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ルポ 日本の土葬③

2023年05月17日 | 日記
『ルポ 日本の土葬――99.97%の遺体が火葬されるこの国の0.03%の世界』(2023/1/20・鈴木貫太郎著)、知識として知っておきたい部分だけ転載します。

火葬普及の背景


日本における火葬の歴史について、NPO法人日本環境斎苑協会が刊行した「火葬概論」には、次のように記されている。

遣唐使に随行して653年に人唐した後、三蔵法師の弟子となり、帰国後、社会事業とし尽くした高僧の道昭が、遺言により700年に大和の栗原(桜井市郊外)で火葬に付された・これをもって火葬の始原だと「続日本紀」に記載されていることが、昔から多くの人々により信じられてきた。
 しかし、道昭よりも早い600年前後には、すでに火葬が行われていたことを示す火葬遺跡(大阪府堺市陶器千塚古墳群)が、1956年(昭和31年)に考古学者の森浩一教授(同志社大学)により発掘され、火葬の始原は100年ほど遡ることとなった。

 7世紀前後まで歴史をさかのぼれる日本の火葬だが、国民の半数近くにまで浸透するようになるのは20世紀になってからだ。普及を大きく後押しした初めての契機は、明治時代に起きた感染症・コレラの大流行だった。日本各地で多くの死者が出る事態を重くみた政府は1897年、伝染病予防法を制定。これによって、コレラなど伝染病に罹患した死者の遺体は火葬しなければならないと義務づけられた。同法の施行がきっかけとなり、全国各地で火葬場の改修や新設が推進され、同年に29・2%たった火葬率は、1942年には57%まで急上昇した。第2次世界大戦下、一時30‰程度にまで落ち込むが、戦後すぐに増加傾向に戻り、50年までに54%にまで回復する。
 しかし、国民の9割近くにまで本格的に火葬を普及させた真の立役者は、伝染病予防法ではない。戦後、火葬をさらに普及させる社会的な動きがあったのだ。まず1952年、国の資分を充当する特別地方債という低利の融資制度が、「火葬場の建設財源」に対して適用される、これは火葬場の整備を、国として推進すべき政策と認定したに等しい。
  国民の火葬率は、1955年に57・4%だったものが、5年後の60年には63・1%にまで急増。
その後、65年に71・8‰、70年に79・1%、75年に85.7%とに上昇を続け、79年には90・1%に達する。火葬率が9割を超えてからは、さすがに上昇率はゆるやかになった。しかし、じわじわとし上昇は続き、ついに2004年に99.8%となる。
 (以上)
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