のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ターミネーター ジェニシス』

2015-07-17 | 映画
えーと

退屈はしませんでした。
アクションシーンは出来が良かったと思います。(ただし目新しさはない)
面白い映像もそこそこありました。(まあ2つ以上はあったような気がする)
所々に挟まるユーモアもまあよかった。(”笑顔”シーンは多すぎて食傷)
しかし全体的には「まあそうならざるを得ないよね…もう5作目だもんね…」という展開がずうっと続いて、そのわりにはシリーズとしてはやっちゃいけない事や言っちゃいけないことをサラッとやったり言ったりしているような気がして、頭の片隅で常にツッコミを入れながら鑑賞する羽目に。要するにあんまりワクワクはいたしませんでした。
普通のタイムトラベルSF映画として見たなら、少々の無茶には目をつぶって楽しめたかもしれません。でもこれ、『ターミネーター』なんですよね。確かに「新起動」する話ではあり、それ自体には成功しているかもしれませんが、もはや『ターミネーター』という看板は巨大すぎかつ重たすぎて、どうあがこうとも長引くほどに沈んで行く運命にあるのではないかということを改めて思わしめる作品となっておりました。

さて。
1作目のファンの方からすれば邪道ということになりましょうが、ワタクシは『T2』至上主義者でございます。
より正確に言えば、T-1000至上主義者でございます。
本作を観に行ったのだって、9割がたT-1000を見たかったがためでございす。以前の記事で申上げた通りに。

T-1000ばなし - のろや

そんなワタクシが尋常ならざるT-1000好きとしてのものすごく偏った視点から本作についての不満を述べさせていただきますと。

以下、完全ネタバレでございます。









T-1000になんて仕打ちをしやがるんだばっかやろう!

いえ、イ・ビョンホンはよかったですよ、とってもよかった。本家ロバート・パトリックにも引けを取らない、たいへん結構なT-1000でした。と言いますか、そうなり得た。
ネット上では「T-1000がアジア系である必然性がない」という妙なご意見も見かけましたが、それを言うなら白人である必然性だってないでしょうに。重要なのはT-1000らしさが引きがれていることであって、そのためには俳優がアングロサクソンかアジア系かアフリカ系かといったことは無関係です。
本作のT-1000は不気味さも狡猾さも相変らず、のみならず自らの機体の一部を小道具として扱うことを覚えたなんて!これなら怖さもしぶとさも倍増しですようふっ。

…と思ったのに。
何であんなにアッサリとやられておしまいになるんですか!!
死に方それ自体はよかったと思いますよ。あの盛大な苦しみかたも、ズダボロになってもなお追いかけて来る執念深さも。
しかしそこに至るまでの過程があまりにも短すぎます。いくらサラ・コナー側があらかじめ罠をしかけて待ってたんだって、『T2』であんなにも、あんなにも苦戦したT-1000が一直線にトラップにはまり込んでジ・エンドって、そりゃないでしょう。こんなにも、こんなにもアッサリと片付けられたんじゃ、溶鉱炉に沈んでいったT-800も浮ばれませんですよ。

ええ、わかっております。新型ターミネーターT-3000を華々しく登場させるため、T-1000にはサッサとご退場いただきたかったんでしょう。
でもね、T-3000のマシーンとしての機能って、単にT-1000の焼き直しじゃございませんか?空を飛べるわけでなし、殺人ビームが出るわけでなし、溶鉱炉に落ちたら普通に溶けそうですし、硫酸かけても普通に溶けそうですし、むしろ磁場に弱くなってる分だけダウングレードしてるんじゃありませんこと?

しかも生粋のロボットではないので、喋りも立ち居振る舞いも普通の人間すぎて全然怖くありません。その一方でお茶目さではT-1000には遥かに及ばない。いいことなしじゃございませんか。
悪役とお茶目さの関係については以前の記事で述べた通りでございます。

『スター・トレック イントゥ・ダークネス』および悪役ばなし - のろや

何より、ジョン・コナーをあんなことにしてはイカンでしょう。ジョン・コナー=人類の最後の希望、というブランドを永久に穢してしまったではございませんか。今後もシリーズとして続くからには、これからも《スカイネット/ターミネーター/機械》VS《サラ&ジョン・コナー/人類》という対立の大枠自体は維持されるのでしょう。でも、どんなにサラが奮戦したとしても、また未来世界の人類がどんなに頑張って勝利を収めたとしても、最終的にはジョンがああなっちゃうかもしれないんですぜ。

いやいや待って、最終的にスカイネットが生き残ってジョンをマシーン化することができるなら、そもそも過去に刺客を送り込む必要だってないんじゃございませんか?!するってえと1作目や2作目で文字通り身を粉にして頑張ったT-800やT-1000の努力も完全に無意味だったということに。 まあどっちみち失敗しましたけどさ。
これでは今後のシリーズのみならず、過去の作品までギロチンにかけてしまったも同然ではございませんか。こういう批判をかわすためにも別の時間軸なるものを持ち出したのかもしれませんけれども、別の時間軸とかパラレルワールドって、このシリーズでは少なくともおおっぴらには言っちゃいけないことのような気が。

もういいかげん「新しくてすごい敵」のネタが尽きてしまったというのは分かります。そこで観客の予想を裏切るアクロバットとしてジョンをターミネーター化したのでしょう。しかしここで裏切っているのは観客の予想というより期待でございます。シリーズ物においてかつての敵が今回は味方に!という展開はアリでも、その逆をやって成功した例というものをワタクシは寡聞にして知りません。
ジョンが完全にマシーン化してしまったのではなく、わずかなりとも人間の心が残っていて葛藤するとか、それを見てサラ達も攻撃をためらってしまうとか、そんなのならまだしもよかったのにと思います。その方がジョンの再人間化というこれからの展開が望めましたし。

