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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

地域包括ケアと自己実現の居場所づくり③

2024年03月25日 | 日記

『超高齢社会のまちづくり: 地域包括ケアと自己実現の居場所づくり』(2023/4/13・後藤純著)からの転載です。

 

 自分らしさと不安

らしくないが引き起こす羞恥

 羞恥について、たとえばギデンス(2005)は[ある場面で自分の存在や動機が不適当なのではないかと感じる不安]と定義している。羞恥(はずかしい)の反対語は、自尊心(ほこらしい)である。自分の生きてきた歴史全体==自分らしさからみて、大切にしている価値、信頼しているコトなどがあるが、身体的・精神的・社会的な原因で(ということは高齢者に限らず若い世代も)、自分か快活にできていたことができなくなり自信を失うと、羞恥の側面が前に出てくる。

 ギデンスによれば、羞恥は二つの要因で引き起こされる。一つは、他者に恥をかかされること。もう一つは、自分か過去の経験を無意識に持ちだして、その場に不適切ではなかったか、自分らしくなかったのではないか、と不安になることである。自分のなかで引き起こされる羞恥==自分らしくないという感情が高じると、ジレンマとなる。このジレンマは、様々な病理を発生させる。たとえば頑固・意固地になる、独断に走ってしまう、テレビや専門家、宗教などの権威的なものにはまる、自分の過去に浸りナルシズムになる。

 

うつろいやすい「自分らしさ」

 地域包括ケアシステムにおいては、「自分らしく」という言葉が使われるが、「自分らしく」というのは罪が深い言葉のようにも思える。身体機能等が衰えと、「自分らしさ」はどうしても元気な頃(過去)を振り返ってしまう。しかし高齢者の身体的・精神的・社会的機能は衰えていくのであり、つねに「自分らしさ(過去)]と「いまの自分」に差が開く。さらに男性は、学歴、肩書、年収の多寡などで、自分のらしさが評価されてきた人も多い。退職をしてしまえば、学歴、肩書、年収とは無関係となり、その人がいかに自分の人生を生きているかでしかない。私にはもう何もないから、頭も悪いし才能もないから、昔はできたけれど、もうこんな体では何もできないからと麻痺する手に視線を落とす。過去の「らしさ」にとらわれると、いまの自分はつねに「らしくない」ことになる。

 また子どもからみた「元気な時の親らしさ]というのもある。いつまでも親には元気でいて欲しいと思う気持ちから、一番元気だつたときを想定し「らしさ]として認定する。こうなると認知症が進んだり病気になると、いつもの「親らしくない」ので、ジレンマを親にぶつけることになる。しかし、尊厳はみな平等である。何歳でもどどのよう状況でも、意思さえあれば、自分らしを化させられる。そして行動することも出来る。(つづく)

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