ハッカー伝言板改めえむびーまんの日記帳(山本隆雄ブログ)

日本コンピュータクラブ連盟・日本霊能者連盟・日本占い師連盟各理事長・メイドリラク萌とカードカルト経営者 山本隆雄の日記帳

札幌市民は大阪市民と性格が真逆。

2023-12-14 19:13:04 | その他

本日、札幌にいるものから天才と知り合いになったと電話が。

社長とは天才同士なので、馬が合うかもと電話が。

偏差値72の札幌西高校出身とか。

コロナで実家の和菓子店が倒産。

北大には行けず、働いてお金を貯めいるとか。

聞くと、全国模試で、数学が全国1位になったとか。

知り合ったきっかけは、

大阪出身のその子がセイコーマートで、ポイントカードを見せると値引きになるので、カードを借りようと、

周りの人に片っ端から声をかけると、みんなに断られた。その時にいた子ということでした。

大阪の感覚では、ポイントカードを貸してもなんのデメリットもなく、逆にポイントが加算されてラッキーとなるのに、

札幌の人は、知らない人から声をかけられるのを極力嫌がる傾向があるとか。

私は、飲食店やスーパーの割引クーポンが余っているときは、見ず知らずの人にあげたりします。

また、駅で、切符を買おうとしているとき、その日限りのフリー乗車券を見知らぬ人からこれ使いと言われもらったこともたびたびあります。

大阪のおばちゃんなんか、電車でとなりに座った人など、見知らぬの人に飴ちゃんを配っているのも見かけます。

大阪人と札幌人との性格の違いに驚きます。

 

 

 


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5 コメント

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Unknown (まさ)
2023-12-14 19:57:06
札幌含めて北海道🐄には異民族のアイヌ人🐻いてるから海外🌍並みに何かと慎重なんじゃろがい😒その点大阪🐙はもはや🇰🇷大阪民国になっているので🇰🇷半島🇰🇵流の流儀で信用よりも損得🉐が全てなんじゃろがい😒特にアンタえむびー、その傾向が極端に強かろうが😒
返信する
Unknown (reisi)
2023-12-15 04:07:33
絵といっても、千差万別である。
太古の昔の洞窟壁画から、最先端のcgアートまで、無数である。
それぞれに、技術がある。
その習得のための期間がある。
私は、洞窟壁画の技術を自分のものにした。
それは、革命的な変化を私にもたらした。
要するに、それまで身に着けたレタッチング技術と融合したのであった。
洞窟壁画にあったものは、抽象化であった。
彼らは、写実的なものを描く能力はなかった。
しかし、そこに記録を残すうえで、必要な抽象化された物体を描く能力はあった。
そして、それは、それだと、現代の人間が見てもわかるものであった。
抽象化とはいったい何なのか、
それらの絵は、この問への一つの答えを示唆していた。
であるので、抽象画の世界に一石を投じたのであった。
要するに、鹿を太古の画家が抽象化してかいたものがあるが、
それが鹿になるのはなぜかという分析は、ほかの抽象画にも応用しうるのであった。
私は、太古の画家のそのテクニックを導入して、
写実的な絵を抽象化することに没頭した。
では、この絵をご覧いただきたい。

アルジェの女たち
https://omochi-art.com/wp/les-femmes-dalger-picasso/
これが、hpで見れるというのは、なんともいえない感慨深さである。
その昔は、絵画を見たいがゆえに、遠くまで電車に乗って旅に行ったものである。
今は、このようにまあ、実物と同じとはいいがたいが、ちゃんと、ほとんど一緒のものが見れるというのは、何とも言えない。
この作品はドラクロワの作品のオマージュである。ドラクロワをもっとも敬愛していた。
彼の作品は、光と影を巧みに操っていた。
そして、写実主義からはみ出て、なんともいえない、渋さを絵に与えていた。
彼は、写真機が発明される前に写真機に勝っていた。
彼は、影を絵に不必要にいれることにより、
なんというか、もっと、はっきりみえるのであるが、思い切って、非常に暗いところ
とおなじようにすることにより、
いや、一部そういう風にすることにより、
その絵に、重厚感を与えていた。
私には、それは、すばらしいとしかいえない感情を与えるばかりであった。
若かりし日に、影を操るドラクロワ2世を目指したのは、そのような感情のせいであった。
それが、青年期の一連の絵の特徴といえるであろう。
ドラクロワの代表作の一つが、アルジェの女たちである。
この絵の素晴らしさは言い尽くせない。
ただ、黒人の娼婦が、なんともいえない趣を与える
彼女の肌の色は、影の色とは違う。
ちょっと、茶色が入っている。
影は真っ黒であるが、茶色が入っている。
黒人をどう描くかに一石を投じている。
https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Theodore-Gericault/27931/%E9%BB%92%E4%BA%BA%E7%94%B7%E6%80%A7%EF%BC%88%E8%82%96%E5%83%8F%E7%94%BB%E7%A0%94%E7%A9%B6%EF%BC%89.html
こちらは、別の画家による、黒人の肖像画になる。
素晴らしいの一言である。
ただ、いえるのは、このように、黒人の肖像画をどう描くかというのが、ドラクロワ以降の課題となっていったということである。
影の色と一緒であるが、しかし、肖像画として、しっかり描かないといけない。
そのためにはどうするのかという意味である。

