送られてきた『在家仏教』(2011.8月号)を開くと、珍しくお二人の本願寺派のご僧侶の講話が掲載されていました。
そのお一人が藤岡正英氏(浄土真宗本願寺派明泉寺住職)で「念仏の功徳」というタイトルでの掲載でした。
その中に次のような文章がありました。(以下転載)
念仏者の竹下昭寿さん。お兄さんの竹下哲さんは長崎県教育長をなさった方です。昭寿さんは胃ガンのため三十歳で亡くなりました。藪てい子さんにしても、竹下昭寿さんにしても、今の医学ならば助かったかもしれませんが、当時としてはそれが精一杯だったのでしょう。竹下青年が胃ガンになったときの主治医は高原憲先生という念仏者でした。竹下青年とも家族ぐるみでつきあいがあったものですから、あの頃は病名の宣告は出さなかったと思うのですが、高原医師はハッキリおっしゃったそうです、「竹下君、あんこはね、胃ガンなんだよ」と。
現在ならば宣告をして、患者と医師が力を合わせて病気を治していこうとする。しかし、がつてはガンは死病でしたから、なかなか宣告はできなかった。その中で、念仏者の間ではウソ偽りは言わないということで、「君はもう半年くらいの寿命なんだよ。だから残された命を、お念仏を喜んで大事に生きようね」とおっしゃったわけです。
その後、先生が短歌を贈りました。
一道をたどるほかなきこの身なり
ただひとすじに白きこの道
これはご存知の二河白道のお話です。残された命を、お念仏を喜びながら大事に過そうねと、先生かおっしゃった。これに対して、竹下青年が歌を返します。
本願の船には乗れど煩悩の
船のとも綱離しかねつも
という歌です。どちらも信仰者ですから、もう以心伝心でわかるわけです。先生、わかっております、わかっているけれども、一向に早く死にたいとは思いません、という思いの込められた歌でしょう。日頃お念仏をとなえて、本願の船に乗せられている、いつ命が終わったとしても、ただちにお浄土に生まれる幸せ者であるけれども、やっぱり娑婆にいたい、煩悩のとも綱を離したくないという思いが伝わってきます。(以上)
竹下哲と高原憲先生とは、少しではありますがご縁があります。竹下哲先生とはすれ違いのご縁です。
昨年か一昨年か、柏市のある火葬場得行くと、駐車場で先輩であり隣寺のBご住職が車で通りかかり「西原さん、竹下哲さん知っているだろう。」「はい、本で読んで知っています」「実は、いま竹下哲先生は我孫子市に住んでおられて、その奥さまの葬儀を勤め、この火葬場で荼毘にしたところだ」といわれる。
ご著書でお敬いしていた先生でしたが、同じ火葬場という場所で時間と場所を共にするご縁をいただき、ただそれだけのご縁でしたが、先生を身近に感じられるようになったことです。続く。
そのお一人が藤岡正英氏(浄土真宗本願寺派明泉寺住職)で「念仏の功徳」というタイトルでの掲載でした。
その中に次のような文章がありました。(以下転載)
念仏者の竹下昭寿さん。お兄さんの竹下哲さんは長崎県教育長をなさった方です。昭寿さんは胃ガンのため三十歳で亡くなりました。藪てい子さんにしても、竹下昭寿さんにしても、今の医学ならば助かったかもしれませんが、当時としてはそれが精一杯だったのでしょう。竹下青年が胃ガンになったときの主治医は高原憲先生という念仏者でした。竹下青年とも家族ぐるみでつきあいがあったものですから、あの頃は病名の宣告は出さなかったと思うのですが、高原医師はハッキリおっしゃったそうです、「竹下君、あんこはね、胃ガンなんだよ」と。
現在ならば宣告をして、患者と医師が力を合わせて病気を治していこうとする。しかし、がつてはガンは死病でしたから、なかなか宣告はできなかった。その中で、念仏者の間ではウソ偽りは言わないということで、「君はもう半年くらいの寿命なんだよ。だから残された命を、お念仏を喜んで大事に生きようね」とおっしゃったわけです。
その後、先生が短歌を贈りました。
一道をたどるほかなきこの身なり
ただひとすじに白きこの道
これはご存知の二河白道のお話です。残された命を、お念仏を喜びながら大事に過そうねと、先生かおっしゃった。これに対して、竹下青年が歌を返します。
本願の船には乗れど煩悩の
船のとも綱離しかねつも
という歌です。どちらも信仰者ですから、もう以心伝心でわかるわけです。先生、わかっております、わかっているけれども、一向に早く死にたいとは思いません、という思いの込められた歌でしょう。日頃お念仏をとなえて、本願の船に乗せられている、いつ命が終わったとしても、ただちにお浄土に生まれる幸せ者であるけれども、やっぱり娑婆にいたい、煩悩のとも綱を離したくないという思いが伝わってきます。(以上)
竹下哲と高原憲先生とは、少しではありますがご縁があります。竹下哲先生とはすれ違いのご縁です。
昨年か一昨年か、柏市のある火葬場得行くと、駐車場で先輩であり隣寺のBご住職が車で通りかかり「西原さん、竹下哲さん知っているだろう。」「はい、本で読んで知っています」「実は、いま竹下哲先生は我孫子市に住んでおられて、その奥さまの葬儀を勤め、この火葬場で荼毘にしたところだ」といわれる。
ご著書でお敬いしていた先生でしたが、同じ火葬場という場所で時間と場所を共にするご縁をいただき、ただそれだけのご縁でしたが、先生を身近に感じられるようになったことです。続く。