仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

領解文ー本願寺派4僧侶が議論

2023年03月21日 | 浄土真宗とは?

『中外日報』(2023.3.15日号)よりの転載です。

 

大谷派住職がオンラインシンポ  本願寺派4僧侶が議論

土真宗本願寺派で1月16日に発布された「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)についての消息」を巡って、SNS上で疑問や批判の声が上がり、意見書の提出や署名運動をする動きが見られるなど波紋が広がっている。「門主批判につながりかねない、かつてない事態」という声も聞こえてくる中「冷静に議論できる場を」と真宗大谷派の瓜生崇・玄照寺住職がこのほどオンラインでシンポジウムを開き、4人の本願寺派僧侶が領解文の意味や教学的問題、今後の展望など多岐にわたって議論した。現在もアーカイブで視聴でき、累計視聴者数は1・8万人を超えて増え続けており、大きな反響を呼んでいる。

                              (渡部梨里)

 

シンポジウム「『新しい領解文』を考えるー組織と教学の陥穽」は2月24日に開かれ、本願寺派から稲城蓮恵・光蓮寺副住職、深水顕真・専正寺住職、寺澤真琴・清徳寺住職、岡本法治輔教の4人が参加し、視聴者の質問にも答えながら議論した。

 

瓜生氏は開催経緯について「新しい『領解文』が発布され、SNS上や本願寺派僧侶からネガティブな反応が多く寄せられた。何か問題なのか冷静に議論する場が必要だが、本願寺派の人が設定するのは難しいと思い、他派の自分が開催した」と話した。

 消息の位置付けについて、稲城氏は、「かつて門主の消息は『聖教』に準ずるものと法規上で規定されていたが、戦争協力に関する消息の取り扱いについて再考した結果、現在は覚如と蓮如以外の歴代宗主の消息は聖教に準ずる扱いにはされていない」と説明。「もし教義に反するような消息であれば、聖教と照らし合わせながら議論することができる。また、聖教でないものをお勤め等で用いることに違和感かおる」と話した。

 教学的な問題点として岡本氏は「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」という部分に触れ「天台の本覚法門を意味しているのでは、私が仏であるとはどうしても思えず、嫉み妬む心が生まれてしまう。苦悩の真っただ中にこそ仏さまの大慈大悲が表れてくるのが浄土真宗の教えの一番の醍醐味。それを失ってしまっている」と指摘した。

 師徳を表す「これもひとえに 宗祖親鸞聖人と法灯を伝承された 歴代宗主の 尊いお導きによるものです」について岡本氏は「法を説く人も出遇わせてくれた人も善知識であるのに、ご門主だけに限定されているのは残念。この言葉はご門主の本意ではないといただいている」と発言。稲城氏は「門主ご自身で善知識と言われるところに違和感がある。私たちの側から尊い方だと仰ぎたい」と話した。

 領解文の在り方について、寺澤氏は「領解文は本来それぞれのもであるはずだが、それが固定化・儀礼化されていた。新しい『領解文』の発布によって、それがアンタッチャブルではないことがされた」と指摘し「どちらの領解文も尊重されればよいと思う」と述べた。

 稲城氏は危惧する点として、各教区からの意見具申が門主批判につながるからと取り下げられること、布教使の審査や布教をする基準として新しい「領解文」が必須になることなどを挙げ「同朋教団・伝道教団を標榜しかめてもらいたい」と訴えた。

 今後の展望について寺澤氏は「歴史の審判が下るだろう。(新しい『領解文』は)少なくともこのままでよいとは思えない。修正が加えられてしかるべきものになっていくかどうか」と述べ、深水氏は「人為的な強制力だでは宗教性や本当の言葉の持つ力は乗り越えられない。新旧(領解文)が併記されることでだんだんと淘汰されるのではないか」と話した。

 

 

「『門徒さんに唱和』言えず」住職や布教使

 

視聴者からは「若い布教使の法話は新しい『領解文』と内容が同じように感じる」「唱和を推奨ということは『正しいもの一つ』と言っているようなもの」などの意見があった。また、他派の僧侶から「門主制度を含めて全体を議論しないと、今後同じようなことが起こるのではないか」という声もあった。

