心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

社交不安障害とオタクが人類を救う

2021-01-31 18:20:53 | 社会・政治

社交不安障害という精神疾患がある。

かつて対人恐怖症と呼ばれていた神経症の一種である。

この疾患を抱える人は対人関係が病的な緊張によって妨害され、人との交流を避けて孤独を好む。

大勢の人の前で話す、異性と会話する、他人と会食する、飲み会に出席する。

こうしたことを彼らは極端に苦手とする。

緊張のために手が震えたり、赤面したり、声が震えたりする。

そうした機会が避けられないものだとすると、数日前から不安で眠れなくなる。

それと同時に様々な心身症的身体症状も現れてくる。

 

これはかつては、そして今でも性格のせいだとか、芯が弱いからだとか思わて、病気ないし疾患とはみなされなかったりする。

しかし、社交不安障害はれっきとした脳の病気であり、対人緊張を制御する脳の神経システムが不安定で脆弱なのである。

それが条件反射のように固定されて、社交的場面を避けるようになる。

 

対人恐怖症と呼ばれていた頃は、森田療法などの精神療法が主であったが、今世紀に入ってからSSRIという抗うつ薬が効くことが分かり、

主流は薬物療法+認知行動療法となった。

SSRIは偏桃体周辺のセロトニンの伝達に働きかけ、固定された対人緊張の条件反射を解除してくれるのである。

 

身体の病気ないし脳神経システムの障害は気力や教育によって治せない。

医学的治療が必要なのである。

 

ところで、オタクと呼ばれる人たちがいる。

彼らも対人関係を嫌い、孤独な趣味に走ることが多いが、ほとんどは病的な緊張症を抱えてはいない。

ちなみに、オタクに対置されるのはリア充と呼ばれる人たちである。

彼らは一人になることを極端に恐れ、コンパ、合コン、飲み会、その他の集団行動を好む。

孤独を嫌うのは、鬱になるのが怖いからである。

それゆえ、彼らはオタクを嫌い、社交不安障害を馬鹿にする。

 

ところで、去年から始まったコロナウイルス感染症のパンデミックを抑え込む手段は対人接触を可能な限り禁じることである。

特に、飲み会や大勢での集会は避けるべきものとされる。

これはリア充にとっては地獄となるが、オタクや社交不安障害者にとっては天国となる。

強制的な職場の飲み会から逃れられるからである。

 

ハーバード大のある医学者によると、このパンデミックは2024年まで続くらしい。

もし、リア充が跳梁跋扈していたら、人類は滅亡してしまうであろう。

それに対して、自然自粛、自発的ロックダウンを普段の生活信条とする社交不安障害者やオタクのおかげで感染爆発は阻止され、収束に向かうのである。

 

皮肉なものである。

リア充とはリアルが充実していることの略らしいが、いったいいかなるリアルが充実していたのだろうか。

それは弱いもの、孤独な者、暗い人、日陰者たちへの軽蔑の念に裏打ちされた社交的快楽主義でしかなかったのである。

政治家にはオタクや社交不安障害的な人は皆無に等しい。

芸能人もそうだし、スポーツマンもそうである。

飲食業にもそういう人は多い。

 

結局、こういう人々は自然界の害悪、人間の屑、社会のゴミ、生態系の破壊者、或る阿呆の一生だったのである。

これを機会に彼らをこの世から追いやった方がいいくらいである。

生活に必要ないもの、積極的に感染症を広げ、人類を滅亡に追いやる人たちは死んだ方がいいのである。

 

それに対して、バブル期に忌み嫌われたオタクや社交不安障害者こそが人類の救世主となるのである。

彼らを賛美した太宰治の『人間失格』を今こそ万人が読むべきなのである。

 


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哲学B1 文章講義(第44回目)

2021-01-30 06:42:43 | 哲学

今日は最終回であり、「4 真実在をめぐる巨人の戦い」について講義する。

 

哲学における「真実在」という言葉は、「真に存在すると言えるもの」と同時に「あらゆる存在の根源」を意味する。

また、哲学では昔から「現象と実在」ないし「仮象と真実在」という対置図式が使われてきた。

我々も日常、見かけの存在ないし外見的現象と物事の本当の姿、真相というものを区別している。

身近な対置例をいくつか挙げてみよう。

 