でもそういう気配はいっさいなしで、救世主という一大ブランドを「怖くない上に磁場に弱い劣化T-1000」におとしめただけでございました。こんなことをするくらいなら、怖くて不気味でなおかつお茶目な上にちょっぴり進化した本作のT-1000をもっと活躍させていただきたかった。そもそもT-1000の使い方にはもっと開拓の余地があると思いますよ。
ああそれなのに「新しくてすごい敵」にこだわったばかりに、中途半端な悪役が幅を利かせ、過去の遺産までないがしろにして。嘆かわしい。

挙げ句の果ては液体金属の大安売りですよ。
2017年のサイバーダイン社が、あとはCPUを装備するだけの液体金属をあんなにたっぷり保有しているのは、もちろんスカイネットの知を供えたジョン・コナーが未来からやって来たせいではありましょう、でもちょっと待って、いくら未来の知識や技術を投入されたとしたって、人類は機械よりも遥かに非効率的な作業者です。その人類が2017年時点でああも潤沢に液体金属を作ることができるなら、2029年の機械世界の支配者であるスカイネットには当然それと同じかそれ以上のものを作れるはずでしょう。それなのに、何故人類との闘いにただの頑丈ロボ(失礼)であるT-800を使ってるんですか?
T-1000が20体もあれば、ジョン・コナーがいようがいまいが楽勝で人類滅亡できるでしょうに。液体窒素と溶鉱炉のセットなんてそうそうそこらに転がってるもんじゃないんですから。どうしてもジョンを消したいなら、過去にT-1000を5体くらい送り込んでおけば、サラがどんなにタフだって生き延びられはしますまい。

何が言いたいかというと、「とんでもなくものすごい技術」であったはずのものをホイホイ使うなってことです。過去作品との整合性という問題があるのはもちろん、この液体金属の件なんて、ひとつの作品の中での整合性もおかしくなっているではございませんか。1984年にタイムマシンがあるのもげんなりしましたけれども、ここは話の都合上目をつぶったとしても、液体金属の安売りはちょっと許せません。

そうそうそれと、T-800からT-1000へのアップグレード。あれもいただけません。
液体金属ターミネーターってのは、冷徹非常な殺人マシーンだからこそいいんじゃございませんか。
そしてT-800は無骨でタフな旧型だからこそいいんじゃございませんか。
なんかもう、色々とガッカリなのです。

そんなわけでワタクシはこの作品を、ワタクシの中ではなかったことにしてしまいたいのです。『ジュラシック・パーク』の2や3のように。
しかしなかったことにしてしまうには、T-1000が素敵すぎるのです。フロントガラスの割れ目からにゅり~んと出て来て足から再生!とか、壊されたT-800に自分の断片をひとたらしして再起動!とか(ラストの伏線だったのはかえって残念)、立去ったかと思ったら壁越しにグサー、とか、そりゃもうホレボレですよ。欲を言えば、『T2』ラストのサラ擬態を再現したついでに「ちっちっち」も再現して欲しかったですね。そして「ああ、ちっちっちはT-1000の標準装備なのか」とほんのり笑わせてほしかった。

新シリーズ起動というからには、数年後にはまた新作『ターミネーターうんたら』が世に出ることになることになるのでしょう。本作の出来映えを見てしまうともはや次回作には何の期待もできません。それでもT-1000がちょっとでも出て来るなら、やっぱりいそいそと観に行ってしまいそう。こういう類のファンが、この遥か昔に倒れた巨人のようなシリーズをだらだらと延命させているような気もするけれど。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

2015-07-12 | 映画
いやはや、サイコーに面白かったのですよ。
何がいいって、臆面もなく世紀末ヒャッハーな所が実にいいではございませんか。

色々すごい改造車!
ひたすら無口な主人公!
地平線の果てまでうち続く荒野!
支配者と被支配者の絶望的な格差!
凶悪を絵に描いたようなヴィジュアルの悪党ども!
地獄のような砂嵐!それに飲み込まれて粉微塵に砕け散る人や車!
火器とチェーンとスキンヘッド!そして火を吹くダブルネックギター!ぎゅわわ~~ん!

でもって登場人物が揃いも揃ってまんべんなく熱い!
タフガイが熱い!
ヘタレ男だって熱い!
女たちも熱い!婆さんも熱い!
敵のザコどもまでが、思わず応援したくなる程に熱い!
生まれつき眼球がないっぽいギター弾きだの、ヴェルディのレクイエム背負って2丁マシンガン打ちまくるイカレ野郎だの、敵ながら死んじまうのが惜しいほどのはじけっぷり。


↓は本作の魅力が3分に凝縮されたミュージックビデオ。どのトレーラーよりもよくできていて、何度でも見てしまいます。

MAN WITH A MISSION×Zebrahead 『Out of Control (MAD MAX: FURY ROAD Ver.)』


話の筋はいたってシンプルで、要するに行って帰って来るだけなのです。しかし見ごたえあるアクションとメリハリのある展開、殺伐としているのに奇妙に美しい画面、そして濃いいキャラクターたちのおかげで1秒たりとも飽きることがありませんでした。むしろ筋立てが簡素であるがゆえに、過剰なまでにヒャッハー要素てんこ盛りであるにも関わらず、全体としてはとても引き締まった印象の作品でございます。

