女友達との初旅二日目は、いよいよ目的地加計呂麻島へ。
小さな港ですが、表示盤?の示すところは壮大。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/42/55bd42d2890a98bc1def598561bf5b31.jpg)
早めについたので、付設の市場で買い物しました。温州ミカンの類なのでしょうか。厚い皮のこの青いミカンは、黄色くなると酸っぱくなるそう。こちらと逆です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/13/2e4e1c9f9a1e2a9288e11c87b6582a37.jpg)
ふてぃもちは、草餅。ただし、餡は入っていません。包んである草は月桃。この月桃の薬効はたかく、加計呂麻ではあちこちでみかけました。ほんのりした香りが上品です。素朴なこのもちは、私たちのこの日のお昼ご飯位なりました。
市場の売り子さん、聞けば大阪から移住した方なのだそう。同僚の地元女性に頼んで書いてもらった地元の言葉がこちら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/97/e262570444fc55c99f71abcb16ec4bef.jpg)
ちなみに、売り切れの商品はサータアンダギーだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e0/2744b77f70c0d094ae0659bed811de15.jpg)
フェリーかけろまの発着受付所。定刻を過ぎているのに、まだ開かず。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/27/38edb70455ecff923b86e598b8f89adc.jpg)
やっと出発。はじめてのフェリー乗船です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2c/96bb09d7f4604307dbe9357e69760691.jpg)
古仁屋から加計呂麻島の瀬相港には25分ほどで到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a6/9cc6e3f086f01f1c7563fd9872249cfd.jpg)
最初に車で行った先は、島尾敏雄文学碑のある公園です。こちらに特攻兵器震洋の格納庫が残されているので、その見学に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/0a/5603dd58339e232108bc83abc14e3472.jpg)
場所は、瀬相港から10分ほど。でも、私たち以外誰の姿も見当たりませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/65/63880c56a024e5c28cc664f399c0af4f.jpg)
島尾敏雄は、海軍の将校として昭和20年にこの島に赴任。島の人たちは、島を守ってくれる部隊だとおもって歓迎しましたが、実は彼らはモーターボートに爆弾を積んで、敵艦に体当たりするという任務を負った特攻隊。島尾はその部隊長でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/64/6e52f22e92173f4cdfb3e64b24b03e01.jpg)
特攻艇の格納庫は、岩の崖に作られ、今も残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/cd/86392f92c8eb89f0d0a9aa72f572c662.jpg)
モーターボートはレプリカ。彼らは毎日極秘に訓練をし、出発の命令を待つ日々をこの静かな入り江で過ごしました。
しかし、出発命令はついに下されず、8月15日を迎えます。この経緯をつづったのが、「出発は遂に訪れず」。彼は、島の庄屋の娘で小学校教師だったミホとの恋に落ち、ミホは、島尾の出発後自害する覚悟でいました。このふたりはのちに結婚するのですが、ミホは戦後の東京での島尾との生活で、精神を病み、子供二人とともに一家は奄美に移住します。
入江は静か。敵に知られずボート発進させるのにふさわしい場所と目されたのでしょう。それにしても、ボートは想像以上にちゃちでした。空の特攻機同様のお粗末さに唖然とします。
加計呂麻島は、奄美大島の南端の瀬戸内町に含まれるのですが、その本島側の瀬戸内町にも、数か所の戦跡があります。加計呂麻島は、現在の人口は1900人ほど。稲武より500人ほど少ない、静かで小さな島なのですが、明治時代から軍事の施設が作られ、戦略上の重要な場所とされてきました。
島の西端にある安脚場もそのひとつ。海辺の細い道を西に向かって進んだのですが、あいにく戦跡のある場所に至る道が通行止めで断念。どこにも、その表示はなく、近くで時間待ちしていた加計呂麻バスの運転手さんに道を尋ねたら、そういうこたえがかえってきました。のんきというかなんというか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/9e/3e67086e97c3a90d8934ee4677e66c0b.jpg)
加計呂麻島は、島のほとんどが山。山と海の間のわずかな平地に集落が点在しています。道を走っていると、目立つのがお墓。立派なのです。家は、どこも小さいのに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b8/f079445ef8524bee55c1348e5edb2dd5.jpg)
さて、この日の最後の目的地は、諸鈍。比較的大きなこの集落にある公の施設で、諸鈍シバヤに関する展示物を見ることです。展示室でひときわ目を引くのは、ユタの衣装、芭蕉布です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/84/ef10e52d9441b11eb0b4e5f60584b8b3.jpg)
諸鈍シバヤは、諸鈍に古くから伝わる伝統的なおまつり。シバヤは芝居だそうです。源平合戦に敗れた平氏の一族の一人、平資盛が流されたという伝説があるのがこの集落だとか。彼が故郷を懐かしんで、あるいは彼を慰めるために、島人が演じた芸なのだそう。素人が作ったことを強調するためか、へたくそに描かれた仮面をかぶった人たちの所作がユーモラス。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/8e/6b7037cdbbef83a966624767a935e97b.jpg)
