法話メモ帳より
受くるのみなる母の愛
浅井成海
もう20年も前になりますが、結核を発病し、二年近く療養所生活をおくりました。かなり病気が進んでいたので、数力月は絶対安静でありました。仕事への焦りや、家族のことなど考えると心重い日々でした。この療養生活の中で俳句をけじめました。先生をむかえて開かれる句会で自然の心を学ぶようになりました。
病状が落着くと、俳句会の世話もしました。重症で句会に出席てきない方々の作品を集めてまわるのです。その中に50歳近くの女性がおられました。彼女は教員在職中に発病され、入退院のくりかえしの中で病状が進み、10年以上も入院しておられました。ほとんど外に出られず、終日個室で安静にしておられました。彼女のお母さんは、バスと電車を乗り継いで遠くの町に住んでおられましたが、すでに70歳をこえてみえるのに、毎日山の中にある療養所に通って来られました。朝10時頃のバスで来られ午後一時頃帰られます。毎日弁当を持って来られるのです。少しでも食欲が出て、一日でも早くよくなるようにと、10年も通い続けておられるのです。
ある時、「毎日大変ですね」と言いますと、「私の動ける間に、なんとしても治ってほしいのです」と語れました。
その愛情の深さに心うたれえました。その彼女があるときの句会に、
雪ふるや受くるのみなる母の愛
という句を出され、みんなに強い感銘を与えました。山中にある療養所は、とても冷えこみまず。よく雪が降ります。病気に暖房はよくないということもあって、寒々とした個室のベットの生活です。その寒さに耐えうるのは、ひたすら尽して下さるお母さんの愛あればこそであります。ふる雪を見ながら、私の生涯は母の愛をただ受けるだけであった、なにひとつお母さんに返すことは出来なかったと、お母さんを拝んでおられます。逆境の中で親娘がしっかり手をとりあって生きぬく生活は、固い絆にむすばれていて、本当の母娘のであいがなされていることを教えられました。
母といて苺をわかつ銀の匙(さじ)
という句もつくられました。母娘の情愛あふれる美しい句です。
この女(ひと)を病室に訪ねると、よく『歎異抄』を読んでおられました。療養生活の根底にふかい念仏の心があることが知られます。お母さんを拝んでおられるままが、またみ仏を拝んでおられるのでした。
退院の何年後かに、私は彼女の訃報をうけました。しかし、「受くるのみなる母の愛」と詠われたこの女(ひと)と、娘さんにひたすら尽しつづけられたお母さんの生き方を忘れることはできません。
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