 ほかにも「慶讃法要で団体参拝を予定しているが、新しい『領解文』を門徒さんに唱和してとはどうしても言えない」「自分の中で消化しきれない問は門徒さんにお話しすることはできない」など住職や布教使の声が聞かれる。 疑問や問題意識を持つ人々がいる一方で、関心のない人も少なくない。本紙の取材に対し「掲示も唱和もしなければいい」「賦課制度の方が気になる」とする僧侶の声が本紙に多く寄せられている。

 第321回定期京会で新しい「領解文」を中核とした2023年度宗務の基本方針が可決され、総局は普及策を本格始動するとみられる。その一つが29日から修行される親鸞聖人850年・立教開宗800年慶讃法要での拜読、唱和だ。全国から訪れる僧侶、門信徒に新しい「領解文」が浸透していくのかどうか、注目が集まっている。(以上)

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資本主義の本質①

2023年03月20日 | 現代の病理

『資本主義と危機―世界の知識人からの警告―世界の知識人が、欲望、再配分、エコロジーなどの論点から、危機の原因とその克服の可能性を語る』(岩波書店・2021/05/28)からの転載です。

 

マルクス・ガブリエル「資本主義の本質」からの一部転載です。

 

今日は資本主義の問題を中心にお話を伺いたいと思っています。よろしくお願いします。あ

あなたはNHKの番組「欲望の資本主義二〇一八年―闇の力が目覚める時」(二〇一八年一月三日放映)のなかで、ドナルド・トランプ大統領〔当時〕を「ショーマン」であり、資本主義の本質はショーであるという興味深いテーゼを立てていらっしやいました。その点についてご説明いただけるでしょうか。

 

 MG 資本主義の本質は、本来そこには存在しない何かを見せることにあります。つまり、資本主義とは本質的に錯覚を作り出すシステムなのです。問題は、表面的な方法でしかもそれが錯覚だと分からないような仕方で特定の錯覚を生み出すことです。そこで重要なのは、完璧な錯覚を作り出すことであって、それこそが〔資本主義の〕理念なのです。

 現代の資本主義社会における錯覚はどんどん再帰的になっています。客観的に段階化された錯覚で始まり、錯覚は端的に商品のなかに現れます、マルクスはこのことを商品の物神性として描いています。商品の物神性とは、商品そのものが錯覚であり、ある人に何かが、しかもそれが欲しいと思わせるような仕方で提示されることを意味します。つまり、何かが私に提供されることではじめて私はそれを欲しいと考えるということです、提供される前には、私にはそれが欲しいかどうか分がらなかったわけです。なぜならその商品は存在していなかったのですから。例えばコカ・コーらが存在する前には、誰もコカ・コーラを欲しがることはできませんでした。なぜなら、コカ・コーラが存在するための空間がなかったからです。コカ・コーラライトがあることを知らなかったら、私はどうやって冷たいコカ・コーラライトを飲みたくてたまらなくなるのでしょうか。コカ・コーラが存在しないがゆえに、コカ・コーラを欲しがっていることを知らこい人にどうやってコカ・コーラを売るのでしょうか。これは資本主義的な問いです。私はまだ存在していない何かを他の人にどうやって売るのでしょうか。それは欲望によってです。

資本主義は欲望を生み出さなければなりません。欲望の尺度はもはや容易に測ることができます。なぜなら、どの程度誰かが何かを欲しがっているのかを測る数値が〔特定の人に〕分け与えられているからです。

それは今日のビッグデータの時代にあっては、簡単に統計で集計することのできる機械的な数字です。これこそが〔資本主義の〕本質です。つまり、錯覚を生み出す、誰かにそれをずっと欲しがっていたかのような印象を与えることが[資本主義の]本質なのであり、それが上述の問いの答えです。(つづく)

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なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか⑥

2023年03月19日 | 日記

『なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか:逃れられないバイアスとの「共存」のために』(2021/10/15・ハワード・J・ロス)からの転載です。

