アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

奄美・加計呂麻島の旅①

2018-12-30 15:05:01 | 小さな旅
  10月の終わりから11月の初めにかけて、奄美大島に旅行しました。めあては、加計呂麻島。奄美本島の南の港からフエリーで25分ほどのところにある小さな島です。

  この島には知人が住んでいます。彼女の名前は天野宏美さん。little life という名前の海のツアーガイドをご夫君とともにこなしています。8年ほど前、大阪の友人が私宅に彼女を連れてきたことがあり、そのときから、「いつか加計呂麻島に行ってみたい」とおもっていました。

   この、聞きなれない名前の島、実は私はずいぶん前から知っていました。何十年も前のことですが、島尾敏雄の「出発は遂に訪れず」を読み、その後、彼と彼の妻・島尾ミホとの激しいやり取りを描いた「死の棘」そのほか、彼の著書を読み漁ったことがあったからです。知った人が住んでいるなら、いつかいってみたいものだと、ぼんやりおもっていました。

   今年の初夏のころ、同年の友人と話をしていたときに、彼女が「死ぬまでに、一度でいいからスキューバダイビングをしたい」と言いだしました。「死ぬまでにしたいことがあり、そのことが何とかすれば実現可能なら、するべきだ」と、二人の意見がそこで一致。「では、加計呂麻島へ行こう」ということに突然決まりました。

   宏美さんにさっそく伝え、先方の都合と、島の気候の最もいいときに行く、ということになりました。それが10月の下旬から。以来数か月にわたって、ぼつぼつ準備を整え、6泊7日の奄美の旅が実現しました。
 
   10月31日、早朝セントレアを発ち、鹿児島へ。それから奄美空港へ。こちらでレンタカーを借りてまず向かったのが大島紬村。泥染めをする、というのも、今回の旅大きな目的でした。向かう途中、郷土料理鶏飯をたべに、ひさ倉という大きなお店に。白いご飯の上に鶏肉や卵、ショウガなどの薬味をのせ、鶏スープをかけて食べるもの。奄美が薩摩藩の支配下にあったとき、藩の役人をもてなすために供したのがこの鶏飯だそう。といっても、もとは鶏の炊き込みご飯の様なものだったそうで、汁かけになったのは戦後のことだとか。

   いずれにしろ、これがごちそう?とはじめは思いましたが、濃厚なスープをとるのに、ぜいたくなほど鶏肉をつかうのでしょう。ちょっとわたしには重すぎましたが、のこさずいただきました。帰りしな、スタッフに、米の産地を尋ねると、「鹿児島本土からきている」とのこたえ。昔は米作もさかんだったのだそうですが、いまは米を作る人がいなくなったのだとか。そういえば、道中、田んぼはほとんど目にしなかった気がします。

    さて大島紬村は、大島紬の会社が経営している施設で、予約なしでも泥染め体験をさせてくれるところ。20年、泥染めに携わってきたという年配の男性から手ほどきを受け、私はTシャツ、友人はバンダナを染めました。

    泥染めのできる場所は、奄美でも、北のほうにかぎられているのだとか。ずっと昔、本島の北に隕石が落ち、そのせいで鉄分のたくさん含まれた泥のある場所ができたのだそうです。

    大島紬の染色に使う泥染めは、簡単に言うとシャリンバイの鉄媒染。シャリンバイは、このあたりに山野のどこにでも生えている木だそうです。地の呼び名はテイチギ。

    その木のチップを煮だし、出てきた色がこちら。

     染め体験では、模様付けした布を染め液に浸してすぐに石灰の上澄み液に入れ、さらにまた染め液に入れて、石灰の液に。これを数回繰り返します。

     そのあと、泥の池に入って、泥を擦り付けながら染め付けます。

     色留めの薬の入った鍋で数分煮た後、よくよく水洗いをして完成。

     ほんとの大島紬の泥染めは、染めと媒染の全工程が85回! それであれだけ黒い色が出るのだそうです。でも、この赤茶色もいい。ただいまタンスの引き出しで待機。来夏、着ます。

     この木はマンゴー。この秋襲来した大型台風で幹ごとぽきんと折れたそうですが、一月ほどで新しい芽が。自然の勢いの激しいところですが、再生も早いのにびっくり。

     泥の池の全景。南国の風景です。

     染め体験後は、織り工場の見学です。今回初めて知りましたが、大島紬のあの複雑な柄を作るためには、まず木綿糸で捨て織り、ということをするのだそう。目的の模様を作るためには、糸をどのように絞ればいいのかを、その捨て織りの際に、決めるらしい。説明はしていただいたのですが、ややこしすぎて理解不能。とにかくものすごく大変な仕事だ、ということだけは実感しました。

とにかく気が遠くなるような作業の繰り返し。1反織るのに相当の時間がかかります。高価なのは当たり前と納得でした。


 この柄はよく見かける大島紬の典型的な柄のようです。

      何十年も続けてこられたベテランばかりの織り子さん。しょっちゅう直しをしていました。この直しは当たり前の作業のようです。いらした方は皆、ご高齢のかたばかり。でも最近、若い女性がはいってこられたそうで、案内してくれた社員はうれしそうでした。

      工場や泥池の周辺は広い庭。展示館や売店のほか、こんな建物が移築されていました。昔の貯蔵庫だそうです。高床式。

      ススキか何かかやぶきの屋根。こんもり盛り上がっているのが南方風。この形式、加計呂麻島で見た昔の写真集に載っている民家の屋根と同じです。

      ネズミに食われないため、高い屋根裏に貯蔵。

      この大きなカメに、穀物類をはじめなんでも入れていたそうです。

      ところで紬村は空港から車で20分ほどの場所。体験と見学の後は、一路南端の港町古仁屋へ向かいました。途中のコンビニで買ったのが、こちら。ミキです。

      ミキは、「お神酒」。奄美は、薩摩藩の支配に入る前は、琉球王国の属国でした。琉球では「ノロ」と呼ばれる巫女が人々の生活の隅々までかかわっていましたが、奄美でも、この「ノロ」の制度がしかれ、かなりの影響力をもっていたとか。ノロたちが口で噛んで醸した酒がお神酒。神に供えていたその酒を、江戸時代、薩摩藩の下に組み入れられてからはサツマイモを米に混ぜて材料として使うようになり、今のミキになったそうです。奄美の人たちの常飲する飲み物と聞いていたので、買ってみました。

      原材料は、米、米麹、サツマイモ、砂糖。水あめも入っていたかも。甘酸っぱい、素朴なカルピスのような味です。実は、奄美に行く直前、知人から自家製のミキをもらいました。そのミキには砂糖は入っていなくて、こくのある酸っぱい調味料という感じでした。オイルと塩を混ぜてドレッシングにしましたが、こちらのミキはかなり子供向き。コンビニの若いスタッフに「ミキはお飲みになりますか?」ときいたら、「飲みません。あまり好きではない」とのこたえが。稲武の子供たちが干し柿を食べなくなったのとおなじで、ちょっとと複雑な甘さが苦手の若い人が増えているのではないかしら。

      紬村のある龍郷から古仁屋までの道中は、トンネルだらけでした。153号線や257号線をしょっちゅう走っている私でも、こちらのトンネルの多さとその長さに驚きました。そしてどれも、けっこうあたらしい。ということは、けっこうカーブや高低差の多い道だったのですが、つい最近までは、もっと難路がつづいていたということなのでしょう。

      古仁屋の宿についてから食べに行った食堂でのばんごはん。たしか角煮定食をたのみました。モズクのてんぷらも頼んだため、量が多すぎて食べきれず。奄美大島の旅、一日目の報告でした。





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