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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

大学入試センター試験、私の回答

2011年01月28日 | 浄土真宗とは?
1月15日・16日の大学入試センター試験、「公民」の「倫理」の問題です。
『歎異抄』の『善人なおもって往生をとぐ。いわんや悪人をや』が設問されていました。


間3 下線部bに関して、『歎異抄』は、「善人なほもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」という親鸞の言葉を伝えている。このなかで使用されている「善人」と「善人」の説明として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
  
【16】
  

① 「善人」とは、阿弥陀仏とは無関係に自力の善のみによって往生が可能な人のことであり、「悪人」とは、根深い頓悩によって悪を行ってしまいがちな自己を自覚し、阿弥陀仏をたのんで、善を努めようとする人のことである。

② 「善人」とは、阿弥陀仏とは無間係に自力の善のみによって往生が可能な人のことであり、「悪人」とは,根深い煩悩を自覚し,どんなに善をなそうと努めても不可能であると思い、阿弥陀仏の救いをたのむ人のことである。

③ 「善人」とは、自力で善を行うことができると思っている人のことであり、「悪人」とは、根深い煩悩を自覚し、どんなに善をなそうと努めても、それが不可能であると思っている人のことである。

④ 「善人」とは,自力で善を行うことができると思っている人のことであり、「悪人」とは、根深い煩悩によって悪を行ってしまいがちな自己を自覚し、できるだけ善に努めようとする人のことである。

正解は ③だそうです。でも「それで正解なの」とケチをつけたくなります。間違いではないが、③では不完全で、昔の豊田商事事件の二の舞を生み出す危険があります。

豊田商事事件とは、 孤独な老人を親切でだまして、金塊の預り証と称するただの紙切れをつかませていくと悪徳商法です。永野一男会長が報道陣の監視のなかで惨殺されました。

永野一男は、親鸞聖人の「悪人正機」の教えを逆手にとって豊田商法の経営理念にもちいていたと記憶しています。『歎異抄』の「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」。人間はみんな悪人なのだからすこしばかり悪いことをやっても恐れることはないという論法です。

何が不足かと言えば、「悪しかない」をそのまま単純に肯定している点です。悪の自覚は、“救われなければならない存在である”阿弥陀如来の救いによって肯定されなければなりません。

昨日、「知らざるを知らざるとせよ。それ知れるなり」という言葉を持ち出しました。“知らざるを知らざるとする”という投げやりだけに終わらず“それ知れるなり”という肯定してくれるものとの出会いが重要なのです。

そこで私の正解は②と③の折衷です。

⑤ 「善人」とは、自力で善を行うことができると思っている人のことであり、「悪人」とは,根深い煩悩を自覚し,どんなに善をなそうと努めても不可能であると思い、阿弥陀仏の救いをたのむ人のことである。

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