見かけの太陽の大きさ=30cmぐらい ↔ 直径が地球の109倍の実際の太陽の大きさ

異常者ないし悪魔憑きに見える錯乱した精神病者 ↔ 脳の内因的機能障害としての精神疾患の犠牲者=肝炎や膵臓癌や脳腫瘍といった医学的疾患の犠牲者

どう考えても優秀だと思われる東大医学部卒の東大病院心臓外科教授 ↔ 日大医学部に三浪の末入った私大医学部の心臓血管外科教授の世界トップの実力

 

等々、いくらでも見かけと真相の区別を挙げることができる。

ただし、上に挙げた三つの例はそれぞれ目の付け所が違う。

最初の例が最も分かりやすく、現象と実在、ないし見かけと真相の関係を表している。

実際、これは最もよく使われる。

また、コップの中の水の中で曲がって見えるストローの例とかもそうである。

これら錯覚であり、人間の直接の知覚は真実在、本当の現実に到達しないことが多い、ということを示唆している。

これを敷衍して行くと、死後の世界とか霊魂の不滅、魂の輪廻転生といった宗教的観念に至る。

残念ながら、これらの宗教的観念は思考上の錯覚、つまり妄想であり、夢想であり、それは詐欺として悪用されやすい。

 

ちなみに、偏差値盲信主義もこうした信念と似ている。

既成概念に囚われ、物事の真相を見極める姿勢を放棄すると、医者や学者や職業人全般の真の実力を把握できなくなる。

第三の例はそれを端的に示すものとして有名である。

ただし、多数決の原理と権威主義的思考によって未だ偏差値盲信主義は揺るがない。

 

ところで、テキストでは物質一元論が批判され、場が物理学上の真実在であることを強調している。

その際、アインシュタインの見解を援用している。

そして、最終的にはエネルギーの時空的パターンによって構成される「自己組織化する<場>」こそが、物質粒子や物体を超えた物理学上の真実在とみなされるのである。

これは常識の立場からはトンデモに思える。

君たちもそう思うだろ。

しかし、現実には物質一元論ないし物質根源論のほうがトンデモなのである。

そう思えないところに現象主義の落とし穴がある。

 

我々は物事を本格的に探究したり、教科書や専門書を読んで本気で学ばないと、現象に囚われて、上に挙げた例の左側を真相だと思ってしまう。

第一の例について、今日もはや左側を支持する人はいないが、この例の左側に当たるものを指示している場合がまだ大量に残っている。

第二、第三の例はその分かりやすいサンプルである。

 

俺は何でも知ってるよ。

私が間違えるわけがない。

そんなことあるわけがない。

僕だけは絶対だまされない。

そんな思想はトンデモだ。

 

こうした思念が君たちの頭の中にあるはずだ。

このテキストを読んでも、情報が物理的世界の根底にある根源的存在原理だ、と言われても、それはトンデモだ、と思っていないか。

そう思う人は、上の三例と同様の過ちを犯し、見かけと現象の誘惑によって自らがトンデモさんになっているのである。

トンデモなのは君たちの方だ。

君たちは色々な事柄に対して、まだ「地球は見かけ通り30cmぐらいだ」という見方を、現象主義的観点から適用してしまっており、その過ちに気づいていない。

 

このテキストの内容に疑念をもつ者は「月にウサギがいて餅をついている」ということを信じる過去の人と同様の観点からトンデモになってしまっているのだ。

それゆえ、君たちは春休みにもう一度、このテキストを読み直さなければならないのだ。

 

 

                  僕もその通りだと思うにゃ


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哲学B1 文章講義(第43回目)

2021-01-19 08:54:20 | 日記

今日は第8章の「3   存在の階層の中での情報の位置」について講義する。

第1節と第2節は省略するので、各自で読んでおくこと。

 

我々の住む自然的世界には存在の階層がある。

一般に階層の根底にあるのは物質とみなされ、そこから諸々の物理的現象や生命的現象や社会的現象や人間的現象や心的現象が生まれてくると考えられている。

つまり、物質という基底層から順次上に書いた現象が階層をなして発生してくる、と思われているのである。

ここには、このテキストで主題となっている「形相」は組み込まれていないし、「情報」は基本的に心的なものとして社会・人間・心という階層に属すものとみなされている。

 