 

 

このマズローのモデルは一般的に三角形かピラミッド型で表され、第一の、つまり最下層のレベルは、「生理的」欲求を示している。具体的には呼吸、食物、水、睡眠、性などのことだ。その上の階層は「安令」の欲求である。これは財産、肉体的な安全、生計を件るための仕事、健康、住居などである。3番目は、「所属」の欲求。つまりコミュニティとの一体感、家族、友情、愛などだ。4番目は「承認」欲求。これは自信、自尊心、他所からの尊重、達成感などである。そして最後、5番目のレベルであるピラミッドの頂点は「自己実現」で、マズローによると創造性や問題解決、共感、道徳、至高体験などの欲求だという。

 

 だが、近年の研究では、マズローのモデルは心理学に大いに貢献しているものの、最も基本的な事実が見逃されている可能性も示唆されている。私たちの第一の欲求は、先ほど触れたように、集団とのつながり、つまり「所属性」という概念だというのだ。

 カリフォルニア大学ロサンゼルス佼(UCLA)の心理学の准教授のナオミ・アイゼンバーガー、同じくUCLAの社会認知神経科学の教授で研究所所長のマシュー・リーバーマン、パデュー大学の心理科学の教授のキプリング・ウィリアムズが、実際に脳の機能を調べて、それを確かめようとした。被験者はヴァーチャル上で集団活動に参加し、そのあとで集団から疎外される状況がつくられた。そのときの脳の画像を調べてみると、社会的に排除されたことで、脳内の肉体的な痛みに関連する部位が活発化していたという。

 所属性こそが第一の欲求ではないかという疑問については、かなり前から探求されていた。ウィルコンシン大学の心理学者で、一時はアズローと共同研究を行ったこともあるハリー・ハーロウは、1950年代にアカゲザルを用いてさまざまな研究を行い、その中で、ふたつのタイプの代理の「母親」をあたえられたサルの赤ん坊が、それぞれの「母親」にどのような反応を見せるかという実験を行った。代理母のひとつは毛足の長い柔らかな布でくるまれ、感触も外見も本物のアカゲザルに似せてあった。もうひとつは針金でつくられた模型だったが、赤ん坊が乳を飲めるように哺乳瓶が取りつけてあった。サルの赤ん坊は、布でくるまれた代理母のほうと一緒にいることを圧倒的に好んだ。この結果により、ハーロウは、社会的な親密さへの欲求が第一だと提言した。

 そして、ボストンのマサチューセッツ大学の心理学の特別栄誉教授、エドワード・トロニックが、「無表情実験」という実験を行ってハーロウの説を証明した。トロニックは赤ちゃんの前にビデオカメラを設置し、親が赤ちゃんに話しかけたり、笑ったり、遊んだりといった普通の方法で交流する様子を撮影した。しばらくすると、親は表情を無くし赤ちゃんに何も働きかけないように指示された。赤ちゃんは、すぐに親の変化に気づいた。最初は当惑していたが、そのうちに何とかして親から反応を引き出そうとし、そのうらにだんだん怒りを見せはじめだ。トロニックは、このように述べている。「無表情実験において最も注目すべき点は、子どもが親の関心を取り戻そうとするのをけっしでやめないことです。親の気を引こうとして失敗し、顔を背け、悲しみ、落胆し、それからまた親に向き直って気を引こうとする。この動作をいつまでも繰り返しました。それが何度も続いてから、子どもは幼児用の椅子にじっと座っていられなくなり、身体をよじって泣き叫びました」、子どもたらには生理的な変化、たとえばストレスホルモンのコルナゾールの値や心拍数の増加も見られたという。

 実験の内容はさてかき、このような結果は理にかなっている。人間が生存する中で最も脆弱なときについて考えてみよう。つまり誕生のときである。地球上に存在する大部分の生き物に比べ、ヒトの新生児は、親や面倒を見にてくれる者と触れ合う時間をより長く必要とする。私たちは、生まれて数分で歩いたり跳ねたりするシマウマのような生き物ではない。あただの子どもや孫、あるいは年の離れたきょうだいが生まれたときのことを思い出してほしい。最も基本的な欲求を満たしてくれる人がいなかったら、赤ん坊は生き延びることができない。

