のろや

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『ホーリー・モーターズ』3

2013-07-11 | 映画
『ホーリー・モーターズ』2 の続きでございます。

途中までは、役柄を演じるオスカーと、演じていない”素”のオスカーとは、見かけ上でも、その象徴するものにおいても、明確に区別できるものと思って見ておりました。即ち、リムジンの外でアポ(これこれの場所でこれこれの演技をせよ、という指令)に従事しているオスカーは、社会や家庭において何がしかの役割や人格を演じる個人を象徴し、逆にリムジンの中にいるときのぐったりしたオスカーは、何も演じる必要の無い”素”の状態の個人を表しているのだろう、と。

ところが話が進むに従って、アポと”素”との境が曖昧になるシーンや、リムジンの中においても緩いアポ的な指令が続いているのかと思われるシーンが出て来るんでございますね。昔の恋人との偶然の邂逅という、アポとは全く無関係なはずの一コマすらも、その出会いから突然のミュージカル化、そして別れに至るまで、いかにもいかにも映画的なわざとらしさでみっちり固められております。そこにいるのは演技をしていない”素”のオスカーというよりも、オスカーという人物を演じているオスカーでございます。

リムジンの外であろうと中であろうと、即ち、割り当てられたアポという形であろうと、自分で自分に課するものであろうと、「そこに在り、演じよ」という指令が止むことはないのでございます。
まさに、終わりなき舞台。監督の言葉を借りるならば「自分自身であることの疲労」と「新たに自分を創り出す必要」の間で板挟みになりながらも、生きること/演じることは続いて行きます。

演じ続けるオスカーの一日が人生の喩えであるならば、(どうやら上司らしい)アザのある男の「なぜこの仕事を続けるのか」という問いかけは、わりと究極でございます。それは、こんなにも疲労を感じ、時には顔の見えない誰かに批判されながらも、なぜそのように生き続けるのか、という問いかけでもあるからでございます。

対するオスカーの答えが、これまたわりと究極でございます。
「行為の美しさのためだ」
将来に掲げられた何がしかの目標のためではなく、物質的な充足のためでもなく、後世に何かを遺すためでもなく、今ここで生み出されては過ぎ去って行く、行為というもの、しかも、その美しさこそが、生きること/演じることの原動力であると。

アザ男が「美は見る者の目の中にある」と言うように、美は主観的なものでございます。そして生物が美を何かの目的に利用するということはあるにせよ、美それ自体は無目的なものでございます。
「何のために」という問いは、「答え→じゃあ、それは何のため? →答え→それは何のため?...」とどんどん後退していく余地のある問いでございます。が、「美しさのため」という答えには、その後退をぴたりと止めてしまう力がございます。

何となれば、美にそれ以上の目的はないからでございます。美を「何かのために」求める必要はない。
ちょうどこの映画における「インターミッション」が、作中の他のどの部分とも全くつながりを持たず、これ以外のパートにはまだしも感じられる背景やストーリー性もはなから用意されておらず、さらには唯一のセリフであるかけ声さえも、意味の通らない単語へとずらされているにも関わらず、問答無用に魅力的であるように。
そう、見知らぬ坊さんから「何の用ぞ(それでどうすんの?)」と問いつめられて窮してしまった道元禅師も「だってそれが美しいから!」と答えちゃえばよかったのですよ。

それを鑑みますと、セリフはおろか説明的な文言も一切ない、映像と音楽だけで構成されたドイツ版トレーラーは、不親切かついささか野暮ったくはあるものの、ひたすら「行為の美」にフォーカスしているという点で、本作をよく表現しているものと申せましょう。

HOLY MOTORS | Trailer german deutsch [HD]


ネット上のレヴューなどを読みますと、本作を評価していなくとも、「インターミッション」だけはよかった、という意見にちらほら遭遇いたしますが、それはこのアコーディオン隊ぞろぞろシーンにおける否みがたい「行為の美」が、理屈も意味付けも飛び越えて、見る者の心を揺さぶるからでございまよう。

アザ男いわく「だが、もし見る者が存在しなければ?」
いや、観客がいないということはありえません。私が行為する時、そこには必ず、その目から決して逃れることのできない、自分自身という観客がいるのですから。
倦むことなく街頭にくり出してはいくつもの役をこなして行くオスカーが、リムジンの中ではぐったりと疲労しているように、生きることの疲労もまた、そこ-----自分自身からの逃れられなさ-----に起因しているのかもしれません。しかし合目的性を要求するあらゆる問い、他者からのあらゆる批判を蹴散らす足場もまた、そこにあるのでございます。


とまあそんなわけでこんなにだらだら語ってしまいました。
ああカッコ悪い。
仕方がありません。
オスカーが演じることから逃れられないように、ワタクシはぐだぐだ考えることから逃れられないもののようでございます故。



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