しかし、この節では「宇宙の情報構造」が森羅万象の基底として据えられ、その上に形相、物質、生命、心という階層がのっかっている。

それをピラミッド型の図で示している。

要するに、このテキストで論じてきたinformation(形相的情報)、宇宙の情報構造が万物の根元だ、というわけである。

これは、高校までの理科に依拠するとトンデモに思える。

しかし、前にも書いたように高校までの理科、特に物理は基本的に19世紀までの自然科学の範囲内に限局されているので、最先端の量子情報科学や情報論的宇宙物理学

を君たちは全く知らないのである。

創発、自己組織性、フラクタルといったニューサイエンスの用語も知らないだろうし、システム論的思考法も身に着いていない。

 

そこで、万物の根元が情報だと言われても、トンデモと思ってしまう。

しかし、前世紀の物理学では究極の実在は「粒子」なのか「場」なのか、という議論が繰り返された。

アインシュタインによると、我々が物質と呼んでいるものは、巨大なエネルギーが一つの点に集中したものにすぎないのである。

彼によると、物質とはエネルギーの一形態である。

そして、トム・ストウニアによるとエネルギーは情報の一形態ということになる。

それゆえ、物理的世界において情報→エネルギー→物質粒子という階層が成り立つのである。

 

これらの考え方は古代ギリシアにおける哲学と全科学の創始者たるアリストテレスの形相-質料論の発展版とみなせる。

アリストテレスはデモクリトスの原子論的唯物論を否定して、目的論的自然観を提唱していたのである。

それは不十分で粗野な思想ではあったが、根本的指向性は秀逸であり、それが今日のニューサイエンスや物理学の最先端にある量子情報科学において洗練された形で復興しているのである。

 

 

             これは猫にとってもすばらしい思想だと思うにゃ


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ヤフー・ジャパンの記事へのコメント

2021-01-18 07:56:03 | 社会・政治

今しがた観たヤフー・ニュースの記事へのコメントの第一番目は次のものであった。

 

オリンピック委員会の関係者は、口が裂けても中止と言わない。
何故なら、何もせずとも給与が支払われるからです。

準備は大方終わっている状況である以上、今は暇だと思われます。
それでも、毎月のように多額の給与が支払われます。

国民の税金なのに。。。

誰が考えても現状で開催は不可能にもかかわらず
開催に意欲を示すのは、給与というお金のためです。

 

やはりね。

給付金や支援金を出し渋って、自分らでほくほくしようというわけか。

国民、特に貧民、難民の生き血を吸って生きる人間の屑はやはく辞めてくれ。

大学や教育関係にもこういう既得権益を守ろうとする傾向があるからね。

だから、試験を強行し、奨学金に引き込もうとする。


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哲学B1 文章講義(第42回目)

2021-01-17 09:47:09 | 哲学

今日から最後の第8章に入る。

 

この章の構成は次のようになっている。

 

はじめに

1  続・自然学としての形而上学

2 情報の客観的実在性

3 存在の階層の中での情報の位置

4 真実在をめぐる巨人の戦い

5 情報の形而上学

 

まさに締めくくりにふさわしい内容である。

この本は非常に論理的で、緻密な構成と複雑な文章によって成り立っている。

味わい深い本である。

しかし、馬鹿にとっては豚に真珠である。

真珠の輝きを享受するためにも、この最終章を熟読し、深い味わいに浸ってほしい。

 

まず「はじめに」について解説しておこう。

 

言うまでもこれは序であり、本章の意図と目的と構成に触れている。

高学力の高校生は文系でも理系でも現代文の読解や小論文の添削による訓練に長けているので、本書の理解などお茶の子さいさいであろう。

とにかく、読解は構成の把握と著者の意図の看取から始まる。

その意味でも序をよく読み、その意味を把握しておくことが求められる。

 

だたし、この章の序には新しい内容はない。

それもそのはず、本章は締めくくりであり、総括なのだから、これまでの論述の再把握を目指しているのだ。

もちろん、それだけではないが。

 

「はじめに」におけるキーワードは、「ものとこと」「形相と情報」「人間中心主義の間違い」「擬人化だという誤解」「解釈学的循環」である。

これらの語に注意して、この短い序の内容をしっかり把握し、その意味を理解することが求められる。

 

 

 

 あたりまえのことだけど、当たり前のことをしっかり理解することほど難しいことはないんだにゃ

      あたりまえのこのなかに深い意味を看取できる人が哲学的なんだにゃ

              僕は哲学的猫なんだにゃ


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哲学B1 文章講義(第41回目)

