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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

妻の日の愛のかたみに

2021年09月28日 | いい話

法話メモ帳より

 

大映映画 「妻の日の愛のかたみに」 (1965) 若尾文子, 船越英二, 

映画あらすじ

 

歌人の池上三重子が記した同名手記をもとに、木下恵介が脚色し富本壮吉がメガホンをとった愛の物語。難病に冒された若妻が愛をまっとうするために下した決断とは。

 正之と千枝子は昭和28年に見合い結婚をした。千枝子は九州の柳川に嫁ぎ、小学校の教師として働いていた。しかしある日、千枝子は指に痛みを感じチョークを取り落としてしまう。痛みはやがて全身に広がり、関節リウマチと診断される。正之の母は世間体を気にして離婚を勧めるが、正之は別府国立病院に入院した千枝子を必死に看病した。九州では子供を産めない嫁とは離縁するという風習が根強く、千枝子は自分が妻にふさわしくないのではと思い悩む。千枝子は正之に離婚を申し出るが、正之はそれを拒み続けるのだった。(以上)

 

 

池上三重子、幸せ一杯の結婚生活の四年目、悪夢の様な多発性関節リュウマチに悩まされ、それ以後の人生を生ける屍の様な重病にあえいだ三重子さんは、悩み考えた末に、夫を愛するがゆえに別れることが、ただ一つ残された愛の行為と、夫の頼みをふり切って妻の座を捨てました。ところが、夫にとってよかれと願った離婚でしたが、再婚の話を告げられた時に、思いもかけず、自分のいう通りになった夫に対する憎しみ、まだ見ぬ二度目の妻に対する嫉妬で、三重子さんは一年間苦しみぬいた。そんな自分を、「無明の闇」と表現しております。しかしながら、この人生につまづき、涙を流す彼女を照らし、護り励ます如来大悲との出遇いは、やがて彼女の心の傷をいやし、以後の人生を明るく謝念あふれる言葉が綴られていきました。池上三重子さんは2007年(平成19年)3月27日、83歳で逝去されています。

 

『妻の日の愛のかたみに』(池上三重子著)より抜粋してみます。

 

今、私は、全関節をほとんど冒されているのです。同じリウマチ患者が、二十年も三十年も、それ以上の年月をついやしてゆっくりゆっくり進行する病勢が、私の場合は、ばたばたとたてつづけに、四、五年でこうなってしまいました。

 最後のよりどころである両顎関節でさえ、もう後わずかを残すのみの機能の自由です。阻(そ)しゃくと言語、それの閉ざされる未来は、かなしいことですが、確定的な歩みで迫って来ています。

 

彼の幸福を希望するのが本心ならば、真に真に彼を愛するならば、私は、積極的に彼の愛を私から引き離さればならないのだ。私の、愛ならぬこの愛執を断ち切らねばならないのだ。私は、真剣にその方法を模索し始めたのだった。

 

だから私は、純粋な、ひろい愛情で彼を愛することができるのだ。この命のある限り、この愛のにごりなさは不変である‐と、信じきり疑う余地はなかった。

 ところがそうではなかった。

 予想することのできなかった新しい混乱が私を襲ったのである。

 私は、彼に早く後の妻を迎えることをすすめた。離別のときもそれを彼に言い、彼の母に頼んだ。そうさせる為にのみ、私は妻の座を去ったのである。

 それなのに、来るなと言っても来づつける彼の口から、ぽつぽつと後の妻の俟補についてのあれこれを聞きはしめたとき、羨望と嫉妬と憎悪が、思いがけなく、むくむくと頭をもたげて、揺り覚まされる女心を感じた。どこに、いったい私のどこに潜んでいたのであろうか? 今ここに見ている一人の女の狂態のおぞましさはまさしく私に他ならないのだ。(以上)

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