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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

バチが当たるとは

2013年11月14日 | 仏教とは?
昨日(25.11.13)は、築地本願寺の報恩講へ門信徒有志(27名参加)と共に参拝しました。そして帰りがけに、スカイツリーに上ってきました。参加者の皆さんも初めてで、快晴の青空の下にひろがる関東平野を一望できました。と言っても地球は丸いので地平線の稜線に拒まれて、関東平野は一望できません。350m、さらに450mと、その高さのちがいも楽しめました。

スカイツリーに到着すると「本日は茨城県民の日のため、混雑しています」とのアナウンス。私たちは、団体チケットもすでに持っていたので、そのまま入れましたが、直接来た人は、1時間ほど並んだようです。私は茨城県民の日と聴いて、山岡鉄舟のことが思われました。

1871年(明治4)年11月13日、初代県令(今の知事)に山岡鉄舟が赴任され、県庁が水戸城の中におかれています。

山岡鉄舟の話を、いくつか法話でしますが、その中の1つをご紹介します。

鉄舟が江戸で剣術の指南をしていた時のことです。ある弟子が、「先生、先生は常日頃、神仏に罰が当たると言われますが、私など毎日、道場に来る途中で、神社の鳥居の前で小便をしてきますが、一向に罰が当たったことはありません」を言った。すると鉄舟は、「馬鹿者、鳥居のまでに小便をする奴があるか、鳥居の前で小便をすることは犬畜生のすること。おぬしはすでに成人でありながら、犬畜生の分斉に落ちたということじゃ。それが罰が当たった姿じゃ」と言い放った。(以上)

神仏の罰を未来ではなく、「今」に味わっているところが好きな話しです。
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