高原憲先生とは、先生のご子息との手紙でのご縁です。拙著『光 風のごとく』の中に、
何もかも
我一人の
ためなりき
今日一日いのちたふとし
[高原憲(たかはら けん)]『水の味』(是真会)より。
を掲載しています。この歌は、先の竹下昭寿さんへ高原先生が書いて差し上げた歌です。私の本に掲載するに当たり高原先生の関係書の方にお許しを得るべく、お手紙を差し上げ、そのときご子息の方から、書き物や本を送っていただき、それから2.3度お手紙でのご縁をいただきました。
先の竹下哲先生が高原先生について下記のように語っておられます。以下http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/takesita.htmlより転載
それで長崎に是真会病院という病院があります。「世間虚仮、唯仏是真」から取った名前です。その院長である高原憲先生は篤信の念仏者でした。患者さんの脈を取りながら、「ナマンダブ、ナマンダブ」と申す先生でした。ある患者さんが先生の診察を受けて「君は大丈夫だ」と言われて、喜んで家に帰ろうとして、待てよ、大丈夫と言われたが、いつまで大丈夫だろうか、それを聞かなかったというわけで、また病院に引き返したんです。それで先生にまた会いました。
「先生、いつまで大丈夫なんでしょうか」
そしたら、
「うん、死ぬまで大丈夫だ」
そういう先生です。
(以上)
何もかも
我一人の
ためなりき
今日一日いのちたふとし
[高原憲(たかはら けん)]『水の味』(是真会)より。
を掲載しています。この歌は、先の竹下昭寿さんへ高原先生が書いて差し上げた歌です。私の本に掲載するに当たり高原先生の関係書の方にお許しを得るべく、お手紙を差し上げ、そのときご子息の方から、書き物や本を送っていただき、それから2.3度お手紙でのご縁をいただきました。
先の竹下哲先生が高原先生について下記のように語っておられます。以下http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/takesita.htmlより転載
それで長崎に是真会病院という病院があります。「世間虚仮、唯仏是真」から取った名前です。その院長である高原憲先生は篤信の念仏者でした。患者さんの脈を取りながら、「ナマンダブ、ナマンダブ」と申す先生でした。ある患者さんが先生の診察を受けて「君は大丈夫だ」と言われて、喜んで家に帰ろうとして、待てよ、大丈夫と言われたが、いつまで大丈夫だろうか、それを聞かなかったというわけで、また病院に引き返したんです。それで先生にまた会いました。
「先生、いつまで大丈夫なんでしょうか」
そしたら、
「うん、死ぬまで大丈夫だ」
そういう先生です。
(以上)