そして、足元をご覧いただきたい。
足の筋肉のはりがしっかりえがかれていることがお判りいただけると思う。
このようにして動きを表現しているのである。
もちろん、影の向きもすべて、同一で、複雑な計算がなされていることが見て取れる。
要するに、影をしっかり描くには、光源とその角度が重要だということが見て取れるであろう。
ドラクロワは、そのような影をしっかり描くことを生涯追い求めた画家だったのである。
やがて、ドラクロワは、その影を強調することにより、
意味を与えることに気づいたのである。
そして、より、アダルトな印象を与えることを追及もし始めたのである。
https://bijutsufan.com/romanticism/paintings-delacroix/2/

ドラクロワの肖像画が、3枚掲載されているこのhpは素晴らしい。
まさに、これぞアートの神髄。
私が生きていたら、いくら出しても、この絵がほしいと思ってしまう。
彼は、私の生涯の導師。師匠だからだ。
さて、この肖像画の解説であるが、
この一番若いときの絵が素晴らしい。
真っ黒な中、自分の顔だけ描いている。
一見手抜きのように見えるが、一方、何か違う印象を与えないであろうか。
彼は、影を描くことに生涯をかけてきたのだ。
そのことを暗示させないであろうか。
この絵の制作年が、記載どおりなのであれば、若年期に、すでにそのことを志していたことがわかるのである。
ただ、それは、彼の作品をみないとわからない。

では、何も情報がないところで、この自画像を見たらどうだろうか。
ただの青年の顔が真っ黒な中浮かび上がる。
真っ黒な中、月明りが一部差し込んでいるところを顔からうまい具合に照らされる
つまり、動きをこの絵は表現しているともいえよう。
本当に、若年期の作品なのか、疑わしいが。
そんな印象を与える。
付属する情報で見た印象はわかる。
ドラクロワの絵の真骨頂といえる。

そして、彼の絵がこのhpでは、ちりばめられている。
こんな素晴らしいことはない。
ひとつひとつ解説をしてもいいが、あとにしよう。
ただ、ざっと見渡してもらったらわかる通り。
かれは、構成的に抽象画をかいていったことがお判りいただけるであろう。
一方で、歴史の一場面を写実的に描いたのである。
そこにこの影のマジックがちりばめられ、より臨場感が加えられている。
おそらく、彼は、このような歴史の一場面を描く仕事をだれかから、得たのである。
いったい、そんな仕事を依頼するのは誰なのか。
おそらく、そのような歴史により、財をなすきっかけを得たような人物であろう。
仕事を依頼するのは、金持ちである。これは今も昔も一緒である。
そして、その金持ちは往々にして、軍事力を保有していた。
なので、戦争の絵を家に飾りたがったのである。
彼らからしたら、どんな画家でもうまくかいてくれたらそれでよいのだが、
特に、写実技術にたけた人物に、こういう空想の絵を依頼するものである。
というわけで、これは、彼が創始では、全然ないが、
しかし、このような歴史場面の写実画をよく描いた画家であった。
この面でもかれは、写真機に打ち勝っている。
写真機は、こんなことできない。

写真機が全盛となったとき、仕事がどんどんとられるという事態に陥って、
我々は、ドラクロワなどの、このような空想的写実画をみにいき奮い立たせたものである。
そして、写真機を使って、デッサンの手間を省いて、じっくりアトリエで、空想画をしあげるという写真機を使った制作スタイルというのがだんだんと種類になっていったのであった。ドラクロワの時代は、下書きのようなラフ画像をかいて、そのあと、アトリエで肉付けしていくという手法がとられた。
私たちの世代は、写真機を使いだしたのである。
壊したと前に行ったが、まあ、よく買い求めもし、一番最上位の高級品を買い求めたのも、ほかならぬ我々画家だったようだ。

