のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『美のかけはし』展

2006-08-01 | 展覧会
さあさあ急いで!
今週中に、京都国立博物館へ行かねばなりませんよ!
俵屋宗達『風神雷神図屏風』の展示は8月6日までなのですから!

いえ ね。
京都国立博物館開館110周年記念展 『美のかけはしーーー名品が語る京博の歴史』 へ行って来たのでございますよ。

京都国立博物館

「おぉっと 貴方とは、いつぞや教科書でお会いしましたね?」
と話しかけたくなる超有名作品が、複数展示されております。

美的観点のみならず、歴史的観点からも
興味深いものがいろいろございましたよ。

「木曾義仲による法住寺殿焼き討ちの際に討ち死にした、院側の有力武将のものと思われる」武具ですとか。
(出土品。典雅な装飾が施された馬具や兜のくわがたに、戦が一種の「晴れ舞台」であった時代がしのばれます。)

織田信長が今川義元から奪って、以降愛蔵した剣ですとか。
(柄に差し込まれる部分の表裏に、きっちり義元と信長の名前が彫られております。)

後陽成天皇が豊臣秀吉の朝鮮出兵を諌めた手紙ですとか。
(幅広い紙に余白を大きく取って、ひらり ひらり と流麗な字が散らばっており、政治的な内容の手紙にはとうてい見えないのでございます。キャプションが無かったなら、歌の一節でも書いてあるものかと、のろは思ったことでしょう。論理的に攻めるのではなく、行間/余白に書き手の心情を込めた手紙と言えましょうか。)

坂本龍馬が親族に宛てた手紙ーーー結婚前のおりょうに触れているーーーですとか。
(字がやたらと隣の行に重なっております。坂本さん、もうちっと行間をあけるなり字を小さめに書くなりしては如何か。)

しかし。
それもこれも、第4室「魅せる」セクションに入ったとたんに
のろの頭から吹き飛んでしまいました。

展示室にぶらぶら歩み入り、ふと左方に目をやると
あったのです、いたのです、そこに
『風神雷神図屏風』が。

ぎ ょ っ としました。

本でもテレビでも切手でもチラシでもさんざん見かけている作品でございますから
今更驚かなくってもよさそうなものだ、とお思いかもしれませんが
何度でも申しましょう、
オリジナルとコピーとは 全 く 別 の も の でございます。

風神雷神が画面の左右から、風を巻いて ぐわっ とたち現れ
何も描かれていない金箔の背景は、画面の奥へと無限に広がって行き
同時にその無限性が圧倒的な存在感となって観る者に迫ってまいります。

「絶妙の構図」「無限を表現している」「永遠と刹那の邂逅」「宗達一世一代の傑作」

おお!
いかなる言葉も、この作品の迫力を表現するには遠く及ばないのでございますよ。
遠く遠く及ばないのでございますよ。

あたりまえのことを申しますが
作品の価値は、教科書で学ぶだけではダメでございます。
オリジナルを目の当たりにして、その迫力にじかに触れてこそ
その素晴らしさも分かろうというもの。

ここで京博HPより、本展のコンセプトに触れた一文を引用させていただきます。

昨今、誌上を賑わしているように、博物館のおかれている状況は決して易しいものではありません。そういう時だからこそ、本展が博物館の役割について再確認し、多くの方にご理解いただく機会となることを希望してやみません。また、過去から未来への「かけはし」でありたいと願い続ける京都国立博物館の歩みを通じ、皆さまの心の中に奥深い美の世界への「かけはし」をつなげることができましたら幸いです。


経営難の博物館/美術館には、収蔵品の売却や閉館という運命が待っております。
極端な話ーーーものすごっく極端な話ではございますがーーー、もしも『風神雷神図屏風』が売却され
二度とわたくし達の目に触れることのない個人コレクションに収まってしまったとしたら。
あるいは、良好な保存状態を保つことができなくなって
あの華麗な画面が黒ずみや剥落に見舞われたとしたら。
それは未来の人々にとって大きな損失であり、即ち、今に生きるわたくし達が未来に対して犯す大きな罪なのです。

皆様、博物館に、美術館に、行こうではありませんか。
わたくし達が支払うささやかな金額と、作品を前にして育んだ美への感性は
歴史と美を未来へと橋渡す、「かけはし」となるのですから。


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