連日、テレビニュースやワイドショーで、アメリカでの暴動。特に、略奪や放火が報道されています。
日本人の多くの人は、海の向こうの話と思っているかも、しれませんが、1988年から日本橋界隈で、創業している私としては、1990年の西成暴動を思い出します。
西成の労働者をこき使ってピンハネしていた暴力団。その暴力団から上前をはねていたのが、西成署の現職の署員。
それで、暴動が起こり、数日間続きました。
衝撃的だったのが、ちんちん電車の南霞町駅(現在の新今宮駅前駅)(大阪市西成区)への放火・炎上です。
私がかつてよく利用(南海平野線があったころ中野から乗車・新今宮駅での乗り換えのため南霞町で下車)していた駅舎は、全焼しました。
駅舎の2階には、数店舗、飲食店が入っていました。
丸焼けになったのを見て、お気の毒だと思いました。
なぜなら、火災保険に入っていても、暴動・争議による火災には、保険金が下りないからです。
ちなみに、ちんちん電車の敷石を投石用に販売するアホがいて、暴動後、南霞町周辺では、線路の敷石が撤去されました。
当時、ゲームソフトハウスとして人気のあった日コン連には、多くの人が出入りしていました。
車で来ていたメンバーは、新今宮のあたりの国道25号線。人がいっぱいで、車で通るのが怖いと言っていました。
群衆に取り囲まれて、車に火をつけられるかもしれないからです。
地下鉄動物園前駅の出入り口も多くが封鎖されていました。
外から駅に入れないだけで、御堂筋線と堺筋線との乗り換えはできました。
また、新今宮の暴動現場に行った人も何名かいました。
多くの若者が来ていたと言います。
暴動・略奪 参加者は、西成・釜ヶ崎の労働者というより、大阪一円から集まった若者という事でした。
そして、コンビニの略奪。
コンビニは、24時間営業のため、シャツターがありません。
多くの群衆がなだれ込むと、店員は、店から逃げ出します。
店内の店員はゼロに。
目撃者によると、コンビニのレジは、真っ先に空になったと言っていました。
店の商品は、取り放題。
ただ、うちに出入りしていたメンバーは、店内に入って、略奪することには、抵抗があったので、しなかったと言います。
店の前では、店内の商品を群衆に配布する人がいいたと言います。
うちに出入りしていたメンバーも、店前で配布していたお菓子は、もらったと言っていました。
皆さん、想像してみてください。
コンビニで、店内にある商品すべて、欲しいだけ持ち帰り放題って。
皆さんなら、何を持ち帰りますか。あり得ない妄想ではなく、
1990年10月、大阪・西成区で実際に起こっていた話です。
現在のアメリカ各地では、高級ブランドショップや電気屋などで、略奪が行われています。
店内全品。お好きな商品をお好きなだけ、タダで持ち帰り放題。
うらやましい。
こういう、略奪は、当分、収まらないと思われます。