今朝、NHKで性同一性障害について討論番組をやっていた。
そのなかでナレーターが「性同一性障害は医学的疾患なのでカウンセリングや心理的治療では治りません」と言っていた。
また、招待された精神科医に対して女性タレントが「性同一性障害の男性は脳の障害によって自分を女性と確信してしまうのでしょうか」と問いかけていた。
それに対して精神科医は、頭の当たりを抱えるようにして、「脳ではなくて、その・・・・、心がそう感じるのです」と答えていた。
ここに問題が潜んでいる。
それは心身二元論のパラダイムでは、ある疾患が医学的なもの、つまり身体的ないし生理的なものだとしたら、それはカウンセリングや心理療法の枠外のものである、と決めつけられるということである。
また、最近の脳科学ブームによって心はすべて脳の働きであるという俗説が流布しているので、医学的疾患と聞くと脳の障害だと思い込んでしまう傾向が強い。
どちらも軽薄な考え方である。
医学的疾患ないし脳の障害だからといって、それにカウンセリングや精神療法が不必要だということにはならない。
また、「心」は脳の機能だけから発生するものではなく、人間各自が世界の中で身体を働かせつつ生きていくことの中で生じる生命的認知感情システムである。
だから、精神科医は苦悶しながら「脳ではなくて、その・・・・・、心がそう感じるのです」と答えたのである。
この場合「心」は物質や身体に対置された非物理的精神実体を意味しない。
それは、身体と対人関係と生活状況と履歴すべてを含んだその人の「世界内存在」の経験を指しているのである。
そして、その経験の一契機として脳があるのだ。
性同一性障害には遺伝子の変異や脳機能の障害が関わっていることは確かである。
しかし、人間は社会の価値観の中で生きる対人関係的存在である。
だからカウンセリングや心理的配慮も必要なのである。
心と脳の関係を考えるには常にフレキシブルな思考態度が要求される。