仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

懺悔という営み

2012年10月14日 | 日記
深まりゆく秋、未明からスタートする半そで姿のウオーキング、今年初めて“寒い”と感じました。今日は、よく念仏が出ました。それは昨日、築地で開催された「がん患者・家族語らいの会」グループの中で話された、ある女性の苦しみを吐露した言葉が、脳裏に焼き付いていたからです。

内容紹介はできません。お連れ合いを見送られた状況下での後悔と許しがたい自責の念。その渦中での苦しみ。

ふと思うことですが、“後悔と自責の念”がという苦しみと、“懺悔”との間には、少し距離があるようです。“後悔と自責の念”と格闘するという苦しみ、それは“後悔と自責”という攻める自分、正しい自分がいるということでしょう。その正しい自分が明らかになった時、人はその格闘する苦しみから解放され“懺悔”になるのかもしれません。

そんなことを思い浮かべながらの朝の念仏でした。

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