2021-01-17 08:59:25 | 哲学

今回は「8   創発の存在論」について説明する。

 

創発の存在論の意味は、テキストp.198の図に端的に示されている。

二元論的思考が生命を心か物質のどちらかに還元するのに対して、創発主義的思考は心と物質の交わる部分に生命を措定し、心と生命と物質の三つの要素間に基礎づけと創発の関係を想定する。

 

哲学史上、デモクリトスは唯物論の代表者、デカルトが二元論のそれとみなされているが、プラトンとアリストテレスという西洋哲学の頂点に立つ古代の巨峰は、

創発主義的観点と親近的な思想をもっていた。

特にアリストテレスはそうであった。

 

現代の還元主義的な生命観を推進する生物学者の中には、精神を物質世界の外に逃がし、それを温存する傾向があるが、ここで生命と心の分離が起こってしまう。

創発の存在論は有機的自然観ないし目的論的自然観に基づき、心と生命の深い関係を重視し、唯物論と二元論の双方を否定するのである。

 

この節は第7章のまとめであると同時に利己的な遺伝子の概念の提唱者ジャック・モノーの軽薄な心観と実存的自由の観念を批判したものである。

そのことを顧慮して、この短い節を読んでほしい。

 

 

 

               それがきみのためになるんだにゃ

 


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西浦博氏の誤算

2021-01-16 09:58:35 | 社会・政治

八割おじさんこと西浦博・京大教授の数理モデルには誤算がある。

それは彼が社会・経済的要素を変数として取り入れていないことである。

彼が算出する感染率や死者数はあくまで疫学内のものであり、経営破たんや貧困やオリンピック開催の裏にある政治的利得などの社会的変数を顧慮していない。

また、純粋に感染症医学の観点から見ても完全なものではない。

それこそ、医学的、疫学的に見ても八割正当といったところであろう。

これに社会的変数の無視が加わり、彼の提出する数理モデルは部分的にしか信用できないものとなる。

彼の意見は非常に参考になるが、全面的に信頼してはならない。

それは、近藤誠のがん放置療法を全面的に信じてはならないのと同様である。

近藤よりはましだが。

 

日本の大学は教養教育、リベラルアーツの教育が薄っぺらで、多くの専門馬鹿を排出(輩出ではない)している。

感染症(と人間の関係)は生物・心理・社会のトリアーデから理解されるべきものだが、日本の医学者は専門馬鹿なので、社会的要素を顧慮できない。

また、政治家や社会科学者は医学に疎いので、医学者の意見を鵜呑みにしてしまう。

 

理解されるべきなのは感染症のメカニズムだけではなくて「感染症と人間」「感染症と社会」の生物・心理・社会モデルによるシステム論的理解である。

それにトランスパーソナル・エコロジーの観点が加わらなければならない。

 

医学の中には公衆衛生学があるが、これの専攻者たちも真の哲学、システム論的思考を身に着けていないので、十分に対処できないでいる。

一方、哲学者も医学や生物学に弱いので、手をくわえて見ているしかない。

生命倫理学などで対処するのは、内科医が脳や心臓の手術をするようなものであり、危険極まる。

 

とりあえず、オリンピック中止を早急に決定し、10万円一律給付を早急に実施することが必要だ。

中止を決定したがらないのは、政治的・経済的既得権益を守るためなのである。

 

このことについてはまた後で詳しく説明します。


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哲学B1 文章講義(第40回目)

2021-01-16 09:24:46 | 哲学

今回は「7 存在と生成、あるいは生命と進化」について説明する。

 

この節の理解のために肝要なのは、存在と生成の関係を生命と進化の関係に重ね合わせて理解することである。

 

存在と生成の関係については前期から繰り返し述べて来たので、ここで改めて説明する必要はないであろう。

ただ、私が存在と生成を決して切り離さないで理解することの重要性を説いてきたことは銘記しておいてほしい。

我々各自の存在も世界全体の存在も存在がそのまま生成である形で経過・存続しているのだ。

 

ところで、生命と進化の関係だが、これも進化論の基本的知識があれば、だいたい察知できるであろう。

生命的現象は誕生と死の間での成長と進化と変化によって成り立っている。

生命的現象の代表は生物の生命であるが、それ以外にも社会、文化、自然、宇宙といったものも進化する。

とにかく、これらが生成し変化し発展することは誰でも分かるであろう。

しかし、それを生物の進化に重ね合わせて理解することには躊躇する。

この戸惑いを捨てて、ぜひ生命と進化の概念を社会や自然や株式会社や医療にも応用して理解してほしいものである。

 