展示館の外は、デイゴの並木が有名なところなのですが、花の盛りは五月だそうで、いまは、台風26号?のおりに波が運んだ膨大な砂が、遊歩道の脇にうずたかく積まれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/0c/e9aeeab327ad17bd20046e53008ca2f3.jpg)
通りすがりの年配の男性によると、「堤防があるからかえって土砂がたまった」とのこと。「魚も堤防のせいでかなり減ったよ」と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/01/caf3578b931c756d0a99bc60a617d04b.jpg)
海辺沿いの廃屋。戸はアルミサッシなので、何年か前までは人が住んでいたと思われます。ブロック塀は島でしばしば見かけました。風や潮をよけるために作られていたサンゴの石垣が、いつからかブロック塀に変わったのではないかと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/fa/e638489641ab3e94610137973ed69d53.jpg)
諸鈍をあとに、宿泊先の伊子茂へ。夕暮れ時に到着しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ca/f1b7ce71ef2fe92d881db4fae0aeefe9.jpg)
宿は、海宿5マイル。宿からすぐに海岸に出られます。左の白い建物は小学校。学校に通う、宿の子供らし男の子が教えてくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/ba/7f3259e49e1efd325970864545e58fd9.jpg)
宿の建物は、黒砂糖の工場だったものだそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/42/4de55050094fbbb4600b89dcca74074e.jpg)
いくつかの棟があります。どれも平屋ばかり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/3c/304686281cefc8058a5bf39f0a8fb93a.jpg)
こちらは、自然食の料理を出してくれそう、とおもって決めた宿。夕飯は、こんなでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/77/f80273be5531099a849b1154dc024a06.jpg)
お刺身は、たしかキホタ。聞いたことのない南の魚でしたが、新鮮でおいしかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/91/9c136eaf8e54da62e479eed505e14d33.jpg)
そのほかのいろいろの料理、今はすべて忘れてしまいましたが、どれも味付け、素材ともに満足。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a2/655595d8b8a120da743cb18550bd67fb.jpg)
みそ汁は魚のあらのだしでしたが、臭みを感じず、いただけました。刺身のお醤油が鹿児島特有の甘いお醤油でないのも、よかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/2c/938db1d199bb0f6aa11257e5eef54747.jpg)
小さな港ですが、表示盤?の示すところは壮大。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/42/55bd42d2890a98bc1def598561bf5b31.jpg)
早めについたので、付設の市場で買い物しました。温州ミカンの類なのでしょうか。厚い皮のこの青いミカンは、黄色くなると酸っぱくなるそう。こちらと逆です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/13/2e4e1c9f9a1e2a9288e11c87b6582a37.jpg)
ふてぃもちは、草餅。ただし、餡は入っていません。包んである草は月桃。この月桃の薬効はたかく、加計呂麻ではあちこちでみかけました。ほんのりした香りが上品です。素朴なこのもちは、私たちのこの日のお昼ご飯位なりました。
市場の売り子さん、聞けば大阪から移住した方なのだそう。同僚の地元女性に頼んで書いてもらった地元の言葉がこちら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/97/e262570444fc55c99f71abcb16ec4bef.jpg)
ちなみに、売り切れの商品はサータアンダギーだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e0/2744b77f70c0d094ae0659bed811de15.jpg)
フェリーかけろまの発着受付所。定刻を過ぎているのに、まだ開かず。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/27/38edb70455ecff923b86e598b8f89adc.jpg)
やっと出発。はじめてのフェリー乗船です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2c/96bb09d7f4604307dbe9357e69760691.jpg)
古仁屋から加計呂麻島の瀬相港には25分ほどで到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a6/9cc6e3f086f01f1c7563fd9872249cfd.jpg)
最初に車で行った先は、島尾敏雄文学碑のある公園です。こちらに特攻兵器震洋の格納庫が残されているので、その見学に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/0a/5603dd58339e232108bc83abc14e3472.jpg)
場所は、瀬相港から10分ほど。でも、私たち以外誰の姿も見当たりませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/65/63880c56a024e5c28cc664f399c0af4f.jpg)
島尾敏雄は、海軍の将校として昭和20年にこの島に赴任。島の人たちは、島を守ってくれる部隊だとおもって歓迎しましたが、実は彼らはモーターボートに爆弾を積んで、敵艦に体当たりするという任務を負った特攻隊。島尾はその部隊長でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/64/6e52f22e92173f4cdfb3e64b24b03e01.jpg)
