仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

看護とは何か。

2011年07月14日 | 苦しみは成長のとびら
今日(23.7.14)の深夜便「明日へのことば」は“日本の看護師になりたい”と題して、インドネシア人看護師 フェブリ・イェニさんでした。

並大抵ではない日本での看護師試験合格の苦労などが話されました。日本語では「やらないのはダメ」という二重否定は肯定になるなど、改めて、日本語の複雑さを思いました。

最後にこれからの抱負が語られ「患者さんを元気にさせたい」と結んだ。言葉じりをあげつらうようですが、私のウオーキング中の回想では、「患者さんを元気にさせたい。これでは最初から破たんしている」との思いがよぎりました。

なぜならば人は、病気になって元気を失い、そして死んでいくからです。元気という言葉をどう定義づけるかが問題ですが、元気が病気を治すこととなれば、限界があります。元気が病気を治すことでないとなればOKですが。

国際連合の専門機関であるWHO(世界保健機関)での健康の定義は、

 1)physical health(肉体的な健康)
 2)mental health(精神的な健康)
 3)social health(社会的な健康)

 の三方面の健康に加えて、1999年WHO理事会で討議され、
 4)spiritual health(直訳:霊的な健康)

 が必要であると、健康の定義の変更が決議されています。このspiritual healthを「元気」と和訳すれば、話しが通ります。

マーガレット・ニューマンの『変容を生みだすナースの寄り添い』をざっと読みました。
マーガレット・ニューマンは、健康とは意識の拡張であるという理論を提唱された方です。
意識の拡張とは、高いレベルへの気づきのことです。

結構、過激なことも書かれています。

17項に次のようにあります。

生物学的医学モデルは,その人が生かされた体験の豊かさを理解することには貢献できず一病気や疾病に直面した人がそれを乗り超えていく可能性を軽視し、あるいは完全に否定した(Schlitz, 2004.P8).

とあります。身体的な病気の疾病の治癒だけを目的とする医療は、高いレベルへの気づきに妨げとなっているというのです。

看護とは何か。聖路加看護大学のホームペジに下記のごとくありました。

本学では看護を、人間の健康に焦点を当て、人間と環境に働きかけ、各人の到達しうる身体的側面と心理・社会・霊的側面の最高位、すなわち最適健康状態を生み出すように援助する働きととらえる。(2004年聖路加看護大学学生便覧p2)
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