ちなみに、この宇宙における生命の誕生は、それに先立つ宇宙における物質の分子的進化の帰結であることは、これまで何度も指摘した。

生命の誕生は神の御業などではなくて、情報構造を核とする自己組織化する宇宙の創発機能によるものなのである。

 

あと、この節の中にカミュのシジフォスの神話の話が出てくるが、ただやる気さえあればそれでよいというのは馬鹿の考え方である。

或阿保の一生である。

やる気だけでは、何もやらないに等しい。

転げ落ちてくる岩をただ支え続けるのではなくて、それをよけて、そんな無駄な努力はやめて、脇道で勉強し始めればよいのである。

これは創発の概念や形相因や目的因、さらには能産的自然の自己組織性を理解し、死後の世界での復活と幸福という或る阿呆の一生的な観念を捨て去ることと並行するのだ!!

 

                 そうしてほしいにゃ

 


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哲学B1 文章講義(第39回目)

2021-01-16 08:37:01 | 哲学

今回は「6 創発現象が形相因や目的因に対してもつ意味」について説明する。

 

前に触れたように、アリストテレスはこの世界の現象を引き起こす「原因」を四つに分類した。

それは質料因、始動因、目的因、形相因である。

これらについては前に説明したので、ここではこの四原因が創発現象にたいしてもつ意味に述べることにする。

 

まず、質料因と始動因は自然現象や社会現象や生命的現象や人間的現象に関して、創発主義においても決して無視されることはない。

ただ、それのみを重視する機械論的自然観や原子論的唯物論が否定されるだけである。

創発の現象や創発主義が重視する有機的自然観を理解するためには、目的因と形相因を最上位に置くのである。

 

機械論的物質主義は形相因と目的因を排除する。

近代の技術重視、実用性重視の科学は、形相因と目的因を積極的に排除してきた。

しかし、前世紀に始まった西洋のニューサイエンスでは、形相因と目的因が洗練された形で復活した。

自然や社会や生命や精神という現象の奥深い理解のためには、創発の現象を目的因と形相因に結び付けて理解する必要があるのだ。

 

    僕もそうだと思うにゃ。これが分からない学生は僕よりも頭が悪いにゃ!!


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来年も再来年もオンライン授業

2021-01-12 10:34:58 | 日記

私が担当する基礎教養科目の哲学は毎年学生数が300~370人であり、新型コロナの感染状況を見やると、来年は確実に春秋ともにオンラインである。

既に大学からはオンラインという通達が来ており、決定済みである。

問題は再来年、2022年度である。

私は、おそらくオンラインになると思っている。

対面が可能となるのは多くても三分の二であろう。

100人ないし200人以上の講義はかなり高い確率でオンラインだと思う。

そもそも、そうした授業はオンラインの方が効果的だ、という見解やデータも出てきているし。

日本はオンライン授業後進国であり、英米では早くからそれを取り入れ、今もうまくやっている。

学生諸君もやみくもにオンラインであることを嘆いてばかりいないで、教員とともにそれを進化させ、有意義なものにしていこうではないか。

 

それと、パソコンは絶対もっていたほうがいいよ。

そして、使い慣れたほうがいいよ。

就職するとパソコン技能は必須で、逃げられないよ。

オンライン授業でもパソコン強いよ。

 

       どのパソコンにしようかにゃ

 

 


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哲学B1 文章講義(第38回目)

2021-01-12 09:36:44 | 哲学

今日は「5  創発特性のトップダウン的働きとその実在性」について説明する。

 

この節は部分と全体のシステム的関係をトップダウンとボトムアップという二つの概念を駆使して説明している。

そして、これは創発の現象を精確に理解するために極めて重要な契機となる。

 

まずトップダウンとボトムアップという二つの概念を正確に理解しよう。

トップダウンとは一つのシステムにおける部分から全体への方向性であり、ボトムアップとは全体から部分への方向性である。

テキストでは例として東京23区と人間の脳の神経システムが出てくるが、23区でも脳神経システムでも全体⇄部分という相互影響によってシステムが成り立っている。

部分→全体という方向性の方が分かりやすいが、創発の現象を理解するためには全体→部分の方向性の方が重要である。

前者は還元ないし還元主義を表し、後者はホーリズムと創発主義を示唆する。

 

