村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社文庫、2004年)
村上春樹の小説はこれまで『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『ノルウェーの森』『スプートニクの恋人』『羊をめぐる冒険』『海辺のカフカ』などを読んできたけど、『ダンス・ダンス・ダンス』が一番気に入った。彼の作品にはどれも深い絶望感が漂っていて、この小説もそれは同じなのだが、羊男が隠れ住む「イルカホテル」の深い闇の支配する世界が圧倒的に作り出す恐怖に打ち勝って、弓由さんと一緒に手をつないで「こちらの世界」で生きていく決意をするところで終わっているところに、なにかしら明るいものが感じられて、『羊をめぐる冒険』とか『1973年のピンボール』の出口のない世界から抜け出たのだろうかという感想を抱いている。
キキとイルカホテルの執拗な夢、札幌行き。札幌での弓由さんとの出会い、彼女が語るイルカホテルのなかに時おり現れる闇の世界、そして羊男との再会と生の勧め、札幌の映画館で旧友の五反田の映画のなかにキキを観たことから五反田との再会と付き合い、そして彼を仲介したメイとの出会いと彼女の死、そして重要参考人として数日間警察に拘束されたこと、雪との出会いとハワイ旅行、そしてそこでジュンとの出会い、キキらしき女性との遭遇と彼女を追っていった先での不思議な骸骨の部屋、雪の母親の雨と片腕の詩人ディック、そして彼の交通事故死、五反田がキキを殺したという雪の透視、それをめぐる話をした夜の五反田の自殺、弓由さんとの再会と合体。
イルカホテルの17階で体験した闇の世界の恐怖を弓由さんが語る場面はスリル満点で読んだし、そして「僕」が彼女をマンションまで送っていった時の玄関でのやりとりには思わずこちらの心臓も高鳴り、彼女の誘いを断って帰る「ぼく」に「やっぱそうだよね」などと訳のわからない同意を感じた。雪とのやりとりには、60年代のジャズを知らない私にはこんな芸当はできないなと思いながら読んだし、13歳の美少女に気に入られるなんてさすがだねという感想。「僕」がメイの殺人にかかわって警察に勾留され尋問を受ける場面も、村上春樹がこんな場面を書くなんてと驚きを感じながら、でも何十ページもある調書を書き直すことにさせるなんて、まさにこれこそ「僕」の律儀な生き方をうまく表現していることに感心した。そして最後に、「僕」が弓由さんと再会して彼女とホテルの部屋でセックスし、札幌で一緒に住むというような将来の話をするところにくると、なんだか自分のことのように嬉しくなるとともに、こんなハッピーエンドで終わっていいのだろうか、村上春樹がこんな形で終わるはずがないと不安になり、きっと最後になんかどんでん返しがあるぞとどきどきしながら読んだが、案の定、再び闇の世界に二人が手に手を取って入っていく場面で、気を許したすきに彼女が手を放してしまい、「向こうの世界」に吸い込まれてしまうという場面に「やはりな」とがっかりするが、直後にそれが夢だったことが分かり、「僕」と一緒にホッとして読み終えた。
奥田英朗の『サウスバウンド』のことを書いたときに、読み終わりたくない、いつまでも作品の世界に浸っていた小説があると書いたが、『ダンス・ダンス・ダンス』はいつまでのこの世界に浸っていたいという思いと同時に、早く結末が知りたい、この不安定な状態が早く終わってほしいという、アンビバレントな気持ちを抱きつつ読んだのだった。
たしかに羊男との面談のなかで彼のいうことが非常に哲学的で理解しにくいということはあったが、それまでの小説のように何が言いたいんだろうと首を傾げたくなるような場面はあまりなかった。人は人とつながってこそ生きる価値があるという、たしかにそれ自体では平凡なテーゼがこの小説の主題になっていると言えるかもしれないが、平凡なことを、読者に共感やスリル感を味わわせながら読ませてくれたという意味では、面白い作品だったと思うし、上にも書いたように、村上春樹の作品の中では一番好きになった作品でもある。