もののデザインも、砦や車といった大物から装身具などの小物まで、いちいち説得力があって結構でしたし、本筋とはあまり関わらないような細部の演出もよろしかった。とりわけグッと来たのは、オアシス村の生き残りである婆さまの1人が、大事な植物の種をナップザックや単なる箱ではなく手提げバッグに入れて持ち歩いているという細やかな設定。まあ女性が普段使いにするようなハンドバッグよりはかなり大きな代物ではありましたが、手許でそっと口を開く手提げバッグの形態は、あのマッチョ&マッドな世界においては思いがけなくフェミニンな小物に見えました。それはかつてのオアシス村やもっと少し生きやすかった時代を象徴するかのようでもあり、婆さまの女性としての矜持を示すささやかな砦のようでもあったのでした。

そうそう、女たち。
とても意外だったのが、女性の描かれ方でございます。実質的な主人公はマックスというよりも片腕の女戦士フュリオサでしたし、他の女性たちも単なるお飾りではなく、しっかりとストーリーを支えかつ廻しておりました。タンクの蔭で水浴びする薄着の女性たちが登場した時は「あー、守られ要員か」と思いましたし、実際初めのうちはあんまり役に立たなさそうに見えましたけれども、話が進むに連れて彼女たちも本格的に闘いはじめるんでございますね。それが例えば大勢の敵の一人をフライパンで殴ってやっつけた、という程度のものではなく、彼女らと、途中から仲間に加わる婆さまたちがいなかったら、マックスもフュリオサも生き残れなかったであろうという程の実際的な活躍でございます。無駄なお色気ショットもなし。またイモータン・ジョーの砦で”搾乳”されていた女性たちがラストで果した役割も、象徴的でよろしうございました。

そうはいっても『マッド・マックス』なので、ほぼ最初から最後までバイオレンスバイオレンスヤッホーヤッホーで突き進むわけですが、目を背けたくなるような描写はございませんでした。間口の広いエンタメ映画における暴力描写の作法をわきまえてらっしゃると申しましょうか。そういう点では、軽いノリとは裏腹に残酷な描写が多かった『キック・アス』などよりも、よっぽど安心して観られる作品でございます。昔のシリーズはもっと描写がエグかったような気がするのですが、どうでしたかしら。3作とも観たわりにはあんまりよく覚えていないのですが。

さて、作品の世界観を体現するようなタフガイでありシリーズそのものを象徴する主人公であるマックスは、外からやって来てコミュニティに救いをもたらしたのち去って行く、という西部劇的なヒーローの役割を演じます。実質上の主人公であるフュリオサは、その強い目的意識によって物語を牽引し、様々な苦難を乗り越えたのちに目的を遂げるという英雄物語的な人物を演じます。象徴的主人公であるマックスと実質的主人公フュリオサが共にタフで寡黙で英雄的で感情の起伏を容易には表現しないのに対し、主要登場人物の中で唯一よく喋るハイテンションヘタレ男のニュークスは、そのヘタレっぷりと純朴さゆえに最も共感し易いキャラクターであり、それゆえにその行く末はとりわけ胸に迫るものがございました。

独裁者イモータン・ジョーを崇拝し、自らの華々しい死と栄光の来世のことしか頭になかったニュークス。些末な道化であり狂言回しであった彼が挫折と立ち直りを経て妄信を捨て、最終的には他者の幸福を願って英雄的な行動を取るに至った流れは一種の成長譚であり、その点ではマックスやフュリオサ以上に、立派に主人公していた奴だったのでございます。おバカさとイノセンスと一抹の悲哀を体現して愛すべきキャラクターに仕上げたニコラス・ホルトの演技もまた、危機にあってもデキる男のオーラ漂うトム・ハーディや飽くまでも凛としたシャーリーズ・セロン(欲を言えば二の腕にもうちょっと筋肉つけてほしかった)に引けを取らない名演であったと申せましょう。個人的に好きなシーンは序盤でマックスに一瞬協力して、マックスの拳銃に弾をこめる所。
ちなみにコミック版ではニュークスのオリジンが語られているようですが、これ見ると名前の発音は「ナックス」が正しいようです。

Mad Max Fury Road - Origin of Nux


そんなわけで大満足の作品だったわけでございますよ。
これもやっぱり3部作くらいになるんでしょうかしら。
1作目がこんなにも素晴らしいと、続編はもう下降線を辿るより仕方がないのではないかと心配になってしまいますけれども、心配しつつも首を長くして待ちたいと思います。


かゆかゆ報告

2015-05-26 | Weblog
お久しぶりでございますかゆ。

この春からやらねばならないことが若干増えまして、時を同じくして職場が変わって色々と新しいことを思えねばならず、そのせいかどうか判りませんが皮膚炎がちょっと悪化しまして、かゆかゆの日々でございます。
消耗することしきりでものを食べるのも面倒くさい。まあこれは前からなんですが、このところ面倒くささがいっそう高じまして、動かないので筋肉も落ち、肘を握ると親指と中指がつくような状態になってしまいました。これがもうちょっと進むと、顔やら背中やら耳まわりやらにふさふさと産毛が生えて来るのです。そのくらいになると体もやたらと軽いし、拒食ハイになるので精神的にはむしろ楽です。しかし生物としては危ない状態らしいので、今の無気力状態の方が社会における戦力としてはたぶんまだマシな方なのです。

