心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

大学院ロンダリングについて

2014-05-30 16:17:46 | 受験・学歴

二流大学や三流大学から一流大学や超一流大学の大学院に進学することを学歴ロンダリングという。

この現象は、私が大学を卒業して母校の大学院に進学した1984年頃に既に存在していたが、そのパーセンテイジは低かった。

しかし、前の記事でも書いた大学院重点化と博士量産が始まる1991年以降、大学院進学による学歴ロンダリングは増加していった。

たとえば、地方Fラン私大である八戸工業大学や青森大学から旧帝の東北大大学院に進学するとか、亜細亜大から東大の大学院に進学するとか、京都産業大から京大大学院に進学するのである。

理系、特に工学部では1980年以前からロンダはあった。

特に有名なのは東京理科大で、ここから東大、東工大、筑波大、早大などの大学院に進むものは、昨今計200人にのぼるが、30年前から一定数のロンダが見られた。

しかし、厳密に言うと理科大から東大、東工大の院への進学はロンダとは言えない。

Fランからのそれこそロンダなのである。

大学における学問習得や研究のことを知らない多くの人は、Fラン大学から東大の大学院に進学することに疑念を抱き、インチキだと思いやすい。

東大からですら東大の院に入れない場合があるのに、Fランや二流以下の大学から入れるのか、というわけである。

これは受験偏差値と大学における学問習得の違いが分かってない人の意見である。

大学入学時の学力と大学における学問習得能力は正比例しない。

文系でも理系でも逆転はいつでも可能である。

特に文系はそうである。

私などはもともと旧帝の理学部に入れる地頭があったのに、高校中退後三流私大に入って、そこで猛勉強した。

哲学専攻で理系の素養があり、抜群の読書力があったので、大学→修士→博士→講師と経歴を重ねるうちに、明治クラス、早慶クラス、東大京大クラスをどんどん抜き去って行った。

結局は地頭と学問研究のねばり強さが決めてなのである。

それゆえロンダで頭角を現し、大学や研究所の専任のポストを獲得した二流~Fラン出身者はけっこういる。

しかし、東大や京大や阪大の生え抜き、つまり学部から大学院に進学した者はたしかに優秀である確率が高いであろう。

しかし、100%ではない。

70%ぐらいであり、残りの30%は勤勉で主体性や独創性のあるロンダ組に負けるのだ。

これはロンダせずにCランクの母校の大学院に進学した者と東大京大の生え抜き院生を比較しても言えることである。

受験偏差値と学問研究力は比例しないのである。

私が大学院生のとき東大の院生(生え抜き組)と話した際、同僚の多くが三年で提出しなければならない修士論文が書けずに中退したことを教えてくれた。

受験秀才は、自ら問題を設定し主体的に研究方法を開発したり論文を書いたりすることで挫折する場合がある。

だから、神戸大医出身のジャマナカこと山中教授に京都大医出身のエリート笹井教授が負けたりするのだ。

ただし、1991年以降、総じてロンダが激増したことは博士量産の政策の帰結であり、高学歴ワーキングプアを生み出した元凶だと思う。

やはり、生え抜き組の就職が比較的強く、ロンダ組は弱いのだ。

しかし、生え抜き組も化けの皮がはがれたり、大学生が減って教員のポストが減ったせいで無職化率が上がっていることも事実である。

とにかく、三流大生え抜きでも一流大生え抜きでもロンダでも逆ロンダでも、優れた教授についてきちんと勉強した人が優れた研究者・教育者になりうるのである。

その点では今話題の小保方さんなどからっきしダメだと思う。

もともと早大理工はソニーの創始者に代表されるようなメーカー経営者・管理職養成に強いのであり、研究者養成という点では弱いのである。

しかし、笹井氏をはじめとする研究者として一流の人たちもいいかげんやなー。

小保方さんみたいな世渡り上手が出世して、質実剛健なタイプの人が日の目を見ないのは科学・学問の進歩にすんごく悪影響やと思う。

とにかく、研究費返還して、理研の幹部も責任とって、とくにかく質実剛健な地味で優れた研究者の貧困を救済しなはれ。

どこの研究所でも大学でもそうや。


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猫の置物を買った

2014-05-30 16:07:29 | 日記

さいたま新都心にあるSCコクーンの雑貨店B-Companyで今日、猫の置物を買った。

2680円なり。

大きさは親猫と子猫の中間ぐらいで、形態は親猫(成熟猫)である。

それほど高級感はないが、よくできている。


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星一徹の教育方針についての意見

2014-05-26 01:14:55 | 日記

去年の2月に書いた記事「やはり星一徹の教育方針は間違っていた」に23日にコメントが寄せられていました。

いつもチェックが遅れ、後日公開するのですが、今回もさっき公開したばかりです。

それはともあれ、星一徹の教育方針が間違いであった、ということは国民の間でかなり浸透しているみたいです。

グーグルで「星一徹の教育方針」で検索すると分かります。

一つ例を挙げると↓

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12118432572

明日以降、また私の意見を述べようと思います。

また、この件に関するコメント大歓迎です。

 


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橋本愛@「あまちゃん」

2014-05-19 21:02:23 | 美人

すでに懐かしいものになりましたが、去年の朝ドラ「あまちゃん」の一場面です。

このとき橋本愛は17歳でしたが、昨今の同年代のアイドルに比べると非常に大人っぽいですね。

ちなみに、最近また顔のイメージが変わりました。

大変な美貌の持ち主ですが、どこか不思議ちゃんのオーラがあります。

 