何日もかけて読んだのだけど、いやー面白かった。充実した日々でした。
村上春樹の小説はこれまで『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『ノルウェーの森』『スプートニクの恋人』『羊をめぐる冒険』『海辺のカフカ』などを読んできたけど、『ダンス・ダンス・ダンス』が一番気に入った。彼の作品にはどれも深い絶望感が漂っていて、この小説もそれは同じなのだが、羊男が隠れ住む「イルカホテル」の深い闇の支配する世界が圧倒的に作り出す恐怖に打ち勝って、弓由さんと一緒に手をつないで「こちらの世界」で生きていく決意をするところで終わっているところに、なにかしら明るいものが感じられて、『羊をめぐる冒険』とか『1973年のピンボール』の出口のない世界から抜け出たのだろうかという感想を抱いている。
キキとイルカホテルの執拗な夢、札幌行き。札幌での弓由さんとの出会い、彼女が語るイルカホテルのなかに時おり現れる闇の世界、そして羊男との再会と生の勧め、札幌の映画館で旧友の五反田の映画のなかにキキを観たことから五反田との再会と付き合い、そして彼を仲介したメイとの出会いと彼女の死、そして重要参考人として数日間警察に拘束されたこと、雪との出会いとハワイ旅行、そしてそこでジュンとの出会い、キキらしき女性との遭遇と彼女を追っていった先での不思議な骸骨の部屋、雪の母親の雨と片腕の詩人ディック、そして彼の交通事故死、五反田がキキを殺したという雪の透視、それをめぐる話をした夜の五反田の自殺、弓由さんとの再会と合体。
イルカホテルの17階で体験した闇の世界の恐怖を弓由さんが語る場面はスリル満点で読んだし、そして「僕」が彼女をマンションまで送っていった時の玄関でのやりとりには思わずこちらの心臓も高鳴り、彼女の誘いを断って帰る「ぼく」に「やっぱそうだよね」などと訳のわからない同意を感じた。雪とのやりとりには、60年代のジャズを知らない私にはこんな芸当はできないなと思いながら読んだし、13歳の美少女に気に入られるなんてさすがだねという感想。「僕」がメイの殺人にかかわって警察に勾留され尋問を受ける場面も、村上春樹がこんな場面を書くなんてと驚きを感じながら、でも何十ページもある調書を書き直すことにさせるなんて、まさにこれこそ「僕」の律儀な生き方をうまく表現していることに感心した。そして最後に、「僕」が弓由さんと再会して彼女とホテルの部屋でセックスし、札幌で一緒に住むというような将来の話をするところにくると、なんだか自分のことのように嬉しくなるとともに、こんなハッピーエンドで終わっていいのだろうか、村上春樹がこんな形で終わるはずがないと不安になり、きっと最後になんかどんでん返しがあるぞとどきどきしながら読んだが、案の定、再び闇の世界に二人が手に手を取って入っていく場面で、気を許したすきに彼女が手を放してしまい、「向こうの世界」に吸い込まれてしまうという場面に「やはりな」とがっかりするが、直後にそれが夢だったことが分かり、「僕」と一緒にホッとして読み終えた。
奥田英朗の『サウスバウンド』のことを書いたときに、読み終わりたくない、いつまでも作品の世界に浸っていた小説があると書いたが、『ダンス・ダンス・ダンス』はいつまでのこの世界に浸っていたいという思いと同時に、早く結末が知りたい、この不安定な状態が早く終わってほしいという、アンビバレントな気持ちを抱きつつ読んだのだった。
たしかに羊男との面談のなかで彼のいうことが非常に哲学的で理解しにくいということはあったが、それまでの小説のように何が言いたいんだろうと首を傾げたくなるような場面はあまりなかった。人は人とつながってこそ生きる価値があるという、たしかにそれ自体では平凡なテーゼがこの小説の主題になっていると言えるかもしれないが、平凡なことを、読者に共感やスリル感を味わわせながら読ませてくれたという意味では、面白い作品だったと思うし、上にも書いたように、村上春樹の作品の中では一番好きになった作品でもある。
何日もかけて読んだのだけど、いやー面白かった。充実した日々でした。