そんなわけで全般的にやる気ないない状態なのですかゆ。

とはいえそろそろ新しい環境にも慣れては来(ていてほしい)、せっかく長いこと続いて来たブログでもあるので、どうにかこうにか続けようとは思っております。かゆかゆ。

せめて食い気だけでももとのレベルまで復旧することを期待して岡本かの子など読んでみたり。

岡本かの子 家霊
岡本かの子 鮨

ああ、しかし子供の時分に湊が焦がれたという「空気のような喰べもの」の方が心惹かれるなあ。食べるのが楽そうだから。飲み物だったらもっといい。

かゆ。

そうそう、全然関係ないんですが、『パレードへようこそ』はとっても、とってもいい映画でしたよ。お住まいの地域でまだ公開中なら、ぜひともお運びくださいませ。笑って泣いて考える、ほんとに素敵な映画。大大お薦めです。

20年その2

2015-03-29 | 美術
こちらで初めて訪れた展覧会は大丸ミュージアム京都で開催されていた『ブライアン・ワイルドスミス展』でしたが、これは確かワタクシの入学&一人暮らし準備のためこちらに来ていた母親と一緒に行ったもので、一人暮らしを始めてから行った最初の展覧会が何であったかは思い出せません。京都の大丸ミュージアムは、この頃はサッパリなりをひそめてしまいました。かつては質の高い展覧会を年に何度も催してくれたものですが。ミュージアムと言えば、郷里の函館にはこぢんまりとした市立美術館がひとつあるぐらいなものでしたから、京都では市内に美術館が幾つもあることにも、大規模な展覧会がデパートの一角で開催されることにも、いちいち驚いたのでした。

この20年で京阪神の美術館事情も大分変わりました。京都ではミュージアム「えき」京都細見美術館が開館し、まだ行ったことはありませんが、京都国際マンガミュージアム もできました。苔寺にほど近い池大雅美術館へは、自転車で2度行ってみたものの、開館している雰囲気が全くございませんで、ワタクシもたいがい小心者なので中へ声をかけることもできず、2度ともすごすご帰って参りました。そうこうしているうちに美術館は一昨年閉館してしまいまして、コレクションは京都文化博物館へ寄贈されたとのことです。

その文博も、また京都国立博物館も、近年大きな改修を経て色々と変わったわけですが、この3年ほど、年初の3ヶ月は改修工事の為に閉館してしまう京都国立近代美術館は、外観も内装も特に変わっていない様子。何でも空調設備関連、つまり見えない所の工事なのだそうで。「改修工事のため閉館」のニュースを聞いたときは、てっきりあの妙な位置にあるエレベーターを正面階段の横あたりに持って来るんだろうと思ったのですが。3階の会場へどうぞ、と案内されて、エレベーターから出たらいきなり最終展示室、ってどうしたって導線がおかしい。
お向かいの京都市美術館も大きな変化はありませんが、あの寒々としていたトイレが上下階とも改善されたのはたいへん嬉しいことです。それにしても1933年築、つまり今年で82歳になる市美は年月を経ても全然変わらないように見えますのに、1986年築で今年29歳の近美の方は、この20年でずいぶん老け込んだような印象があります。不思議なものです。

大阪では、国立国際美術館が吹田の万博記念公園から中之島に移転したのが、何といっても大ごとでございました。展示室が全て地下になると聞いたときは気に入りませんでしたが、この美術館が街中に引越して来てから、行く機会がグンと増えました。何せ万博記念公園は行くのが大変でした。
というわけで万博記念公園時代の国立国際美術館には、決して足しげく通ったとは言いがたいのですが、行った展覧会の中で一番印象に残っているのは20世紀版画の巨匠 浜口陽三展です。点数、内容ともに素晴らしく充実していて、今思い出しても幸福になるような展覧会だったのです。にもかかわらず、平日だったとはいえお客さんがごくまばらであったのは、やはり場所がよろしくなかったのでしょう。リンク先の「入場者総数」を見ますと、中之島に移転した2004年とそれ以前とでは入場者数が文字通り桁違いですもの。

それからもうひとつ、大阪美術館事情における大事件と言えば、サントリーミュージアム天保山の閉館でございましょう。これについては以前の記事で書きました。

さよならサントリーミュージアム - のろや

ここも京都から行くとなるとちょっと大変ではあったのですが、海に面したロケーションはとても気持のいいものでしたし、わざわざ足を運ぶだけの価値のある展覧会を開催してくれたものです。現在は大阪文化館・天保山という看板に架け替えて、影絵の藤城清二や人気漫画といった、お客入りのよさそうな企画をやってらっしゃる模様。5月10日までの『魔女の秘密展』にはワタクシもぜひ行きたいと思っております。企画展のラインナップを見て、何だか俗っぽいというか媚びた感じになったなあと、うっすら残念に感じた頃もありましたけれども、またあの建物を訪れることができるのは、何にしても嬉しいことです。

閉まったのがある一方で新しくできたのもあり、去年あべのハルカス美術館が開館しました。地下鉄の駅からすぐというロケーションは、まあ行きやすいと言えば行きやすい。建物まで着いてから美術館のある16階に上がるまでの道のり(というかエレベーターの場所)が判りにくくて難儀しましたが、入ってしまえば普通のビル内美術館ではあります。開館以来コンスタントに展覧会を開催してらっしゃいますし、テーマも幅広く、なかなかに意欲的な美術館なのではないかと。
ただワタクシは大阪の街中の喧噪と地下鉄の空気がどうにも苦手なものですから、おそらくこの新しい美術館はワタクシの中で大阪市立美術館と同様の位置づけ、即ち、よっぽどよっぽど見たいものが出ている時のみ足を向ける場所になるような気がしております。

