Syrup16g全曲レビューその35「吐く血」です。
吐く血 アルバム「HELL-SEE」収録
タイトルは「白痴」をもじったものだと思われます。
軽快でシンプルなリズムのロックソングでサビはオルタナの匂いを感じさせる
サウンドだけで言ったらかなり聴きやすい部類に入るんですが
その分詞の痛々しさが際立つ感じでして。
正にダメ人間ここに極まれり、って内容の歌詞になってます。ちなみに物語調になってて
客観主観共に酷い私生活を送っている女性の歌なんですけど。
偶然出会った風に歌われてるんですが
これが実体験なのか、想像なのか、それとも自らに重ねているのか・・・恐らくはそのどれもな気がしますが
基本雑誌読まないタイプの人間なんでそういう情報に関しては抜けがある事を最初に記しておきます。
【「私には何にもないから」そう言って笑った そう言って笑った】
【一生懸命過ぎて 簡単に騙される】
【普通の会話があんまり成立しない】
【自分だけの世界に入ると戻ってこない】
【内科で診てもらえない病気の主】
詞の流れを追っていくだけで、相手の女性がどんな人物なのか想像しやすいんですけど・・・
所謂はみだし者っていうか、上手く社会や人間関係に溶け込めない人間っていうか
究極的に不器用な人間、って風に感じられて
それは底の底だとも思うんですけど。
でもこの詞で歌われてるように、この女性はきっと今でも生きてて、今でも不器用な生活を送ってて
それでもちゃんと生きていけるんだね
人間って強いね・・・って。
そんな風に逆の意味に捉える事も出来そうな曲で。そこには色々な鬱屈も劣等も溜まってるでしょうけど
そうやってペーソスを漏らしながらも、結局は無事に生きれてる現実が嬉しいよね、っていう
ある種の賛美歌っぽいイメージも個人的には浮かぶんですが。
勿論それはきれいなもんではなく。
同時に「そんなに人に怯えるなよ」っていうのは、自分自身にも言い聞かせてるような気もするんですよね。
あまりにも心の器量が狭くなると、そうならざるを得ない状況まで追い込まれてしまうから。
そういう意味でこの詞はあまりにもリアルで、重くもあります。
サウンドはポップなのになんたる間逆な方向性。でもだからこそスッと響くような利点もあるのですが。
構えなくても、リアルがポンと胸に飛び込んでくる感じで。
【「すべてを晒すことは割り切ってるから平気なんだ。
時々空しいのは向いてないかなって思う時だけ」】
この詞は、生きるって言う根本的な意味合いでも
加えて五十嵐隆の心境とも取れる言葉ですよね。
確かに全てを晒してるけど
向いてないかな、って思われても仕方ないっていうメンタル面を知ってる訳で。
そう考えると
後半の「どっかで多分生きてる」っていうのも、今の彼に重ねて聴いてしまう節があるんですけど。
単純に物語として聴くのもアリですけど、色々な人に例えて聴くのも興味深い曲かもしれません。
前述の通り、雑誌は基本読まない人間だったので
この曲の背景も想像でしかないんですけど、
この詞の中で歌われてる女性が今も元気で、元気じゃなくてもいいから
無事に生活してるといいな、とか無為に思ってしまいます。そんな生き辛い人でも
十分やっていける、まだ生きてけるんだっていうのがこの曲の本質な気はする。
ただ暗いだけじゃないっていうか。
明るいけど切ない一曲です。
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