仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

白く光に華やぐ雲

2012年10月15日 | 苦しみは成長のとびら
東京の日の出時間は5時47分、5時のウオーキング時剋は、闇に包まれていますが、空高くの雲から白い色を付けていき、白く色づく雲によって空高さが知れて、その変化の様子が楽しい。

6時前、西の方角は幾重もの雲が重なり、その雲が下から上がる朝日にたらされて“ほー、雲が白く華やぐ朝だなー”と思ったとき、岡本かの子の『年々にわが悲みは深くしていよよ華やぐいのちなりけり』の歌が思われました。深い悲しみの中から仏さまの光が入ってきて、その光によって人生が華やぐ様子を歌ったものでしょう。

その歌と共に、下記の物語を思い出しました。

高校でも大学でも運動選手として活躍した彼は、右足骨肉腫の告知を受けて2週間後、脚の上部から脚を切断した。彼の怒りは強烈で、学校をやめ、大酒を飲み、自滅的な行動に向かった。

 ある医師と出会い、画用紙に自分の身体のイメージを書くことを進められる。青年は乱暴に輪郭だけの花瓶をかき、中央に深いひびを描き入れた。歯ぎしりをしながら、紙が破けるほど力を入れて、黒いクレヨンでひびの上を何度もなぞった。目には怒りの涙を浮かべていたという。

 その後青年は、「心の傷がだれにも理解されていない」という思いから、外科病棟に入院中の、彼と同じような問題をかかえた若者を訪ねていくようになった。

 21才で両方の乳房を手術で切除したある女性を訪ねた。女性は深い鬱状態で目を閉じベットに横たわり、彼の方を見ることもこばんだ。青年は今までの経験と知恵を絞り、身体の形が変わってしまった者同士でしか言えないことも言葉にし、冗談を言い、ついに腹を立てたのに、いっこうに反応がなかった。

 ラジオからは静かなロックミュージックが流れていた。彼は立ち上がり、義足を外すと床にどさっと落とした。はっとした女性は彼を見る。彼は声を挙げ笑いながら音楽に合わせてはね回った。彼女も笑いだし「あなたが踊れるのなら私だって歌えるはずよね」といった。まもなく二人で入院中の患者さんを一緒に訪ねるようになったという。

 最初のひび割れの絵を描いて1年後、再びその絵に向き合った。彼はその絵を手に取り、「これまだ描き終わってないんだ」と言うと、黄色いクレヨンを選びとり、花瓶のひびから、紙の端まで放射線状の線を書き込んでいった。太い黄色い線で。笑いながらひびに指を当て静かに言った。「ここから光が差し込んでくるんだ」。
(「失われた物語を求めてーキッチンテーブルの知恵」レイチェル・ナオミ・リーメン著 中央公論社刊より)

良い話です。私の人生の中で体験される苦しみや悲しみから、私の人生に如来の光が差し込んでくる。早朝の華やぐ雲の下で、念仏を称えながら思ったことです。
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