心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

大学医学部研究費ランキング

2018-08-30 22:34:22 | 医学・医者

各大学医学部・医学研究科 外部研究費獲得総額
(データの判明している最新年度)
*東北大・慈恵・日医は看護・保健含むが誤差範囲と判断

東京大学      約121億円(平成19年度。4年間の伸び率から平成22年度は130億円程度と推測)
慶應義塾大学    約98億円(平成22年度)
京都大学      約75億円(平成22年度)
大阪大学      約65億円(平成21年度、寄附金のうち研究の割合不明のため非常に高いが10億円で仮計算)
東北大学      約34億円(平成22年度)
九州大学      約30億円(平成21年度、寄付金のみ最新データがあったため平成22年度で計算)
名古屋大学     約28億円(平成18年度)
千葉大学      約14億円(平成22年度)
東京慈恵会医科大学 約13億円(平成19年度)
日本医科大学    約11億円(平成22年度、研究指定の寄附金不明のため慈恵に近い5億円で仮計算)
横浜市立大学    約8億円(平成22年度)←再度見たら医学部のみはよく分からなかった。大学全体で約13億円 

 

よく知らない人が多いと思うが、慶應医学部は臨床だけではなく研究も強い。

また慶應医出身の厚生労働省の医務技官の官僚も多い。

慶應医はいわゆる私立医の範疇を超えている。

帝国陸軍との関係も深かったし。

ノーベル医学・生理学賞の候補も過去に何人かいた。

今もいる。


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クオリアとは何か

2018-08-23 21:45:24 | 哲学

心の哲学における重要な概念として「クオリア」というものがある。

直訳すると「質」だが、心の哲学では「感覚の質」を意味する。

より詳しく言うと、「意識に現れる感覚の質」となる。

しかも、それは主観性を帯びている。

我々は美しく印象深い夕焼け空の「赤」や瑞々しいトマトやイチゴの鮮やかな「赤」を見て、「赤」のクオリアを知覚する。

それは「赤」という言葉ないし記号によって表現されるとともに、というふうに直接その色を示して表現することもできる。

「赤」と「」は一見同じように思えるが、実は違う。

「赤」は「赤という色彩のクオリア」つまり「」の代理をしているだけの記号なのであり、クオリアを含んでいない。

クオリアはもともと言葉では言い表せない感覚の生命的質感なのであり、言葉以前の生物の原初的感覚に由来するものなのである。

それでは言葉は全く無力なのかというと、そんなことはない。

言葉は別の仕方でクオリアを構成し表現することができるのだ。

文学作品はそれを実際成し遂げている。

このようにクオリアは言葉を超えたものであると同時に言葉によって象徴的に表現できるものでもあるのだ。

実際、今私はこの記事でそれを実行している。

我々の心的生活、意識の流れはクオリアに満ちている。

情緒、感情、記憶、知覚、不機嫌、快活な気分、抑うつ、興奮、恋愛、愛情、期待、美感・・・・・等々。

どれもクオリアに満ちている。

それゆえ心と意識の本質を捉えようと思うなら、ぜひクオリアについて考え、それを理解しなければならない。

と言っても、それは「理解」や「思考」以前に体験され、生きられている生の感覚なのだが・・・・・

とにかく、主観的で捉えどころがないから、それは学問や科学の対象にはならない、という決めつけは避けるべきである。

なお、クオリアは心の哲学の主題であるとともに美学の対象でもある。

それは感覚の美学の対象なのである。

そこで、この説明が難しいと思うなら、本ブログのサイドバーから「美人」や「美学」や「動画」のカテゴリーをクリックして、実際の「美のクオリア」を味わってみればよい。

 


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芥川龍之介と神経哲学

2018-08-23 21:44:41 | 作家・文学

芥川龍之介が神経質だったのは有名である。

いや、彼は神経質の代名詞であり、端的に言って「THE 神経質」である。

実際、彼は神経衰弱で35歳のとき自殺した。

また彼の作品には「神経」という言葉が頻出し、神経を病んだ状態の心理の描写が多い。

晩年の告白調の作品は、いわゆる「病的に研ぎ澄まされた神経」によって書かれているように感じる読者が多いであろう。

「歯車」「蜃気楼」「夢」「河童」「手紙」「影」・・・・・など。

ちなみに「夢」というのは大正15年の作品だが、その冒頭で彼は次のように書いている。

「夢の中に色彩を見るのは神経の疲れている証拠であると言う。が、僕は子供の時からずっと色彩のある夢を見ている」。

つまり、彼は子供のころから神経が疲れていたのだ。

 