全体→部分というトップダウン的影響を考える際に重要なのは、その一つのシステムとそれを取り囲む他のシステムとの関係性である。

東京23区の場合には神奈川、埼玉、千葉、多摩地区という外部との相互浸透をその全体性の理解に取り入れないとならない。

人間の脳の場合には、それを含む身体全体からのフィードバック、周囲の環境、交流する人間ないし人間環境、生活歴といった外在的要素の浸透が脳システムの全体性の構成契機となる。

コロナの拡大ないし拡散やストーカーに悩まされる人の脳の全体的状態と記憶、思考、感情、予期不安などの個々の部分的心的要素の関係を考えれば、

このことはすぐに分かるであろう。

 

そもそも東京特別区の全体性とは何であろうか。

脳の全体性とは何であろうか。

これはそれを構成する部分の理解よりもはるかに捉え難いものである。

そこで、多くの人は部分や還元や分析の方を好み、ボトムアップ的思考に偏向し、創発とそれに関与するトップダウン的影響のシステム論的意味に目覚めることができないのだ。

学問、芸術、文学、経営、政治、スポーツ、芸能プロデュースといったあらゆる分野で独創性や繁栄や成功を実現した人はみな、無意識裡にトップダウン的現象に気配りができていたのだ。

 

         僕たちは三匹で一つだにゃ


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哲学B1 文章講義(第37回目)

2021-01-10 10:18:35 | 哲学

今日は「4  還元と創発」について説明する。

この節は非常に短いので、説明も簡潔なものにする。

 

我々が創発の概念を理解する際には、神秘主義や超自然主義に陥ることを是非避けなければならない。

そのためには「還元」という近代科学の合理性と驚異的進歩を可能とした方法をちゃんと受け入れたうえで、創発の概念を理解することが肝要となる。

 

創発主義はもともと自然主義的であり、この世の事象の根底にやはり「物質」というものを据える。

ただ、その理解が情報や形相と絡んでいて、単純な唯物論的物質観や機械論的自然観とは違うだけである。

しかし、還元と分析だけを重視し、機械的因果関係に固執すると、前回述べたような分子還元論に陥る。

世の中は複雑系であり、形相的情報→物質→生命→心という階層を創発的に生み出す、一つの巨大な有機体なのである。

 

神秘主義的な創発概念の信奉者は「芸術家になれても科学者にはなれない」のであり、還元主義者は「技術万能主義と実用性に偏向した科学者にはなれても

哲学的深みのある科学者にはなれない」のである。

 

       たしかにそうだにゃ にゃ

 


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新著『心の臨床哲学の可能性』の誤変換について

2021-01-10 09:31:26 | 日記

レポートで課題の(2)を選んだ学生がけっこう多くて、驚いた。

みんなよく読んでくれたようだが、パソコンや専用kindleが少なくて、iPhoneなどのスマホが多いのには困惑した。

 

学生で誤字か誤植と指摘してくれたものは、ほぼすべて「誤変換」である。

20中19ぐらいが誤変換である。

特に余計な空白部や文字の重なりや括弧と数字のズレなどは「誤変換」である。

文字化けのようなものである。

「そうである」→「そうあでる」とか「デパス」→「デバス」とか「フルニトラゼパム」→「フルラニラデパム」とか。

もとの原稿を見ると、ちゃんと左側のように正しいが、変換の過程で勝手に右側のようになってしまうのだ。

しかも、端末によってなるものとならないものがある。

パソコンでは非常に少ない。

私は主にパソコンでモニターしながら修正したが、とても追いつかない。

 

ただ、全体として読めればそれでよいので、ここままでも行けるが、秋までにはできる限りあらゆる端末での誤変換を修正したいと思っている。

これは業者に頼めば、すぐにできるのだが、2万円ぐらいかかるし、そのご矢継ぎ早に出版していく予定なので、自力でやりたいのだ。

 

私のWordの元の原稿ファイルでは誤字脱字は全体でほとんどなし、そしてkindleで変換したPC用のファイルでは、誤変換は非常に少ない。

みんなパソコンをもってないんだなー、と思った。

とにかく、Wordをそのままkindleに変換すると、下手するとぐちゃぐちゃになるのだ。

 

kindle(アマゾン電子書籍出版部)では送信されてきた電子原稿を審査した上で出版許可をするのだが、はっきりと「誤字脱字なし」とあり、安心していたら、スマホなどではかなり出ている。

