仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

これでやっと、あの子のそばにいてあげられる

2011年07月12日 | 日記
“慈しみや優しさは、他者への働きかけですが、慈しみや優しさを発した自分が潤っていく”そんなことを思ったのは、一昨日紹介した『たったひとつの命だから②』(地湧社刊)に次のような手記を見たからです。(以下転載)

私には3歳年上の兄がいました。と言っても私には全く記憶がありません。なぜなら、私が歩き始めたばかりの頃に亡くなったからです。
 母の実家は、筑後川のすぐそばにあります。兄が4歳、私が1歳の夏、とても暑いその日に、母は浅い所で水遊びをさせて涼ませようと思ったそうです。石っころの下にいるカニを見つけては大喜びする兄の後を、やっと歩けるようになった私は何度も尻もちをつきながら、追いかけていたそうです。 とても楽しそうに大はしゃぎしていたそうです。
 そして、少し川の中へ入って行った、ほんの一瞬の間に、兄の体は川の流れにさらわれ、母は驚いて兄の後を追い、必死に泳いだそうですが、引き上げた時にはもう息はなく、そのまま亡くなったそうです。

 私は中学を卒業するまで長男だと思ってきました。知らない人の写真が飾られていることを不思議に思いつつも、野球しか頭になかった私は、尋ねることもなく、たいして気にもとめず過ごしてきました。ある日、6歳年下の妹がこの写真は誰かと尋ねました。母は悲しそうな表情を浮かべて、初めて私達に兄の話をしてくれました。
 母は一度も海や川、プールに連れて行ってばくれませんでした。泳げない母をバカにしていました。母の悲しみや辛さを感じることもなく。兄が亡くなった日のことを、昨日のことのように語る母は、普段の厳しい母と違って、とても穏やかで、それでいて、優しく悲しげで…とても綺麗に見えました。兄の分まで、私達は元気で長生きしようと兄妹で話しました。
 昨年、73歳で母は亡くなりました。最期に母が残した言葉は[これでやっと、あの子のそばにいてあげられる]でした。兄の命を助けることが出来なかったという、自責の念で生きてきた母の一生を感じました。(以上抜粋)

[これでやっと、あの子のそばにいてあげられる]と自分の死を受け入れていく。母である優しさに私が潤されていく。この母の言葉に接した時、昨日の2つのエピソードを思い出しました。
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