仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

知らざると知らざるとする、それ知れるなり

2011年01月27日 | 仏教とは?
昨日の読売夕刊(23.1.26)「よみうり寸評」に、新刊『他人の何気ない一言に助けられました』(中央公論新社刊)が紹介されていました。

この本は読売新聞が運営するインターネットのサイト・大手小町の掲示板・発言小町への投稿の数々だそうです。私もこの掲示をたまに覗くことがあります。ネットをとしての有縁社会の到来を、どう考えるか。悩ましいところです。

掲載されていた話しがいい話なので、新聞から転載してみます。

 〈おっ、かわいいな!〉──通りすがりのビジネスマン、全く見ず知らずの忙しそうな男性が、息子をかわいいと言ってくれた◆そのとき、その子の母である「情けない母」さんは息子の障がいが判明して毎日思いつめていた。子供の手を握りしめて、行きかう車を見つめながら、いっそ飛び込もうかと思っていた◆そんなとき、あの一言で「私の子供は他人さまから見てもかわいいんだ」と気がついた。「菩薩さまが降りてきて下さったのかも知れない」と今では思っている。(以上)

私も、何気ない一言ではないですが、一言に救われたことがあります。京都での学生の頃のことでした。あるとき公案(禅宗での修行法)に取り組んだ。それは「箒(ほうき)を箒と言わずに一言で示せ」というものでした。

毎日考えていたが答えが見いだせない。2週間もするとノイローゼ状態になしました。ところが下宿で本を読んでいるとその本の中に「知らざるを知らざるとせよ。それ知れるなり」とあった。

するとどうだろう。箒を箒と答えられない自分を受け入れ、かかしと答えても、車と答えても、納得できるトランス状態が開かれました。すべての光景が美しく、自分の経験というメガネを通さずに世界に接すると、世界はこれほど美しいかと思える光景でした。一種の覚醒です。しかしその美しい光景は一週間でその美しさは失われていきました。
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