街中の美術館といえばキリンプラザ大阪およびそのギャラリーの閉館も、おそらくは大きな出来事だったのでしょう。『日曜美術館』で取上げられたくらいですから。ワタクシはたった1度、『その男・榎忠』展に行ったきりですので、ここについて語れるような思い出はございません。TVのない今ではもちろん『日曜美術館』を見ることもなくなりました(何でいまだに受信料払ってるんだろう)。ちなみに桜井洋子アナ&大岡玲時代と石澤典夫アナ&緒川たまき時代が好きでした。というかずっと石澤さんでよかったのですが。

さて2002年に開館した芸術の館 兵庫県立美術館は導線が悪いともっぱらの評判ですが、ワタクシの好きな美術館のひとつです。何といってもあの、企画展示室前の階段がよろしい。まずチケット売り場斜め前の、外光の明るく差し込む階段をたんたん上り、角を曲って一転、四方を壁に囲まれた吹き抜け階段をまたたんたんと上っていくにつれ、ワクワクと期待が高まります。「たどり着くまでのワクワク感」ってのは大事なもんです。それだけに、ホドラー展を観に行った折、かつては船のデッキのような板張りで、歩くだけでも楽しかった美術館前の歩道橋が、のっぺりしたコンクリート張りになっていたのにはガッカリしました。かなりガッカリしました。木材の腐食が進んで、張り替えるだけの予算がなかったということなのでしょうけれども。


そんなこんなで20年も経ってしまいました。そんなこんなったってこんなに長生きをするつもりではなかったのですが、何せ怠惰な上に意気地がないので何となく生き延びてきてしまったわけです。何という罰当たりであろうとは自分でも思うのですけれども、何故か今日まで罰に当たりもせずのうのうと暮しております。

そんな次第です。



20年

2015-03-20 | Weblog
一人暮らしを始めてから、今日でちょうど20年になります。
うららかで天気のいい日でした。朝のうちに16インチのテレビデオが部屋に届き、配線を繋いでスイッチを入れ、最初に映し出された映像が地下鉄サリン事件で騒然とした霞ヶ関駅出口の様子でしたから、日付は間違えようがございません。

あの当時は三条河原町に駸々堂が、もう少し南には丸善が店を構えておりました。函館から出て来たのろさんは、本屋さんといえば基本的にデパートの一角にあるもの、という認識でしたから、「建物まるごと本屋さん」である丸善やジュンク堂には眼もくらむ思いでしたし、駸々堂のフロアの広さを見ては、別世界に来たような心地がしたものでございます。
その年に駸々堂で購入したグスタフ・ヤーノホ著『カフカとの対話』(ちくま学芸文庫)と、丸善で購入したオリビエーロ・トスカー二著『広告は私たちに微笑みかける死体』は各々の書店でかけてもらったカバーもそのままに、今もワンルーム拙宅の書棚に納まっております。丸善の洋書部門でスティーブン・バーコフの朗読カセットテープ付『Franz Kafka The Transformation and Other Stories』を見付けたときのワクワク感も忘れられません。まあ特装本でも何でもない、造本はおろか紙質も良いとは言えないペンギンブックスのペーパーバックなんですけれども、何せバーコフの朗読が素晴らしいのです。今も時々、作業のBGM的に聞いております。今の三代目ラジカセ氏にはカセットデッキがないので、MP3に変換したやつを。こんな所にも時代の変遷を感じます。


京都に来て初めて観た映画が何であったかは思い出せませんが、公開日の日付からして『レオン』かもしれません。スカラ座だったかしらん。観た時は感動しました。観た時は。
映画といえば、繁華街に大きな映画館がいくつも密集しているのにも驚きましたが、ワタクシにとって何といっても新鮮だったのは、ミニシアターなるものの存在でございました。特に今はなき「朝日シネマ」には何度も足を運んだものですが、これについては以前の記事で書きました。

なくなった映画館2 - のろや

今もしばしば足を向ける「みなみ会館」で、人生で初めてオールナイト上映を体験したのもおそらく1995年のことであったかと。シュヴァンクマイエルの『アリス』に始まり、『ヘンリー ある連続殺人鬼の記録』、『不思議惑星キン・ザ・ザ』、そしてルネ・ラルーの『ファンタスティック・プラネット』で締めというカルトな企画、その名も「ファンタスティック・カルト・ナイト」。春に近所の自転車屋さんで購入した7000円くらいの自転車(初代琵琶湖一周チャリ氏。数年後、うっかり鍵をかけ忘れた夜に盗難される)を飛ばして時間に余裕を持って行ったつもりが、着いてみれば何と劇場の外まで──階段を降りきってパチンコ屋さんの前まで──続く長蛇の列。「夜中に映画を観に来る人たちがこんなにいるなんて!」とカルチャーショックを受けたものでございます。
予想外の盛況に、どうにかこうにか会場には入れたものの、始めの2本は立ったまま観なければなりませんでした。これで座ったらたちまち寝てしまうのではないか、と少し不安だったものの、何しろ『キン・ザ・ザ』は眠気など跡形もなくぶっ飛ばす大傑作でしたし、あの頃のみなみ会館の椅子はクッションは固いし背もたれは低いしで、あんまり眠気を誘うような代物でもありませんでしたので、そのおかげもあってウトともせずに完徹することができました。あのいかにもレトロでちょっと無愛想な椅子、ワタクシはわりと好きでした。

振り返れば、この20年でみなみ会館も色々と変わりました。足が遠のいた時期もあり、手放しで全てがよくなったとは言えないかもしれません。しかし運営体制や上映作品の傾向が多少変わろうとも、マイナーな作品の上映や特集上映を積極的に企画してくれるという点でたいへん貴重な映画館であることは疑いを容れません。それにあの無理矢理感のあったトイレが近年大幅に改善されたのは、本当にありがたいことと思っております。