電子書籍処女作では、まさに生みの苦しみを味わうはめになった。

 

あの本は面白いし、300円という安値で買った人は得したんだから、よく読んで人生の伴侶とした方がいいよ。

 

PCにした方がいいにゃ

 

 


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哲学B1 文章講義(第36回目)

2021-01-09 07:44:29 | 哲学

今回は「3  水とH₂O、あるいは心と脳」について説明する。

 

中学の理科で習ったように水の分子はH₂O、つまり二個の水素原子と一個の酸素原子の結合体である。

中高の理科ではこれ以上のことを教えない。

つまり簡単な分子化学しか教えず、高度の量子化学を教えない。

そこで、大学の哲学の授業で水はその構成要素たる水素原子と酸素原子が単独では決してもちえない性質をもつ、という創発の現象が理解できない。

よくある意見として、それは質量保存則に反するから、まやかしだ、というものである。

これは自分が量子化学について全く知らないことに由来する臆見なのに、その自覚がない。

ドヤ顔で、そうした意見をのたまう。

 

本節で量子化学によるH₂Oの複雑な構造の説明が披露されている。

化学的次元ですら、H₂Oは水素原子と酸素原子の足し算として理解できない。

ましてや人間の感覚が関与する「水」の豊かなクオリア(感覚質)について質量保存則をもち出して反論するのは、愚の骨頂である。

前にも書いたが、高校で教える理科は19世紀までの自然科学であり、前世紀以降の量子物理やニューサイエンスにおける創発の概念は全く教えない。

それゆえ、大学に入ったら、自分の無知の無自覚を深く反省して、高度の自然科学的見方と哲学における存在論の融合に視野を広げなければならない。

そして、これは脳と心の関係についても言える。

 

とにかく、「水とH₂O」という対置図式は、脳と心の関係を考える際、初歩ないし基盤としての重要な役割を果たす。

ここで「創発」の現象を素直に理解しようとしないと、一歩も先に進めない。

 

とにかく、この節の中で引用されているアーウィン・スコットの量子化学的説明をよく読んでほしい。

君たちはおそらく中高で理科や数学が苦手だったと思うが、スコットの言いたいことはだいたいわかると思う。

スコットのこの文章は、脳と心の創発関係の説明の中で使われたものである。

 

                   にゃるほど


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哲学B1 文章講義(第35回目)

2021-01-05 09:05:08 | 哲学

今回は「2  部分と全体、あるいは要素とシステム」について説明する。

 

これまで何度も創発の概念ないし現象を理解するためには、「全体」は「要素」の総和ではない、ということの理解が重要だと述べてきた。

そして、ここにきてそのことの決定的説明がなされているのである。

 

まず「全体性」とは対象の物体的外延性を指し示すものではない、ということを理解する必要がある。

あなたの全体性は一見、鏡や写真に写ったあなたの身体の全体像のことだと思われるが、そんなことはない。

あなたの全体性とは、あなたの意識と生理活動と生活履歴と人間関係と住居と身の回りの空間すべてを含んでおり、その中に中核としての脳があり、これが関係の外延性を

あなたの皮膚に囲まれた身体全体性を超えて、真のあなたの一個人として、人間としての全体性を形成しているのである。

つまり、あなたの全体性は関係性と時空的要素まで含んだ複雑系なのである。

それを要素の総和で割り切るなとどいうのは、あまりに軽薄である。

 

それゆえ、あなたの人生経路上の出来事は、すべてこの複雑系としての全体性による創発性を帯びることになる。

 

次に重要なのは、「システム」という観点から要素と全体の関係を捉えることである。

システムという言葉は今日あらゆる場面で使われる。

しかし、その精密な意味を把握している人は少ない。

システムとは基本的に「構成」と「仕組み」を意味する。

そして同時に要素と全体の関係を取りまとめる機能を意味する。

それゆえ、システムが不安定になってたり、それに不具合が生じると、ある組織の秩序が乱れ始める。

取り返しがつかない損傷を被り、破綻したり、死ぬこともある。

 

創発の現象を理解するためには、こうしたシステムの概念と働きを深く理解することが肝要となる。

 

面白い話だにゃ。猫の僕にもわかるから、分からない学生はstupidだにゃ。

 


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