『中外日報』(2023.3.15日号)よりの転載です。
大谷派住職がオンラインシンポ 本願寺派4僧侶が議論
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土真宗本願寺派で1月16日に発布された「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)についての消息」を巡って、SNS上で疑問や批判の声が上がり、意見書の提出や署名運動をする動きが見られるなど波紋が広がっている。「門主批判につながりかねない、かつてない事態」という声も聞こえてくる中「冷静に議論できる場を」と真宗大谷派の瓜生崇・玄照寺住職がこのほどオンラインでシンポジウムを開き、4人の本願寺派僧侶が領解文の意味や教学的問題、今後の展望など多岐にわたって議論した。現在もアーカイブで視聴でき、累計視聴者数は1・8万人を超えて増え続けており、大きな反響を呼んでいる。
(渡部梨里)
シンポジウム「『新しい領解文』を考えるー組織と教学の陥穽」は2月24日に開かれ、本願寺派から稲城蓮恵・光蓮寺副住職、深水顕真・専正寺住職、寺澤真琴・清徳寺住職、岡本法治輔教の4人が参加し、視聴者の質問にも答えながら議論した。
瓜生氏は開催経緯について「新しい『領解文』が発布され、SNS上や本願寺派僧侶からネガティブな反応が多く寄せられた。何か問題なのか冷静に議論する場が必要だが、本願寺派の人が設定するのは難しいと思い、他派の自分が開催した」と話した。
消息の位置付けについて、稲城氏は、「かつて門主の消息は『聖教』に準ずるものと法規上で規定されていたが、戦争協力に関する消息の取り扱いについて再考した結果、現在は覚如と蓮如以外の歴代宗主の消息は聖教に準ずる扱いにはされていない」と説明。「もし教義に反するような消息であれば、聖教と照らし合わせながら議論することができる。また、聖教でないものをお勤め等で用いることに違和感かおる」と話した。
教学的な問題点として岡本氏は「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」という部分に触れ「天台の本覚法門を意味しているのでは、私が仏であるとはどうしても思えず、嫉み妬む心が生まれてしまう。苦悩の真っただ中にこそ仏さまの大慈大悲が表れてくるのが浄土真宗の教えの一番の醍醐味。それを失ってしまっている」と指摘した。
師徳を表す「これもひとえに 宗祖親鸞聖人と法灯を伝承された 歴代宗主の 尊いお導きによるものです」について岡本氏は「法を説く人も出遇わせてくれた人も善知識であるのに、ご門主だけに限定されているのは残念。この言葉はご門主の本意ではないといただいている」と発言。稲城氏は「門主ご自身で善知識と言われるところに違和感がある。私たちの側から尊い方だと仰ぎたい」と話した。
領解文の在り方について、寺澤氏は「領解文は本来それぞれのもであるはずだが、それが固定化・儀礼化されていた。新しい『領解文』の発布によって、それがアンタッチャブルではないことがされた」と指摘し「どちらの領解文も尊重されればよいと思う」と述べた。
稲城氏は危惧する点として、各教区からの意見具申が門主批判につながるからと取り下げられること、布教使の審査や布教をする基準として新しい「領解文」が必須になることなどを挙げ「同朋教団・伝道教団を標榜しかめてもらいたい」と訴えた。
今後の展望について寺澤氏は「歴史の審判が下るだろう。(新しい『領解文』は)少なくともこのままでよいとは思えない。修正が加えられてしかるべきものになっていくかどうか」と述べ、深水氏は「人為的な強制力だでは宗教性や本当の言葉の持つ力は乗り越えられない。新旧(領解文)が併記されることでだんだんと淘汰されるのではないか」と話した。
「『門徒さんに唱和』言えず」住職や布教使
視聴者からは「若い布教使の法話は新しい『領解文』と内容が同じように感じる」「唱和を推奨ということは『正しいもの一つ』と言っているようなもの」などの意見があった。また、他派の僧侶から「門主制度を含めて全体を議論しないと、今後同じようなことが起こるのではないか」という声もあった。
ほかにも「慶讃法要で団体参拝を予定しているが、新しい『領解文』を門徒さんに唱和してとはどうしても言えない」「自分の中で消化しきれない問は門徒さんにお話しすることはできない」など住職や布教使の声が聞かれる。 疑問や問題意識を持つ人々がいる一方で、関心のない人も少なくない。本紙の取材に対し「掲示も唱和もしなければいい」「賦課制度の方が気になる」とする僧侶の声が本紙に多く寄せられている。
第321回定期京会で新しい「領解文」を中核とした2023年度宗務の基本方針が可決され、総局は普及策を本格始動するとみられる。その一つが29日から修行される親鸞聖人850年・立教開宗800年慶讃法要での拜読、唱和だ。全国から訪れる僧侶、門信徒に新しい「領解文」が浸透していくのかどうか、注目が集まっている。(以上)