仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

信国精一

2020年12月14日 | いい話

法話メモ帳より

 

信国精一(愛媛県宇和島市念称寺)

 

昭和5年、熊本県の農家に生まれ、青年時代は元気でしたが、19歳の時結核性肺炎を患う。「人間は死んだらどうなる」なということを叨実に考えるようなった。お母さんや伯母さんが篤信の方で親鸞聖人のみ教えを聞くように勧められて寺から寺へと聞法の生活を続けたが、本格的に仏教の勉強をしたいと決心し、中央仏教学院へ入学、二年間必死に勉強しました。

ところが、あまりにも無理をして肺結核にかかり、その上に右側の賢臓を切除しました。度重なる病気のため身体は衰弱し、骨と皮とき痩せ細りました。

二年間、命がけで勉強して、理屈は十分に分かっていても、何も役に立たない。どうしたらよいか覩日夜苦しみ悩んだ。

 当時、神戸におられた恩師・稲垣瑞剣に、教えを求める手紙を出した。自分では手紙を書く力がないので看護婦さんに代筆してもらった。

「先生、私はお念仏のみ教えを二年間勉強して参りましたが、このままでは死んでも死にきれません。どうかお念仏の救いの要を教えてください」

三日後、夏の暑い日、稲垣先生(当時80歳位)は、わざわざ京都の病院へお見舞いに来られました。そしてこう言われた。

「信国さん、あなたの頭の中で十日や二十日位、自分の死の問題を悩んでみても解決のつく問題ではありません。それで解決がつくのだったら、阿弥陀如来の永劫のご苦労はないのです。あなたの考えは間に合わないのです。阿弥陀如来の親さまはあなたの苦悩を見抜いて、悉く知り抜いていますから、如来のお慈悲一つでたすかるのです。私たちの方では何も用事がないのです。」

稲垣先生の話を聞いて、信国さんは「今までは自分が助かろうたすかろうと思っていたのが大きな間違いであった。たすからんのが私であり、たすかりようのない私でありながら、自分自身でたすかろうと力んでいたのが大変な方向ちがいでした。こういう者こそ、阿弥陀如来の本願がありました。

このままで、たすからんままの私がたすかっていくお慈悲が、南無阿弥陀仏の中にこめられてありました」と気づかせてもらった。(NHK「宗教の時間」)

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