のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『フィラデルフィア美術館展』1

2007-07-24 | 展覧会
両足の裏にびっしりガラスの破片が突き刺さった夢を見たんですが
「夢の中では痛くない」ってのはありゃ嘘ですね。

それはさておき
フィラデルフィア美術館展 印象派と20世紀の美術  京都市美術館 へ行ってまいりました。

うーむ これはようございましたよ。
質・量ともに充実した、夏休み企画として申しぶんの無い展覧会でございました。
まんべんなく良作が揃っております一方、例えば「青いターバンの少女」のような
誰でも知ってる超有名作品は来ていないので、一カ所に人だかりができてしまうことはなく
人は多くともゆっくりじっくり快適に観る事ができました。(土日祝はこのほどではないかもしれませんが)

展覧会場ではペンを使ってはいけないというのは常識でございますが
京都市美術館ではシャーペンも禁止のようでございます。
いつも ついついシャーペンでメモ書き→注意のうえクリップペンシルを渡される というパターンを演じてしまうので
今回はあらかじめクリップペンシルをお借りしようと、スタッフの方に声をかけました。
そうしたら



おおっ
選択権があったとは・・・。
新事実の発見にちょっぴり感動しつつも
思わずいつものクリップペンシルを選んでしまったのろ。
一度きりの人生、もっと冒険的に生きられないものか。

それはさておき
最初のセクションは「写実主義と近代市民生活」。
のっけから、コローのすばらしい人物画泉のそばのジプシー嬢が迎えてくれます。

叙情的な風景画の名手として知られたコローですが、人物画は生前たった4枚しか発表しなかったとのこと。
これはのろにとっては驚きであり、また甚だ合点のゆかぬことでございます。
以前にも申しましたように
ワタクシはかの銀灰色にけぶる風景画よりも、内省的なおもざしの人物画のほうが
よりいっそう素晴らしいと思うからでございます。

コローの風景画は現実の風景に即しているとはいえ、桃源郷の日常を遠くから眺めているような雰囲気を発しております。
それが、かの豊かな詩情にもつながっているのではございましょうが
なにかこう、平和な、牧歌的な、ワタクシとは全然何の関係もないウツクシイ世界が描かれている、という印象を
のろは持ってしまうんでございます。
人物画においては、目の前の事物を深く見据えようとする画家のまなざしが、より顕著に率直に感じられますし
もの思いに沈んでいるような表情、なにげないポーズ、
抑制された色づかいの中に置かれたきっぱりと鮮やかな色彩は
銀色のベールに包まれたような、詩あるいは牧歌のなかの世界ではなく、19世紀のヨーロッパという枠さえも超えて
今生きている私自身にもつながっているような親和性を発しているからでございます。

色彩と言えば本展で見られる作品も、背景にごく淡い、くすんだ緑が広がる中
娘の着物の鮮やかな赤が実に印象的でございました。



次回に続きます。