また、同年の作品「僕は」には次のように書かれている。

「僕はどういう良心も、-- 芸術的良心さえ持っていない。が、神経は持ち合わせている」。

彼にとっていかに「神経」というものが大切かを示す言葉である。

また、遺稿というか遺書「或旧友への手記」には次のように書かれている。

「僕の今住んでいるのは氷のように澄み渡った、病的な神経の世界である」。

 

「病的な神経の世界」、これこそ芥川ワールドである!!

私は彼の作品を18歳ぐらいから愛読し、玩味熟読してきた。

といっても初期から中期の歴史物には興味がなく、もっぱら晩年の告白調短編を偏愛してきた。

 

周知のように彼の母は統合失調症(=精神分裂病=早発性痴呆)で夭折した。

それゆえ彼は常に自己の精神病発症を危惧していた。

しかし、彼は神経症レベルにとどまるうつ病という診断が適切な状態で推移した。

最後に自殺に至ったのも、うつ病の特徴を示している。

これを大正時代には神経衰弱と呼んでいたのである。

とにかく、彼の後期の作品には神経に関する話が豊富で、神経哲学にとって極めて貴重な文学的遺産である。

今回は前書き程度の本記事にとどめるが、そのうち本格的に考察しようと思っている。


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神経質の哲学(あるいは神経の現象学)

2018-08-23 21:30:39 | 日記

今、来年の春に出版される次著『新たな哲学の創発 22世紀に向けての超-哲学入門』の原稿を書いている。全部で九章構成だが、第七章まで書いた。

筆が走っている。

そこで、今書いている原稿が出来上がって一息ついたら、次の本をすぐ書きたくなっている。

『神経質の哲学 心の臨床哲学の試み』というタイトルになりそうだ。

「神経質」とはいわゆる普通の意味での「神経質」ではなく、「感覚質(クオリア)」と似たような意味での「神経の質」あるいは「神経的な質」のことである。

カタカナで表記するとニューロニアないしノイロニアとなる。

これは私の造語である。

繰り返すがナーバスと言う意味ではない。

しかし、芥川龍之介についても論じるので、ナーバスも関係してくるであろう。

何よりも私自身がナーバスだし。

ニューロシス(英語)、ノイローゼ(ドイツ語)は神経症。

ニューロニア、ノイロニアは神経質である。

 

タイトルは『神経の現象学 心の臨床的経験の学』でもいいかな。


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太田幸司のフォーム

2018-08-05 23:08:12 | イケメン

太田の決勝戦における投球姿。

きれいなフォームでした。

当時は剛速球と言われたが、トップレベルのものではなく、140km/hぐらいだったと思われる。

しかし、白人の血が入っているためスタミナはすごかった。

準決勝から9回+18回+9回を連日一人で投げ抜いたのだ。


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戦艦 大和と武蔵

2018-08-04 15:59:03 | 日記

第二次世界大戦中、日本海軍が世界に誇った二大巨艦、大和と武蔵は瓜二つであった。

世界に誇るどころか史上最大・最強の二艘だった。

大和が先にできて、そのコピーとして武蔵が造られたのだが、実は細部が少し違っていた。

造船されたところも大和は呉(海軍造船所)で武蔵は長崎(三菱重工業)であった。

つまり、大和は国立、武蔵は私立だったのである。

しかし、二艘はやはり瓜二つである。

まず、図面で比べてみよう。

上が大和で下が武蔵である。

ちなみに図面の縮尺度によって大和の方が少し大きく見えるが、実際には二艘のサイズは全く同じである。

全長263.0m、幅38.9m、排水量64000トン~72809トン

 

 

    軍艦「武蔵」1944年頃

 

次にプラモデルによる全体像で比べてみよう。

上が大和で下が武蔵である。

 

 

とにかく瓜二つだが、よく見ると大和の方が側面の高射砲が多いのが分かる。


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