特攻艇の格納庫は、岩の崖に作られ、今も残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/cd/86392f92c8eb89f0d0a9aa72f572c662.jpg)
モーターボートはレプリカ。彼らは毎日極秘に訓練をし、出発の命令を待つ日々をこの静かな入り江で過ごしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/11/1c6672cc097799c4801618455980ed5f.jpg)
しかし、出発命令はついに下されず、8月15日を迎えます。この経緯をつづったのが、「出発は遂に訪れず」。彼は、島の庄屋の娘で小学校教師だったミホとの恋に落ち、ミホは、島尾の出発後自害する覚悟でいました。このふたりはのちに結婚するのですが、ミホは戦後の東京での島尾との生活で、精神を病み、子供二人とともに一家は奄美に移住します。
入江は静か。敵に知られずボート発進させるのにふさわしい場所と目されたのでしょう。それにしても、ボートは想像以上にちゃちでした。空の特攻機同様のお粗末さに唖然とします。
加計呂麻島は、奄美大島の南端の瀬戸内町に含まれるのですが、その本島側の瀬戸内町にも、数か所の戦跡があります。加計呂麻島は、現在の人口は1900人ほど。稲武より500人ほど少ない、静かで小さな島なのですが、明治時代から軍事の施設が作られ、戦略上の重要な場所とされてきました。
島の西端にある安脚場もそのひとつ。海辺の細い道を西に向かって進んだのですが、あいにく戦跡のある場所に至る道が通行止めで断念。どこにも、その表示はなく、近くで時間待ちしていた加計呂麻バスの運転手さんに道を尋ねたら、そういうこたえがかえってきました。のんきというかなんというか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/9e/3e67086e97c3a90d8934ee4677e66c0b.jpg)
加計呂麻島は、島のほとんどが山。山と海の間のわずかな平地に集落が点在しています。道を走っていると、目立つのがお墓。立派なのです。家は、どこも小さいのに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b8/f079445ef8524bee55c1348e5edb2dd5.jpg)
さて、この日の最後の目的地は、諸鈍。比較的大きなこの集落にある公の施設で、諸鈍シバヤに関する展示物を見ることです。展示室でひときわ目を引くのは、ユタの衣装、芭蕉布です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/84/ef10e52d9441b11eb0b4e5f60584b8b3.jpg)
諸鈍シバヤは、諸鈍に古くから伝わる伝統的なおまつり。シバヤは芝居だそうです。源平合戦に敗れた平氏の一族の一人、平資盛が流されたという伝説があるのがこの集落だとか。彼が故郷を懐かしんで、あるいは彼を慰めるために、島人が演じた芸なのだそう。素人が作ったことを強調するためか、へたくそに描かれた仮面をかぶった人たちの所作がユーモラス。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/8e/6b7037cdbbef83a966624767a935e97b.jpg)
展示館の外は、デイゴの並木が有名なところなのですが、花の盛りは五月だそうで、いまは、台風26号?のおりに波が運んだ膨大な砂が、遊歩道の脇にうずたかく積まれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/0c/e9aeeab327ad17bd20046e53008ca2f3.jpg)
通りすがりの年配の男性によると、「堤防があるからかえって土砂がたまった」とのこと。「魚も堤防のせいでかなり減ったよ」と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/01/caf3578b931c756d0a99bc60a617d04b.jpg)
海辺沿いの廃屋。戸はアルミサッシなので、何年か前までは人が住んでいたと思われます。ブロック塀は島でしばしば見かけました。風や潮をよけるために作られていたサンゴの石垣が、いつからかブロック塀に変わったのではないかと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/fa/e638489641ab3e94610137973ed69d53.jpg)
諸鈍をあとに、宿泊先の伊子茂へ。夕暮れ時に到着しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ca/f1b7ce71ef2fe92d881db4fae0aeefe9.jpg)
宿は、海宿5マイル。宿からすぐに海岸に出られます。左の白い建物は小学校。学校に通う、宿の子供らし男の子が教えてくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/ba/7f3259e49e1efd325970864545e58fd9.jpg)
宿の建物は、黒砂糖の工場だったものだそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/42/4de55050094fbbb4600b89dcca74074e.jpg)
いくつかの棟があります。どれも平屋ばかり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/3c/304686281cefc8058a5bf39f0a8fb93a.jpg)
こちらは、自然食の料理を出してくれそう、とおもって決めた宿。夕飯は、こんなでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/77/f80273be5531099a849b1154dc024a06.jpg)
お刺身は、たしかキホタ。聞いたことのない南の魚でしたが、新鮮でおいしかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/91/9c136eaf8e54da62e479eed505e14d33.jpg)
そのほかのいろいろの料理、今はすべて忘れてしまいましたが、どれも味付け、素材ともに満足。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a2/655595d8b8a120da743cb18550bd67fb.jpg)
みそ汁は魚のあらのだしでしたが、臭みを感じず、いただけました。刺身のお醤油が鹿児島特有の甘いお醤油でないのも、よかった。