のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『エルンスト・バルラハ展』2

2006-03-01 | 展覧会
2/24の続きでございます。

去年の末、姫路市立美術館で『ケーテ・コルヴィッツ展』を鑑賞しました。
コルヴィッツ女史は、バルラハと同時代の、ドイツの芸術家です。
戦争 貧困 死 といった主題を、木版やブロンズで重厚に表現した作家の展覧会は
最初から最後まで、そうした「重たい」作品で構成されておりました。
同時代の作家ということで、のろはバルラハ展にも同様の「重たさ」を予想しておりました。
それ故、彼の作品の持つバラエティーや
軽やかな側面は、意外なものでございました。

*コルヴィッツ展、「重たい」といっても、決して悪い意味で申したのではございません。
 それどころか、これは 本 当 に素晴らしい展覧会でございました。
 いくつかの作品の前では、涙がぼろっぼろと滝のごとく流れて止まらなかったのでございます。
 大雪の日で来館者はほとんどおらず、寂とした展示室には、のろがズビズビとハナをすする音ばかりが
 盛大に響き渡っておりました。うーむ 監視の方はさぞご不快だったことでしょう。

閑話休題、バルラハです。

前半のセクションには、ドローイングや、雑誌の表紙を飾ったイラストレーションや、陶芸作品が展示されております。
20代後半、パリ滞在時代のドローイングは、とにかく出会ったものを手当たり次第描いた という雰囲気です。
釣りに興じる男たちや洗濯婦を描く視線は温かく
着飾った人々を描く視線は少々いじわるです。

神話や妖精をモチーフとした、あるいはファンタジックな、あるいはグロテスクな作品もございました。
このあたりを見ていますと、後年、この作家が、貧しい人や孤独な人の姿を
簡素にして力強い造形で表現することになろうとは想像もつきません。

ところでここに展示されていた陶製の壷(バルラハの作品)にも
以前『オランダ正月』の記事でご紹介した髭徳利のように、人面がつけられていたのでございますよ。
何故に器に人面をつけるのでしょうか、ドイツ。
しかも↓こんな顔を。


気になりますので、調べておきます。
判明したらまたご報告いたします。

バルラハ展レポートはまだ続きますが、本日はとりあえずこれにて。