 よく目を凝らせば、所属性が第一の欲求であることを示す兆候は、いたるところに見られるはずだ。

 

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なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか⑤

2023年03月18日 | 日記

『なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか:逃れられないバイアスとの「共存」のために』(2021/10/15・ハワード・J・ロス)からの転載です。

 

 生まれて間もない赤ちゃんが親と一緒にいるときに、これと同じようなことが起きる。赤ちゃんには親のふるまいを真似るなど、自分が見ている行動を「模倣」する性質が生まれつき備わっている。オーストリアの動物学者で、ノーベル賞受賞者でもあるコンラート・ローレンツは動物行動学、つまり生物の行動の研究分野を切り開いたひとりだ。ローレンツが特に興味を持ったの、動物のアイデンティティはどのように形成されるのか、また、生まれてからどのように親から「刷り込み」がなされるかについてだった。これをローレンツが、さまざまな実験の中で明らかにしたことは有名である。その中でもよく知られているのは、ローレンツがハイイロガンの卵を孵化させた話である。彼は、自分の目の前で卵からかえったハイイロガンが一生、ローレンツを親だと思いつづけることを発見した。

 だが、「私たちの側の人」とつながるのがそれほど重晏だとすれば、どのようにして私たちは他者と深くつながるのだろうか? その答えは、1980年代の終わりにイタリアの都市、パルマでの発見に見つかるかもしれない。

 パルマ大学の5人の神経生理学者、ジャコモ・リツォラッティと、ジュゼッペディ・ペルレグリーノ、ルチアーノ・ファディガ、レオナルド・フォガッシ、ヴィットリオ・ガレーズは、マカクザルの集団を観察し、ある種の神経細胞群が手と口の動きを制御していることを理解しようとしていた。餌は、サルが楽につかめる場所に置かれた。研究チームはサルの脳に電極を挿入し、それによって運動前野腹側部の活動を確かめながら、サルが餌をつかんだときの脳の反応を観察していた。ところが予期せぬことが、この実験の本来のテーマを変えたのである。

 研究者のひとりが何気なく、サルの前のピーナッツの入ったボウルに手を伸ばして、一粒取った。すると突然、思いがけないことに、電極につながれた追跡システムが、神経細胞のシグナルを記録しはしめた。それは何と、サルがピーナッツを食べているときに記録されたシグナルと同一のものだったのである。研究者たちは、この神経細胞を「ミラーニューロン」と名づけた。そして近年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の教授、マルコ・イアコボーニが、人間にも同様の神経細胞群があることを突き止めている。

 ミラーニューロンの発見は、論丈が発表されてから20年ほど、いくらか議論を呼んでいたものの、多くの人がこれを人間の共感について理解するための第一歩だと考えるようになっている。

カリフォルニア大学サンディエゴ佼の神経科学研究所の所長、V・S・ラマチャンドランは、共感を理解するための重要な発見だとして、この説の強力な擁護者となった。陂は、ミラーニューロンを「文明の基盤」と呼んだ。なぜなら、このニューロンは、私たらが他者の苦痛に深く共感し、肉体的にも感情的にも反応する理由を説明するかもしれないからだ。ラマチャンドランは、ミラーニューロンを理解すれば、人間の自己意識を理解する糸口も見つかると言っている。

 いつほう、他者に共感する心理を「心の理論」と呼び、その源流をルネ・デカルトやほかの哲学者たちの議論の中に見いだす者もいる。心の理論とは、他行の信念や、意図、欲求、認識を類推し、他者が自分と同じ、あるいは違うことを信じている状況を理解する能力だ。共感性と心の理論は同じ意味で使われることが多いが、心の理論は脳の側頭葉と前頭前皮質の機能とされ、共感性は感覚運動皮質と大脳辺縁系が関与しているため、このふたつがまったく同じであるかは、はっきりしない。それでもなお、この両方が他者の感情や欲求、状況を推測する働きを説明している。たいていの人には、心の理論の機能がある程度備っているとされるが、おもしろいこと女性はその働きが概して男性よりも強いようだ。

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本願寺派定期宗会 特報「新しい領解文」

2023年03月17日 | 浄土真宗とは?

