仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

人工知能

2023年06月11日 | 日記
『読売新聞』夕刊(2023.6.10)に「とれんど」「悪いのか科学者か」論説副委員長白川義和のコラムが掲載されていました。

科学者が自ら生み出した怪獣や恐竜。ロボットを制御できなくなって慌てふためく話は、古くから小説や映画に使われてきた。
 いま、AI(人工知能)の世界ではそれが現実のものとなり、現場の悲鳴が聞こえてくる。
 生成AIを開発した米企業のトップは、「最大の懸念は、私たちの技術が世界に大きな害をもたらすことだ」と述べ、政府による規制が不可欠だと訴えた。米IT大手社長も「安全対策は企業だけに委ねるべきではない」という。
 生成AIは、人間が書いたかのような文章や画像を自動で作る。
ビジネスの効率化や技術開発を促し、人々の生活を豊かにすることが開発者の大義だったはずだ。だが、偽情報の氾濫や著作権侵害などのリスク、さらにAIが人間の思考力を奪いかねない事態まで入念に検討していたとは思えない。社会に及ぼす影響は、もはや開発者レベルでは対処できない段階に至ったということだろう。
 思い起こされるのは、原爆の開発を主導した米国の物理学者の責任を巡る論争である。藤永茂さんは科学者の立場から、国家が望み、予算を付けたことが核兵器の実現につながった、という視点を提起した。(「ロバート・オッペンハイマー」ちくま学芸文庫) 広島・長崎のような惨劇が起きる前に、人類が進めてはならないAI技術を見極め、開発を止める必要がある。その権限を持つのは政府だけだ。安易に活用を推進することがあってはならない。(以上)

便利で役に立つ者は、常に福作用が在るようです。
コメント
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