「幸せになる症候群」。何のことやら?
昨日(23.7.20)の夕刊各紙に児童虐待が昨年より10.000件増えて、55.000件あったという報道ありました。
児童虐待の原因は、いろいろ言われています。言葉の奇抜さから言えば「白雪姫コンプレックス」があります。
白雪姫の物語は、継母が娘を殺そうとする物語として知られているが、原作のグリム童話初版本では実母となっているそうです。
白雪姫が7歳になったある日、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しい女性は?」と聞くと、白雪姫だという答えが返ってきた。王妃は怒りのあまり、猟師に白雪姫を森に連れて行くように命令する。白雪姫は家を追い出され遂には猟師に殺されかけ、肺と肝臓を母親に食べられそうになる。最後は、母親の毒リンゴを食べ意識不明になっていたところを、通りがかった王子が引き取るとり助けられるという物語です。
子どもの時代に虐待を受けて育った人が、子どもに同じような辛い虐待を繰り返すという、痛ましい悲劇のことです。
私の個人的な思いは、標記の言葉「幸せになる症候群」です。「幸せになる症候群」とは、子どもの頃から、我慢を強いられることなく、自分の思い通りに過してきて、結婚というゴールにたどり着く。その結婚も「幸せになろうね」とスタートする。そしてその幸せの果実として、子が授かる。幸せになることが当たり前で、その幸せを妨げるものは悪という構図が出来上がります。
ところが子育ては、わずらわしさや自分の楽しみを犠牲にしなければならないことが多く、やがて苦痛な苦労疲労から、自分をコントロールする余裕を失い被害感がつのって、子どもへ憎しみをぶつけてしまう。
そうした状況を作り出す要因として、子育て知識のマニュアル化依存や、世代間、あるいは地域社会でのコミュニティ力の低下があります。
人は孤独になると、その孤独を子どもへの愛情過多によって孤独を癒すとも言われています。「これだけやっているのに」という思いが、逆に虐待を生み出す原因にもなる。愛がそのまま憎しみとなるのです。
そんな分析しても仕方ないのですが、こうした民衆の流れをつくっている原因の1つが、仏教の考え方、「娑婆」(忍土―思い通りにならい場所)や凡夫(自分が偉いと思っている)への自覚といった教えを社会に向けて発信してこなかった仏教者の責任もあります。
昨日(23.7.20)の夕刊各紙に児童虐待が昨年より10.000件増えて、55.000件あったという報道ありました。
児童虐待の原因は、いろいろ言われています。言葉の奇抜さから言えば「白雪姫コンプレックス」があります。
白雪姫の物語は、継母が娘を殺そうとする物語として知られているが、原作のグリム童話初版本では実母となっているそうです。
白雪姫が7歳になったある日、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しい女性は?」と聞くと、白雪姫だという答えが返ってきた。王妃は怒りのあまり、猟師に白雪姫を森に連れて行くように命令する。白雪姫は家を追い出され遂には猟師に殺されかけ、肺と肝臓を母親に食べられそうになる。最後は、母親の毒リンゴを食べ意識不明になっていたところを、通りがかった王子が引き取るとり助けられるという物語です。
子どもの時代に虐待を受けて育った人が、子どもに同じような辛い虐待を繰り返すという、痛ましい悲劇のことです。
私の個人的な思いは、標記の言葉「幸せになる症候群」です。「幸せになる症候群」とは、子どもの頃から、我慢を強いられることなく、自分の思い通りに過してきて、結婚というゴールにたどり着く。その結婚も「幸せになろうね」とスタートする。そしてその幸せの果実として、子が授かる。幸せになることが当たり前で、その幸せを妨げるものは悪という構図が出来上がります。
ところが子育ては、わずらわしさや自分の楽しみを犠牲にしなければならないことが多く、やがて苦痛な苦労疲労から、自分をコントロールする余裕を失い被害感がつのって、子どもへ憎しみをぶつけてしまう。
そうした状況を作り出す要因として、子育て知識のマニュアル化依存や、世代間、あるいは地域社会でのコミュニティ力の低下があります。
人は孤独になると、その孤独を子どもへの愛情過多によって孤独を癒すとも言われています。「これだけやっているのに」という思いが、逆に虐待を生み出す原因にもなる。愛がそのまま憎しみとなるのです。
そんな分析しても仕方ないのですが、こうした民衆の流れをつくっている原因の1つが、仏教の考え方、「娑婆」(忍土―思い通りにならい場所)や凡夫(自分が偉いと思っている)への自覚といった教えを社会に向けて発信してこなかった仏教者の責任もあります。