『中外日報』(2023.3.10日号)に「浄土真宗本願寺派定期宗会 特報」が掲載されていました。長いですが、全文転載します。

 

浄土真宗本願寺派第321回定期宗会が2月22日~3月3日に開かれ、新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)を巡り様々な議論が繰り広げられた。宗会議員らは、一般寺院やSNS等でも疑問視する声が上かっていると指摘、制定や勧学寮の同意の経緯、総局の打ち出す拝読・唱和を主とする普及策等について追及し、見解を求めた。

                                       (渡部梨里)

 

「全勧学寮員の同意」は

   解説付した理由問う

 

制定の経過

 

開会に当たり大谷光淳門主は、教団が戦争協力差別に関わってきた歴史とその責任を忘れてはならないことに言及し、浄土真宗の教えの肝要が広く次の世代に確実に伝わるよう、新しい「領解文」の消息を発布したと述べた。そして「伝える伝道」から時代に沿った「伝わる伝道」へと本質的な転換を図ることがますます重要になってくるとし、新しい「領解文」が「念仏者の生き方の指針になることを願っている」と伝えた。

石上智康総長は執務方針演説で、新しい「領解文」が制定された経緯について2005年から始まった宗門長期振興計画とその後の宗門総合振興計画で「現代版領解文」の制定が掲げられてきたと説明し、現代版「領解文」制定方法検討委員会の答申に基づいていることや勧学寮の同意を得たことを強調した。

 

宗派一般会計予算を審議する第1予算審査会で、勧学寮費に関連して新しい「領解文」の制定経緯や勧学寮員全員(5人)の同意があったのかなどの質問が出た。

 勧学寮は宗会からの資料請求に対し「ご消息文案同意について」の公文書は提出したが、新しい「領解文」にかかる寮員会議議事録と同意確認書、門主から消息発布にかかる勧学寮への諮問文書は提出しなかった。

 公文書は徳永一道寮頭から石上総長へ提出されたもので、宗会議員から「他の4人の寮員の署名捺印がないが、同意はどう確認できるのか」との質問があった。本川道法・勧学寮部長は「寮員会で同意を得て寮頭名で提出した。他の4人が同意した署名捺印もあるが、公表できない」と説明した。

 複数の議員から「分かりやすい言葉で表現された御文」の新しい「領解文」になぜ勧学寮が解説を付けるのかと質問があった。「解説は総局の許可がなければ出せないはず」「勧学寮は『真宗教学の基礎がないと誤解する可能性がある』などと話しており、分かりやすくないことを認めている」などの発言に対し、総局は「(あくまでも)勧学寮からの公文書に『寮員会議の意を経て、ご消息解説文を作成いたしましたので、新しい領解文(浄土真宗のみ教え)の拝読・唱和の普及にご活用されますよう』と記載がめったため、本願寺新報に全文を掲載した」と説明した。

 

「門主の利用」追及

共通認識図る動きも

 

新しい「領解文」の追及の背景には、石上総長や総局に対する不信感があるとみられる。

 複数の議員から、石上総長の著書『生きて死ぬ力』と新しい「領解文」に似た言葉が用いられているとの指摘かおり、「ご門主を利用しているのではないか」と追及する場面もあった。

 石上総長は、制定の経緯の説明を繰り返し「内容については私が申し上げることではない」とした。日谷照應総務は「ご門主と総長の考え方は似ているところがあり、だからご指名されたのだろう」と発言した。

