仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

思考停止という病理②

2023年06月16日 | 現代の病理
『思考停止という病理: もはや「お任せ」の姿勢は通用しない』 (2023/5/17・榎本博明著)よりの転載です。

また心理学者塘利枝子は、東アジア4力国の小学校の教科書の分析を行っているが、そのなかの日中の比較結果には両文化にふさわしし人物像の対照性が見事にあらわれている。
 日本の教科書では、敵とは知らずに無邪気に善意を信じて懐に飛び込んだ結果、本来、敵であったはずの相手の気持ちが変わり、味方になってくれたという作品かみられる。
 たとえば、小学校2年生用の「ニャーゴ」では、3匹の子ネズミが、本来、敵であるおじさんネコのことを無邪気に信じて親切にするため、このネズミたちを食べる機会を狙っていたおじさんネコも、その無垢な行為に心を動かされ、子ネズミたちに好意を抱くようになる。
 同じく小学校2年生用の「きつねのおきゃくさま」では、ひよこをもう少し太らせてから食べようと企んでいる狐が、親切を装っている自分のことをすっかり信じ込み、やさしいお兄ちゃんと慕うひよこの無邪気さに心を打たれ、いつの間にかひよこを食べようという気持ちをなくす。そして、ついにはひよこの命を狙って襲いかかってきたオオカミに立ち向かし、命を落としてまで狐はひよこを守ろうとする。
 一方、中国の教科書では、敵はあくまでも敵であり、うっかり同情すると痛い目に遭うことを諭し、けっして命を救おうなどとしてはならないことを強調する作品かみられる。
 たとえば、小学校3年生用の「尻尾を振る狼」では、狼が羊を騙そうとするが、羊は騙されず、最後には「猟師があなたを片づけに来る」と言い残して、狼のそばから離れていく。
 小学校1年生用の「農人と蛇」では、ある寒い冬の日、道で凍える蛇をかわいそうに思った農夫は、自分の懐に蛇を入れて温めてあげたところ、蛇がよみがえって農人を噛み、農夫は毒に当たって死んでしまう。死ぬ間際に農夫は「蛇は人間には有害なやつだから、私かやつをかわいそうに思うことはまちがいだ」とつぶやく。
 このような中国の教科書の内容をみると、日本人なら、小学校の子どもたちに、こんな人間不信を植えつけるような内容を吹き込かなんて、と強い違和感を覚えざるを得ないはずだ。でも、それは私たち日本人が性善説を当然のように掲げ、こちらが善意をもって接すれば、どんな相手も善意の人になってくれるはずと信じているからである。
 そのように人格形成が行われているため、私たち日本人は、人の善意を裏切るようなことはしにくいし、人を疑うようなこともしにくいのである。
 逆に中国の人は、日本の教科書の内容をみれば、相手を信じて善意をもって接すればどんな敵も悪人も好意的になってくれるなんて甘い、そんな無邪気な態度では容易に騙され痛い目にあるだろうと思っている。

コメント
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