何となく続きます。

ばたばた×3

2015-03-18 | 
4月から別の職場で働くことになりまして、気分的にちとばたばたしております。


それとは全然関係ないことですが、今月から、ワタクシが翻訳させていただいた『The Bone Folder』という作品がNPO法人 書物の歴史と保存修復に関する研究会のHPで順次公開されることになりました。

「製本家と愛書家の架空対話集」である本作、原作は1922年にドイツで出版されたものでございます。それを米国在住の製本・修復家であるPeter D. Verheyen氏が2010年に英訳し、Web上で公開されていたものにワタクシが偶然行き当たったことから、この度の日本語訳公開の運びと相成りました。全くの無名&見ず知らずのワタクシごときの申し出に快く応じて下さり、色々とご協力いただいているVerheyen氏には厚く御礼申上げる所でございます。

書物の保存・修復のための研究室 laboratory for preservation, conservation, restoration

お読みいただいた皆様、対話にしてはいやに文章が堅苦しいなとお思いんなったかもしれません。言い訳を言わせていただければ、もともとの原文が「書かれた時代の作文傾向を反映して、魅力的ではあるがいささか堅苦しい教科書調のトーンで書かれている」(Verheyen氏いわく)のです。しかしもちろんワタクシの悪文力のせいが大きいことは否定しようがないのであって、その点、原作者ならびに英訳者に対してまことに申し訳ない思いでおります。ちなみに原作者のErnst Collinについては、最終回にご紹介する予定になっております。英文でお読みになりたいかたはVerheyen氏のサイトでどうぞ。

で、翻訳は一応全部できているのですが、一緒に掲載する画像の準備がそれなりに大変だったりして、これまたちとばたばたしております。


それとはまた全然関係のない話なのですが、何故かこのタイミングで青空文庫の入力作業に携わることになりました。何でだ、何で今なんだのろ。だって思い立ってしまったんですもの。というわけで水滸伝ファンの皆様、じきに弓館芳夫の痛快名調子に小杉放庵の飄逸な挿絵のついた70回本『水滸伝』がWeb上で読めるようになりますによって、乞うご期待のこと。

『ホドラー展』1

2015-03-13 | 展覧会
野良上がりのデブネコたちがごろごろしている所でロッキンチェアをゆらしているキアヌ・リーブスの膝に乗って人生相談めいたことを話している、という夢を見ました。いやそこはむしろヒューゴ・ウィービングでお願いしたいんですが。

それはさておき

フェルディナント・ホドラー展  兵庫県立美術館へ行って参りました。
展示室に入ってすぐの壁面には、画家自身や同時代人の言葉とともに写真が掲示されております。その内の1枚に、山高帽を被り、小太鼓を肩からぶら下げ、ばちを高々と構えた画家のおどけた姿が。どういう状況で撮られたものなんだかサッパリわかりませんが、なんとも微笑ましい。こんなお茶目な方だとは思いませんでしたとも。

冒頭に展示されているのはアルプスの夕景色を描いたドイツロマン派っぽい風景画でございまして、ええとホドラー展でしたよね,とちょっと戸惑いますけれども、これは土産物用の風景画工房で働いていた頃の作品なのだそうで。お茶の間のフリードリヒとでも言いましょうか、ご家庭の居間や書斎に飾ってありそうな観光絵葉書風の作品で、後年のホドラーを予感させる要素はほとんどございません。
しかしそこから振り返ると、向かいの壁には小品ながらすでにかなりホドラーホドラーしている『小さなプラタナス』tが。澄明な青空を背景にパキッと切り抜いたように描かれたか細いプラタナスと、遠近がある筈なのに妙にフラットに見える地面。坂崎乙郎氏のお言葉を借りれば「自然を描きながら、どこかしら非自然を感じさせる作品」(『夜の画家たち』p.79 平凡社ライブラリー)でございます。

その後リアリズム寄りの人物画や風景画を経て第三室へ進みますと、いきなり『傷ついた若者』やら『オイリュトミー』やらが現れまして、これよこれこれホドラーさん来たああ!と一気にテンションが高まります。


『傷ついた若者』(1886年)

陰鬱な岩山と野原を背景にパキッと切り抜いたように描かれた若者像。この人、のちの作品『夢』分離派展のポスターにも、なんとも唐突な感じで登場なさいますね。

右足の下に陰がなく、不自然なほどくっきりと内股のラインを見せているせいで、体の右半分が地面から浮いているように見えます。画家がそれに気付かなかったわけはないと思うのですが。いや気付かないどころか、右足と地面とが接しているきわの部分が、ことさら双方の境界を縁取るかのような筆致で描かれているのを見ますと、あえて不自然さを醸し出そうとしたのかとすら疑われる所です。
不自然と言えば、正面からフラッシュでもたいたような陰影の浅さもちょっと不自然。それに若者のかたわらに描かれていて、この絵の文脈を説明するはずだった「よきサマリア人」の姿を、画家はわざわざ塗りつぶしてしまったというのです。

その結果、絵としてのまた現実の風景としてのリアルさも、物語性も剥ぎ取られた「頭から地を流して草原に横たわる裸同然の若者」という奇妙な絵が成立することになりました。この絵の向かいには、「さまよえるユダヤ人」という物語性と「苦難の道を歩み続ける芸術家」というとりわけこの時代にありがちな象徴性とを背負わされた作品、『アハシュエロス』が展示されているのですが、この二作品、モチーフもその料理の仕方も、同じ年に描かれたとは思えないほど対照的でございます。


