24日の「ちひろコンサート」で、金子みすゞさんの下記の歌について。言及していました。
さびしいとき
私がさびしいときに、
よその人は知らないの。
私がさびしいときに、
お友だちは笑うの。
私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、
仏さまはさびしいの。(以上)
言及していたというのは「仏さまも」でなく「仏さまは」とあることです。これは法話でも、良く語られるという事でした。
「も」とした場合、文法的な意味は「添加」となり、仏様も私と同じようにさびしい、「〜同様に」という意味になります。
「は」の場合には、ほとけさま「は」、となるので仏さまが「主語」となります。ほとけさまが主語になるとは、ほとけさまが中心となる表現という事でしょうか。
さびしいとき
私がさびしいときに、
よその人は知らないの。
私がさびしいときに、
お友だちは笑うの。
私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、
仏さまはさびしいの。(以上)
言及していたというのは「仏さまも」でなく「仏さまは」とあることです。これは法話でも、良く語られるという事でした。
「も」とした場合、文法的な意味は「添加」となり、仏様も私と同じようにさびしい、「〜同様に」という意味になります。
「は」の場合には、ほとけさま「は」、となるので仏さまが「主語」となります。ほとけさまが主語になるとは、ほとけさまが中心となる表現という事でしょうか。