読書な日々

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『希望の国のエクソダス』

2019年12月24日 | 作家マ行
村上龍『希望の国のエクソダス』(文藝春秋、2000年)

2000年に2002年という近未来における漸進的破滅から日本を救った中学生たちの活動を描いた小説。

1990年代にバブルが崩壊して、表向きはなんとかその地滑り的雪崩現象による金融資本の崩壊を食い止めたに見えたが、場当たり的対応のせいで、日本国民の精神そのものが崩壊を始めていたことに起因する2000年に起きた中学生の集団不登校が小説の冒頭で描かれる。

たまたまパキスタンのペシャワールで中学生の中村くんと知り合ったジャーナリストの「おれ」こと関口はいったん帰国した後に中村くんと再会し、不登校中学生たちが始めたASUNAROという組織に付かず離れずの関係を持つことで、彼らの活動が、不登校中学生のネット上の掲示板のようなものから、最終的には、日本の通貨危機から救い、北海道への集団移住によって、一種の理想郷的な世界を構築していく様を見ることになる。

日本を取り巻く世界の構造が変わっている、もちろん日本もその構造を変革してしかなければならない。にもかかわらず、その制度や教育は終戦直後のそれと何も変わっていない。そういう危機感を作者はこの小説で形にしたかったのではないかと思う。

そうした作者の意図を象徴的に示している一節だと私が思ったのは、「ポンちゃん」という子が国会の予算委員会に証人喚問として呼ばれて不登校中学生のことを話す場面がある。生身の「ポンちゃん」が出ていったら逮捕される可能性があるので、巧妙に偽装をしたネット回線を使って映像を会場に送り、双方向のやり取りをする場面をNHKが国内向けに放送するということになっていたが、実はそれが全世界に放送される。その中で「ポンちゃん」がこういうことを述べる。

「愛情とか欲望とか宗教とか、あるいは食料や水や医薬品や車や飛行機や電気製品、また道路や橋や空港や港湾施設や上下水道施設など、生きていくために必要なものがとりあえずすべてそろっていて、それで希望だけがないという国で、希望だけしかなかった頃とほとんど変わらない教育を受けているという事実をどう考えればいいのだろうか。よほどのバカでない限り、中学生でそういうことを考えない人間はいなかったと思います。」(p. 310)

オリンピックや万博などというお祭り騒ぎに国民の税金をじゃぶじゃぶ垂れ流し、本当に必要な政策を実行することなく、嘘と詭弁で国民を騙せると思っている首相が念願の憲法第9条改悪を、これまた数の力でゴリ押ししそうな国に本当に希望はない。そんなことがいまから20年も前からずっと続いていることに、なんとも言えない恐怖を覚える。

村上龍の『半島を出よ』もそうだけど、私には村上春樹なんかよりも、村上龍のほうが現代日本への危機意識を持って優れた小説を書いている優れた作家のように思えるけど、どうなんだろう。


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