だらだら書いてまた途中で挫折しそうな雰囲気になって来ましたので、ここで一旦投稿します。

『月映(つくはえ)』 田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎 ―木版にいのちを刻んだ青春

2015-02-26 | 展覧会
このところ、やりかけたものの途中で力つきるということが非常に多くなっております。

それはさておき
和歌山県立近代美術館で開催中の『月映』 田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎 ー木版にいのちを刻んだ青春へ行ってまいりました。

いやあ素晴らしかった。こんなに充実した展覧会が、コレクション展を含めてたった510円で鑑賞できるなんて。まあ行き帰りに3000円くらいかかりましたけどさ。和歌山近美は建物も結構ですし、内容・点数ともに充実したいい企画展をやってくれますので、ワタクシ大好きな美術館です。それにしてもいつ行ってもガラガラと言っていいほどお客さんが少なくいので、いくら県立といえども経営状態が心配になります。近隣諸県の皆様、日帰り小旅行に和歌山近美、お薦めですよ。向かいに和歌山城もありますし。

それもさておき
タイトルにある『月映(つくはえ)』(大正時代に田中・藤森・恩地が発行した版画と詩の同人誌)のみならず、友人同士であった三氏のやりとりした直筆画入りのハガキや、『月映』の前身とも言える回覧雑誌『ホクト』や『密室』まで展示されておりました。いや眼福眼福。
浮世絵や木口木版のようなごく繊細なものは別として、木版画は技法がプリミティブであるが故に、それならではの素朴さや力強さがございます。西洋中世の木版画などを見て感じることですが、この木版画独特の素朴さ・力強さは、時には(とりわけ狙っているわけでもなかろうに)作品を妙にユーモラスに見せ、また時には(やはり狙っているわけでもなかろうに)怖さというか、得体の知れない、底の深いおどろおどろしさを醸し出すものでもあります。それは他の技法に比べて、線の荒さ、掘り残しや刷りのかすれ具合、紙に加えられた圧力の可視性といった、必ずしも制作者の意のままにはならない要素が大きく働くからではないかと思うわけですが、近代以降の、芸術作品として制作された木版画の場合、その不如意な部分をかえってうまく利用した表現がなされており、本展でもそうした奥深い表現の数々を見ることができました。

三者の中で最もよく知られているのは、おそらく萩原朔太郎と絡みのある田中恭吉で、その次が装丁家としても活躍した恩地孝四郎、そしてただ1人Wikipediaにも項目がないというありさまの藤森静雄はあんまりメジャーではないようですが、ワタクシはこの三者の中で一番好きです。


藤森静雄『自然と人生』

シンプルで大胆な画面構成、てらいのない線と面で表現された量感や明暗、モチーフも描写もぎりぎりまで切り詰めた寡黙な画面は、その優しい色調にもかかわらず、尾崎放哉の句のように心にぐさりと突き刺さって来ます。藤森に比べると他の2人は自分の心象を表現してやろうとがつがつしすぎなように感じられるのですが、これは個性の違いであって作品の良し悪しという問題ではありません。それに恩地は完全に抽象表現に移ってからは、饒舌さがなくなってカッコイイのです。

ところで1914年以降の藤森の作品には、ベックリンの『死の島』からの援用とおぼしき人物像がしばしば登場します。↓の作品の中では、『夜』『あゆめるもの』『水平線』『我はつねにただ一つの心のみ知る』などがそうです。

独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索

ベックリンは時にぎとぎと描きすぎて悪趣味に陥ることもないではなかった画家ですが(これとか、これ)とか、その対極とも言えるほど静かで内省的な藤森の表現に影響を与えたとすれば、なんとも面白いものです。
その登場頻度から見ても、作品中の位置づけから見ても、この人物像は作中における藤森の分身であろうと思われます。結核が猛威を振るった明治大正時代のこと。藤森自身は1943年、51歳まで長らえましたが、1914年の末には17歳の妹が、その翌年には盟友である田中恭吉が23歳で世を去っています。死を身近に感じながらひとり歩む身の不安や孤独、それでも歩まねばならないという決意を、このシルエットに託したのでございましょう。

大正時代はデカダンな一方で芸術に対する真摯な熱もあり、斜に構えたようでいてまっすぐな、悶々としつつも柔軟な、華やかなようで影のある、何かこう「青年」じみた雰囲気がございますね。その時代にまさに青年時代を送り、版に命を刻み付けるように表現した三人の作品展、本当にいいものを見させていただきました。

コレクション展も見ごたえがありました。寄贈コレクションの中には鴨居玲の「LOVE」シリーズの一点が。LOVEという標題でありながら、むしろムンクのいわゆる『吸血鬼』を連想せずにはいられない、鮮烈で不気味な作品でございます。今年は画家の死後30周年にあたるわけですが、また回顧展でもやっていただけないものでしょうか。

現代日本の若手作家が集まったコーナーでは、大西伸明さんの蚊取り線香の美しさに打たれました。

ART遊覧: 大西伸明展

まあそんなわけですっかり鑑賞レポートが遅くなってしまったわけですが、次回展『和歌山と関西の美術家たち リアルのリアルのリアルの』もかなり面白そうです。近隣諸県の皆様、和歌山近美、お薦めですよ。

年賀状2015

2015-02-06 | Weblog
今年の年賀状はこんなんでした。松の内に間に合いませんでしたので、寒中見舞いとして出しましたけれども。



はい、電気羊でございます。
いっそ片手に鳩を持ったルトガー・ハウアーのイラストに「2015」とだけ入れたデザインにしようかとも思いましたが、年賀状を出す知人にこのネタを分かってくれそうな人が1人もいないので断念しました。

Love&Peace。
下絵の製作中からすでに虚しさ満点ではあったわけですが、ここへ来てますます虚しさがつのり、彩色も遅々として進みませんでした。
そうはいっても、そうはいっても。

というわけで2年前の記事でご紹介した歌のエルヴィス・コステロ・バージョンを。

Elvis Costello Hosts Letterman and Sings "What's So Funny 'Bout Peace Love & Understanding"


悪意に満ちたこの世界を歩き続け
狂気の闇の中で、光を探し求めながら
僕は自問する。もう希望はないのだろうか?
この世には苦しみと、憎しみと、惨めさしかないんだろうか?