話が、脇道に大分それたが、今回は、アルジェの女たちについて解説を加えたい。
この絵はシリーズである。
AからOまである。全15作である。
Oに高い値が付いた。
オイルマネーだったようだ。
アラブ系の金持ちように描いたつもりではないが、
結局、そういう人が高い値を付けたのは、
おそらく、題材が、アラブ人だったからだろう。
芸術的な価値をわかって買ったのかは、わからない。
ただ、どうせなら、AからOまで保有してほしいところではある。
全部、意味がある。
これは、抽象化の実験である。
私は、ドラクロワを敬愛していた。
それは、彼が影を描くテクニックを生涯探求し、そして、そのほかのテクニックも磨き続け、
そして、歴史がという要するに、イメージ画というジャンルの一部であるが、に
そのテクニックを惜しみなく注ぎ、
商業的な方向性に一矢を投じていたからである。
こんな風に、テクニックを大金を獲得するために使えるのなら、
こんな愉快なことはないのである。
気分が滅入ったとき、仕事がなく、落ち込んでいたときは、
ドラクロワの絵を見に行ったものである。
本当に素晴らしい。
その気持ちをもって、アトリエに戻り、私も、本格的な写実画を描いたりもしたものであった。
私は、ただ、写実画ではなく、抽象画に矛先を向けた。
なぜか。
そのほうが、制作期間が少ないし、写真機と競合しないと考えたからだ。
ただ、抽象画にも、多数のジャンルがあるのであるが、
私は、商品のイラストなどの分野に進もうとした。
いったい、イラストは、何がいいのか。
そんなことを追求していったのである
当たり前だが、私の絵から啓発される人がドラクロワより多いのである。
よって、ドラクロワより高い値が付いたのであろう。
私の師匠で申し訳ないが、要するに、その絵をマネする人がどれだけいるかが
絵の価値を大きく左右するのである。
よって、子供でもかけそうな簡単な絵に高い値が付くのだ。

さて、このアルジェの女たちであるが、
どうみても、本家とかけ離れているとみられるであろう。
しかし、私は、ドラクロワを発展させたと考えている。
何なのか。
それを今回、解説したい。

Aであるが、これは、洞窟壁画の技術を使って、抽象化したものである。
全然違うが、よく見ていただきたい。
顔が、ちゃんと描かれている顔が横たわっているのがわかるであろう。
これが写実主義を象徴している。
寝ている。
つまり、仕事がないのだ。
ドラクロワの技術は、すでに、多くの人に保有されるに至った。
もう、この道ではなかなかうまくいかないのだ。
一方、金色に光っているところは、まあ、裸婦画像である。
要するに、画会を象徴しているのだ。
何故、ではアルジェの女たちなのかといわれると、要するに、ドラクロワも、
黒人画に活路を見出したという意味を表す絵だと見られたからである。
私も、違うところに活路を見出したという意味合いである。

