今年の7月は暑かった。
連日32℃以上で35℃前後の日もけっこうあった。
それが収まり、23日頃から比較的涼しくなった。
気温は高くても30℃くらいで、25℃から28℃の日が現れた。
予報では曇りがちの日がまだ数日続くようである。
2010年のように32-37℃の日がひたすら続くという懸念は消し飛んだ。
比較的冷夏の方向に転換したとみてよさそうだ。
めでたし、めでたし。
今年の7月は暑かった。
連日32℃以上で35℃前後の日もけっこうあった。
それが収まり、23日頃から比較的涼しくなった。
気温は高くても30℃くらいで、25℃から28℃の日が現れた。
予報では曇りがちの日がまだ数日続くようである。
2010年のように32-37℃の日がひたすら続くという懸念は消し飛んだ。
比較的冷夏の方向に転換したとみてよさそうだ。
めでたし、めでたし。
数十年前、日本人のボクサーで世界チャンピオンにまでなった男が、試合中に相手のパンチで意識を失ったまま試合を最後まで続けた体験があることを告白している。
いったい意識を失ったままボクシングの試合など続行できるでろあろうか?
普通「意識を失う」ということは「失神」を意味する。
ボクシングの試合ではKOによる失神はよくある。
しかし、失神してはさすがに試合はできない。
そこで、かのボクサーが言う「意識を失った状態」というのは、「全意識の喪失」としての失神のことではないことが分かる。
彼が言う「意識を失った状態」とは「意識が再帰的現象性を失い、機械的に機能するだけになった」ということなのである。
機械的に機能するだけの意識は、行動の制御を自動的に行うことができるが、その記憶と自覚が失われるのである。
しかし、ボクシングの試合には注意と短期記憶に基づいた身体運動は必要である。
彼にはパンチを繰り出しフットワークを維持するための注意と短期記憶は残存してたのである。
ただし、その働きは現れては消える束の間のもので長期記憶には残らないのである。
それゆえ彼は試合後、自分が何をしていたのか覚えていなかったのである。
ちゃんと最終ラウンドまでファイトを続けたのに。
ちなみに、我々の日常生活もこうした無意識的行動によってかなりの部分が占められている。
これについてはデネットが『解明される意識』において詳しく分析している。
この世に存在した自動車の中で一番美しいのは、今から45年ほど前にイタリアで発売されたフェラーリ・ディーノである。
ディーノはこのブログでこれまでに既に二回取り上げている。
これが三回目だが、こだわったものはしつこく取り上げるのがこのブログのしきたりであり、私の美学なのである。
とにかくディーノは比較を絶して美しい。
その美は時間を超えた永遠性をもっている。
哲学者も着目すべき「美のイデア」を所有しているのである。
その美は格調高く、しっとりとした落ち着きとスポーツカーにふさわしい「動」を兼ね備えている。
その美を四色のボディーで堪能してみよう。
流線型とコンパクトにバランスのとれた全体性の見事なマッチングである。
まさに時を超えた永遠の美という表現が当てはまる、すばらしいデザインである。
動画↓
備忘録として書いておく。
『死の意識と心の本質』という本が書きたくなった。
単純に『心とは何か』でもよかったが、それでは芸がない。
それにそのタイトルはありあれている。
意識哲学、死生観、生命科学、脳科学、心理学、精神医学、文学、宗教心理と題材は豊富である。
いい本が書けたらいいな、と思う。
それにしても最近、がんで死んだ人の闘病記を多数読んでいる。
昔からよくよくでいたが、また読んでいる。
逸見政孝さんとかみんなおぼえてるかな。
逸見政孝(1945~1993)
元フジテレビアナウンサー
48歳のときスキルス胃がんのため死去
あと、近藤誠をどう扱うかも問題だ