 一方、門主の開会式での教示を受けて、宗会議員の間で新しい「領解文」に対する共通認識の形成を図ろうとする動きもあった。「ご教示で戦争と差別の歴史に言及され、次に新しい『領解文』について述べられているのは、自覚と内省を踏まえた領解文の味わいを求めているからで、それが『私の煩悩と仏のさとりは本来一つ』という文言になる」「唱和とは、凡夫である私に、自覚と内省を呼び覚ますための呼び水」などと見解をまとめた文書を作成し、議員同士で共有したり、僧侶議員から門徒議員へ説明したりする場面が見られた。

 

僧俗問わず拝読・唱和

 

 消息の発布を受けて総局は「僧俗を問わず多くの方々に、様々な機会に新しい『領解文』をともどもに唱和、拝読させていただくことを原則とし、その周知と普及に努める」と方向性を示した。既に親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要の趣意書付帯事項を「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)、『私たちのちかい』の普及を」に変更し、発布翌日から宗務所朝礼で拝読、唱和を実施してい。今後は慶讃法要で拝読、唱和を組み入れた御堂プログラムの策定のほか、全国での学習会の実施、僧侶養成機関や教化団体の各種会合等での拝読、唱和の徹底、龍谷総合学園加盟学校での研修会等の要請などを掲げている。

 議員からの「拝読、唱和は自発的に生じる行動はないのか。拝読、唱和を勧め認めさせることに対してSNS等で批判があふれている。無視して進めれば遺恨を残すことになる」などの発言に対し、石上総長は「ご門主がご消息の最後に拝読、唱和を勧めていただいているのはご承知の通り。拝読、唱和を原則として周知普及の徹底に努る」と繰り返した。

 

 

名称の改善望む

答申内容の相違も

 

新しい「領解文」の名称について、「従来の領解文がある中で同じ『領解文』を使うと分かりにくい」「新旧のようなイメージになる」など、これまで多くの意見や改善を求める声が上かっている。

 現代版「領解文」制定方法検討委員会の答申は、名称について「現代版『領解文』」を用いない方がよいと示しており、浅野弘毅議員は「使わない方がいいとした『領解文』がなぜ使われているのか。答申書のどこを読んでも納得できない」と発言。総局は「名称を決めたのは総局ではない」と答えた。

 また答申書に「門主に消息をもって制定いただくのが最もふさわしい制定方法」とあり、その後、消息が発布された。竹中了哲議員は「答申はこれから制定される場合を想定しており、ご親教として出された『浄土真宗のみ教え』が(今日の)領解文にふさわしいとは述べていない」と指摘し「元はご親教で、ご消息にするために勧学寮が事後承認している。宗門は宗意安心を非常に大事にしてきた。何か焦って、制定方法検討委員会の言葉の意味合いをいいように取り、急速に進めた印象がある」と話した。

 石上総長は「ご消息は第一に答申に基づき、第二に勧学寮の同意があり、ご門主に発布たまわった。勧学寮の同意がなければ発布はなかった。勧学寮によって解説が作成され、消息と共に新報に掲載された。これが全て」と述べた。

 

声を届ける

ハードル高く

 

 新しい「領解文」の拝読、唱和について「現場の理解が深まるまで拝読、唱和を待つてほしい」とする内容の請願書が、富山教区善巧寺(富山県黒部市)の雪山俊隆住職から園城義孝議長へ宗会議員15人を紹介議員として提出され、採決の結果、否決された。

 請願書を提出した理由について雪山住職は「幅広い年齢の僧侶の間で発布の経緯が不明確にしが伝わってこなかったり、唱和というある意味で強制されるようなやり方に居心地の悪さを感じていたりする声が広がっていて、届ける方法を考えた結果、請願書を提出することにした〕と話す。

 請願書を提出するには、紹介宗会議員が10人以上必要となるなど「声を届けるハードルがこんなにも高いとは」と感じたという。雪山住職は「普及策は慶讃法要を前に動き始めていて止まれなかったり、会派の縛りがあり宗会議員個人の思いを出せなかったりして、議員や宗会、組織の在り方など違う部分での危機感も生まれた。これは私たちの責任でもあると思う。宗門の様々な問題を共有し、各教区で宗会議員に問うていければいいと考えている」と語った。(以上)

 

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