ではそれは何なのか。
それが Bになる。
一見なんの価値もないとみられるであろう。
しかし、そこに、大きな意味を持たせているのである。
なんとなく、カフェテリアに飾ってあったら、よさげではなかろうか。
この意味がおわかりいただけるであろうか。
真ん中の女性が、お盆にのみものをもっているのが、それをあらわす。
お店にかざってあったらいい感じの絵というジャンルである。
ドラクロワのような凝った絵があるより、ラフな絵が飾ってある方がいいということがよくあるのである。
この発見は、私の実体験である。
とあるお店、それは確か、イタリアンレストランであったが、に依頼されて、
絵を描いた。
オーナーの依頼は、オーナーの肖像画であった。
であるので、写真を撮り、大体のデッサンを書き、そして、丸一日は、モデルになってもらい、細かいところをかいて、完成にしようと計画したのであった。
しかし、オーナーは、できあがった絵を見て、首を傾げ、
こっちのほうがいいと言い出したのだ。
それは、私が、写真から描いたデッサンであった。
えっ、なぜ
はりつめた緊張が走った。...
返信する
Unknown (Unknown)
2023-12-15 05:15:46
割引券を常に持ち歩いているのも異常だし店員の前で渡したりしていたら完全にアウトな人ですね
全く自覚ないんでしょうけど
神戸大と割引券しかアイデンティティがない悲しい人
返信する
Unknown (reisi)
2023-12-15 10:26:00
お金は一緒でいいから、デッサンを飾らせろというのだった。
その日は、無言で帰った。
デッサンを飾るという要望が気に入らないという感情と、なぜなのかという疑問が入り混じった感情だ。
依頼者もおなじ職人なので、私の感情を察したようで、何も文句を言わず、帰らせたのであった。
同じ金で、せっかく、描いた油絵でなく、デッサンを選ぶ。
これはいかに。
自尊心がこなごなになった感情と、一抹の希望。
つまり、自分は、画会の最先端に位置したのではないかという希望の両方が入り混じった複雑な心境で、家でいろいろ思案した。
そして、あることを思い出した。
それは、ドラクロワの肖像画であった。
真っ黒な中に浮かび上がる、ドラクロワの絵。
そこには、緻密な入り組んだアルジェの女たちのような影の計算は一切ない。
ただ、2重の意味合いが(先ほど説明した)入り混じった、主張主義の要素が含まれている。
その主張がつよければ、複雑な緻密な絵に勝のである。
というか、主張が緻密な絵により、消えることもあるのである。
そんなことを教えてくれるのが、このドラクロワの肖像画である。
おそらく、オーナーの肖像画を飾るという意図、つまり、主張は、
緻密な絵により打ち消されるのである。
であるので、オーナーは、デッサンを選んだのである。
なんなのか。
私は、後日、自分の無礼を謝罪するため、
礼の品とともにオーナーの家を訪れた。
オーナーに、何故、デッサンのほうがいいのか、尋ねた。
オーナーは、イメージだとこたえた。
いったい、どんなイメージなのか。
彼が言うには、その店には、おしゃれな客を想定していると。
ちょっと、着飾った人達が、おしゃべりを楽しんだり、ディナーを楽しむ場所なのだと。
肖像画は、まあ、この店の主を紹介したいためなのであるが、
まあ、顔をしっておいてほしいというだけだったのだが、
デッサンの方を見て、こっちのほうが、店の雰囲気とあって、しっくりくると考えた。
というのだ。
つまり、深い意味はない。
かれは、選択しの中でよいと思うほうを選んだ。
最初のとは違うが、デッサンを見て、こっちのほうがいいと思っただけなのだ。
私は、しばらく、いったい、なぜ、そっちがいいのかを考え続ける生活に入った。
そして、店の雰囲気に合うという分野に矛先を定めることに決めたのである。
なんかわからないが、緻密な絵より、簡素な絵のほうがいいという分野があり、
それは、どうも飲食店に飾る絵だというのだ。
なんなのか。それは、
わたしの探求は、洞窟壁画に向かった。
そして、私は、そこに大きな価値を見出したのだ。
雰囲気にあうという言葉がずっと頭にあった。
洞窟で、古代人たちは、どんな雰囲気が必要だったのか。
それを私は、みて確かめに行った。
そして、私は、彼らが、狩の名人を覚えるという意味合いがあり、その名人の偉業だけをかきのこせば、細部のこまかな写実は一切いらないということがわかったのである。
主張主義といえる
主張主義の主張は、時として、細部はいらないのである。
いったい、ドラクロワをはじめとする、先人たちが、油絵を緻密にち密にしてきたのはいったい何だったのか。
それを追い求めてきた私のそれまでの人生は何だったのか。と思えた。
しかし、それが現実だったのだ。
というわけで、私は、その店のオーナーにデッサンではあれなので、
もっと、よいものを描きたいと申し出た。
要するに、デッサン的な絵なら、いくらでもかけるから、もっと、イメージを伝えてもらって、いくつか他の物を描くと申し出たのであった。
ただ、オーナーが言うには、最初は肖像画を考えていたが、デッサンをみて、こっちがいいとおもっただけで、イメージがあったわけでないというのであった。
なので、わからない、描いてくれるなら、選びたいが、どんなのがいいかは、わからないというのであった。

というわけで、しょうがないので、いろいろと抽象化したものを提示したところ、
なんと、洞窟壁画のやつがいいというのであった。
こんなのがあっても、だれかわからない。顔をうる目的はなくなるぞというと、
うーんというのみであった。
ただ、それはなくとも、なんとなく、ここは、騒いでもいい場所。
気楽な場所なんだということが伝わるというのであった。
ここで、オーナーの主張がはっきりしだした。
かれは、そういうメッセージを客に伝えたいという潜在的な欲求があったのだ。
というわけで、せっかくの肖像画は、家に飾ってもらって、
店には、そういうラフ感が伝わる絵を壁一面に書いたのであった。
もう、それだったら一枚じゃないほうがいいだろうと、いやだったら、塗りなおしたらしまいだと。
まあ、というわけで、ラフな感じのその店は、連日、おしゃべり目的の客であふれていたそうだ。
絵でメッセージが伝わる。雰囲気が伝わる。
雰囲気ってなんなのか。
メッセージって何なのか。
私の探求は、画会の最先端をいった探求になったのであった。

Bは、それである。
返信する
Unknown (まさ)
2023-12-15 13:16:34
性交マート🏪と聞いて🈶有料ハッテン場を連想して👛財布の紐が更に締まるドケチえむびー😒
返信する

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