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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

相撲は陰陽道のビジュアル化

2010年02月01日 | 都市開教
理事選、朝青竜、相撲界がなにかと注目されている。うちの坊守は、女性排除などを含めて相撲の精神性を大切にという考えです。私は少し複雑な思いをもつ。横綱に精神性を求めるのは、国技であるから当然として、相撲の宗教的な背景が少し複雑になる理由です。

相撲文化の中に取り込まれている日本文化は陰陽道思想です。おそらく思想的なものを意識的に取り入れたのは明治以降であろう。

過般(22.1.30)、産経新聞【新聞に喝!】で関西大学副学長・黒田勇 相撲文化の在り方について述べていた。その中に

確かに相撲は古代から存在したが、土俵ができたのは江戸時代で、最初は四角だったという。様式や制度が整備され、「伝統」が形作られたのは明治以降で、新聞、ラジオ、テレビというメディアの発達に伴い、「見せるスポーツ」へと不断に修正は加えられている。かつては両力士の息があうまで仕切り直しは続いたが、ラジオ中継が始まった昭和初期に7分の制限時間が設けられ、さらに戦後のテレビ中継開始とともに4分に短縮された。こうした相撲の「伝統」や「歴史」を正しく伝えることも現在の問題を考える際には必要だろう。

とあった。
以前、どこかに書いたが「相撲は神事である」。どこかの相撲解説者のよく言う言葉です。この相撲には先の陰陽道の考え方が多くちりばめられています。

「はっきよいのこった」のはっきは易の使う「八卦がよい」という意味であり順風漫歩、すべてよしということです。塩をまくのも死者の穢れを祓う行為だし、四股を踏む四は、四方を意味しており、陰陽道でいう四神に対する儀式だと言われています。その四神、すなわち四方を守る玄武(北)、青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)で、四股を踏んで沈める儀式です。

陰陽五行の五を色で配当したのが、頭上のやぐらに垂れている房の色、「東の青房」「西の白房」「南の赤房」「北の黒房」中央は土=土俵の色、黄色の五色です。行司の持つ軍配には太陽と月、すなわち陰と陽の象徴したものだし、弓取り式も、陰陽師は弓を使って怨霊を調伏していく法があって、それを取り入れたといわれています。

あの四角に固めた土の上にある丸い土俵も陰陽道の宇宙観「天円地方」、丸は点を四角は大地を表しています。

数年前、親鸞聖人の小説を書くとき陰陽道の本を何冊か読みました。その中『陰陽道とは何かー日本史を呪縛する神秘の原理ー』(戸矢学、PHP新書)の中に「天と地の結合を宣言する横綱土俵入り」と子見出しをつけ下記のよう記述されています。


 横綱は、四色の房に象徴される四神の見守る結界で土俵入りし、地から天へせり上がる。力強く四股を踏むことで、地の負(陰)を鎮め、天の勝(陽)へと祈り上げる呪術的作法だ。この所作は、陰陽師の反ぱんという歩行術からきている。
  「横綱土俵入り」は、もっとも強い力士が腰に注巡縄を張って、かしわ手を拍ち、四股を踏む。そのとき、背後では立て行司が祭交を唱える。この様式は、「地鎮祭」そのものである。                         
 「地鎮」とは、言うまでもなく「地の神を鎮めること」であるが、りょう力にもっとも優れた横綱が四股を踏むことで、地の神が鎮まる。土俵は場所ごとに新たに土を固めて造られるが、その仕上げの作法が「土俵入れ」である。(以上)

陰陽道は、天武天皇が律令制の中に天皇に直結する陰陽寮を置いていらい、明治政府が1870年に陰陽道禁止令を発布するまで、陰陽道は天皇から一般庶民まであらゆる階層から生活の指針としていました。それを取り入れて相撲文化を作ったようです。

相撲の中にある礼儀作法や、勝ち負けを最高のものとしない美学や負けた相手を重んずる精神性など、日本の大切な文化をも否定するものではありません。でも陰陽は頂けません。

興味があるのは、陰陽道が相撲という武道を通して、その宇宙観や働きなどを演出する、その全体の構図です。これは面白い。

浄土真宗が、アミダという大宇宙の願いと働きが私の念仏となって私の上に顕現するという教えです。その働きが私の上に顕現する様子を、象徴的に相撲のようにビジュアルで見せることができたら面白いがと思った。なにかここに新しい儀式のヒントがあるようです。
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