そのたびに僕は考える。
ひとつ知りたいことがあるんだ。
平和、愛、そして理解。それのどこがおかしいっていうんだ?

2014年度『日展』

2015-01-12 | 展覧会
相変わらずやる気のなさMAXで記事の投稿が遅れまくりでございます。

それはともかく
京都市美術館で開催中の『日展』へ行ってまいりました。

印象に残った作品と作家さんをメモ的に挙げておきます。
日展のサイトで作品が見られるものはリンクを貼りましたが、実物と比べてがっかりするほど平板で、色彩的な魅力も乏しい画像になってしまっております。

・村山春菜「記憶:KYOTO」(日本画)
こちらで見られます。→公益社団法人 日展(日本美術展覧会)- 主な作品
村山春菜さんの絵は大好きなのです。2009年の日展で初めてその作品にお目にかかって以来、毎年楽しみにしている作家さんの一人です。
勢いと執拗さが渾然となった、ゴトゴトと力強くてちょっと猥雑な感じがたまりません。
同時代ギャラリー 村山春菜

当ブログ内での関連記事はこちら。
『日展』2 - のろや
2009日展2 - のろや

・鵜飼雅樹「椅子」(日本画)
こちらで見られます。→公益社団法人 日展(日本美術展覧会)- 主な作品
白い背景に椅子のシルエットが3つだけ。
ものすごくよかったのですが、どういいのか言語化するのが難しい、切り詰めた詩のような作品でした。

・上田とも子「ときめく街へ」(日本画)
上田さんの作品も以前の記事でご紹介したことがありました。
2009日展2 - のろや
都市特有の幾何学的な美、というモチーフ自体は現代日本画ではわりとよく見かけますけれども、上野さんの作品はものやわらかな押さえ気味の色彩がとても美しく、かつ描写に妙なてらいがないところが大きな魅力でございます。人間が作り、行き交い、生活していく場である「都市」というものの体温、そして視覚的な面白さを、冷静に、かつ愛情を込めて表現してらっしゃる感じがなんとも。
Art Annual online 上田とも子「美しき街」

・生島潔「It goes on-時間は続いてゆく」(日本画)
こちらで見られます。→東信ジャーナル[Blog版] | ◆「日展」2014「改組新第1回日展」 生島潔さん(56)が日本画で特選!=長野県上田市浦野= リンゴを見つめる自身の姿を描く!
象徴的な作品ながらあれこれ語りすぎない所がよろしいと思います。量感のある描写、虚をつかれたような男の表情、落ちかかるリンゴの鮮烈な赤に目を奪われる作品でした。


・李暁剛「井」(洋画)
こちらで見られます。→公益社団法人 日展(日本美術展覧会)- 主な作品
日展で目にするスーパーリアル系の人物画は、実を言うとそんなに心惹かれないものが多いのですが、これはグッと来るものがありました。早朝あるいは夕方の斜めに差し込む日差しの中、異国の女性が井戸で水汲みをしております。鈍く光る金属のバケツを片手に腰を屈め、巻き上げ用のハンドルに手をかけた女性の、その姿勢の確かさ。日常の中で何度となく繰り返されてきたであろう動作を、その繰り返しの日々ごと描き込んだような誠実な描写がとても美しく、胸を打つ作品でした。
李暁剛(リシャオガン)の世界

・森田隆司「どこに行く?」(陶芸)
これは...「ザムザ氏の散歩」へのアンサー陶芸でしょうか。イソギンチャク的、ナマコ的、あるいは巻貝的な形状の、ヘンテコリンな物体が、やさしい乳白色のからだをくるりんと外巻きに丸めて、そっくりかえっております。ぱらぱらと放射状に伸びた足(?)のリズム感が心地よく、仰々しさはまるでなく、何だかとぼけていて、変に可愛らしい。展示室内を移動しながらもたびたび振り返って見てしまう可愛らしさ。日展の会場ではあまりお目にかからないタイプの作品であったように思います。
森田 隆司 | 京都山科・清水焼の郷 清水焼団地


・坂本健「奪われた十の言葉」
こちらで見られます。→公益社団法人 日展(日本美術展覧会)- 主な作品
どこかエル・グレコの描いた人体を連想させる像でございます。極端に大きく反り返った姿勢、力なく垂れ下がる両腕、ふくらはぎから鋭く細まった痛ましくも強靭な足首、天を仰ぎながらも閉じられたままの瞳。大声で泣き叫ぶのでもなく、苦痛に顔を歪めるのでもない、深く激しい苦悶の佇まい。


そんなわけで
よい作品と巡り会うことのできた今回の日展ではございましたが、毎年楽しみにしている古澤洋子さんの作品が展示されていなかったのは、実に残念なことでした。出品はされているのに、何故京都に来なかったんだろう。