎ、安全な代替発電所の建築に取り鰍ゥるのが本筋だと思う。その代替発電が、石炭なのかLPGあるいはシェールガスなのかはともかく、自然再生エネルギーでは全然足りないのも分かっている。
既に石油の枯渇は、今世紀中だと分かっている以上、次なるエネルギー政策は国家的命題でもある。その場しのぎではあるが、現在の原発を再稼働して、次なる発電システムの構築に取り鰍ッるのが、一番現実的だと思う。
でも、現在首相官邸前に集まっての、反原発デモに夢中なお方がたは、そんな現実的方針には納得するまい。あくまで反対、とにかく反対なのだから。善意と正義が肥大して、冷静な現実的妥協が出来なくなっている愚かさを自覚することは、決してないだろうと思う。
そんな哀れで、愚かな人たちを取り上げて悦に入るマスコミは、彼ら以上に悪質な愚者だと思う。なぜなら、再稼働により電力が安定して供給されることに安堵している人々を無視しているからだ。多分、後者のほうが多数だと思うが、その事実をマスコミは愚かな大衆には知らせたくないのだろうね。