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抗精神病薬が使われる以前の統合失調症の患者

2014-05-12 16:59:56 | 精神医学

これは去年の5月に書いた記事であるが、ある必要性からトップにもってきた。

 

西丸四方の『精神医学入門』(南山堂)は画像が豊富で、特に薬が使われる以前の慢性期の統合失調症の患者の状態が見れる希少価値がある。

統合失調症はかつて精神分裂病、もっと前は早発性痴呆と呼ばれた脳の病気である。

1955年頃から抗精神病薬による治療によってこのような末期的症状は激減した。

きれいごとを言う前に、抗精神病薬の重要性を認めましょう(もちろん全能ではなく、副作用も問題だが)。

また、統合失調症などの精神病がいかにアルツハイマー病などの器質性精神障害と類縁性をもっているかを認めましょう。

 

 

 

今でも、もし患者の家族がこの病気を「心の悩み」程度に受け取って、放っておくと数年後にはこのような状態になるのである。

精神科の薬は毒でも麻薬でもありません。

患者を救うために脳の化学的機能に作用するのです。


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今日の風景 新緑から初夏へ

2014-05-11 16:39:08 | 日記

今日5月11日は新緑の季節の末期であり、もう一歩で初夏となる。

私の住んでいる地域は雲一つない快晴であった。

そこでデジカメもってサイクリングに出かけた。

上尾市から桶川市を通って北本市につながる荒川沿いのサイクリングロードを走ると気持ちがいい。

特にこの季節の快晴の日は一年中で最高である(10月もまた格別だが)。

前を走っているのはおじいさんサイクラーである。

街に戻ると、至る所にバラが咲いているが、まだ盛りではない。

ん、これはバラじゃないな。

このように、バラはまだ咲きかけである。

ところで、北本駅の西口大通りに裸婦のブロンズ像があった。

今は一年中で一番すごしやすい季節であり、ビールも旨い。

私個人も4月の下旬から5月一杯が一番好きであり、次が10月である。

一番嫌いなのは7月下旬から9月上旬にかけてのくそ暑い日々である。

冬は鍋物やラーメンやうどんやおでんが旨いから許してやる。

ただし夏のビールはまた格別だが。

 

 

 


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高校までの勉強と大学での勉強の違い

2014-05-09 01:33:22 | 日記

高校までの勉強は科目ごとに内容が完全に分断されており、科目相互の関係が分からないようになっている。

国語、数学、理科、社会、英語・・・・という科目分類は現実に根差したものではなく、学習効率を顧慮して案出されたものである。

このうち国語と数学と英語は基礎学力育成のための科目であり、現実世界に直接関わるものではない。

それに対して理科と社会は現実世界に関わる具体性をもっている。

中学において未分化であった理科と社会は、高校では細分化される。

理科は物理、化学、生物、地学に、社会は地理、日本史、世界史、政治経済、倫理、現代社会にそれぞれ分けられる。

大学に入ると、一般教養科目(総合共通科目)と専門科目があり、授業内容は高校から激変する。

高校や予備校の先生は「教えること」が主たる仕事だが、大学の先生は基本的に「研究」が仕事であり、教育は二の次なのである。

これは日本における大学の先生の傾向であり、長く続いている。

近年、教育にも力を入れるようになってきているが、まだまだ適当な授業が多い。

しかし、知識、教養、学者としての力では大学の先生>>>>>高校の先生である。

大学新入生が講義に出てみて驚くのは、いきなり専門的な話をされたり、出席を取らなかったり、単位認定がいい加減だったりすることである。

とにかく、高校までの勉強のようにマニュアルがない。

そこで、大学においては勉強する学生と遊ぶ学生の二極化が起こる。

とにかく単位をそろえて卒業すれば大卒の資格が得られるので、教養や専門知識に興味のないものは大学の勉強に力を入れようとは思わない。

これは特に文系の学生に見られる傾向であり、いわゆる高偏差値の大学においてもそうである。

中学高校までは受動的な態度で済んだ勉強が、大学では能動性が要求される。

単に単位を取るのではほとんど意味がない。

大学における授業は自ら勉強したり研究したりするための手段ないし補助なのであり、学生は授業内容を超えて自ら知識を拡張し、思考力を養わなければならない。

しかし、講義内容を全く無視して自己流に勉強しようとしてもろくなものにはならない。

バランスが大事なのである。

文科系の学生は大学に入ってから数学をほとんど使わなくなる。

経済学部は別だが、ほとんどの文系の学生は数学を使わない。

ちなみに理科系でも医学部などは数学を使わない。

ある文科系の学生が「数学とは論理のことですよね」と言っていた。

数学が実際の学問や仕事や技術においてどのように使われるのか知らないのである。

高校では物理や地学で数学が応用されるが、最近の高校では、特に文系の生徒は地学はもちろん物理すら選択していない者が多い。

だから、数学が実際にどのように現実に応用されるのか分からないのである。

要するに、高校までは、あるいは受験勉強では、科目と現実の関係など問題にならず、勉強のための勉強となっているのである。

それに対して、大学での勉強は現実や仕事に直結したものとなる。

これは特に実学系において顕著な傾向である。

しかし、高校までの教育や勉強法に慣れた新入生は大学の学問と適当な授業に面食らうのである。

しかし、半数の学生はちゃんと大学の学問に適応し、有意義な勉学生活を送る。

遅かれ早かれ半数はそうである。

後の半数は少子化による大学全入という大学経営の策略にはまってくれる貴重なお客さん、要するに寄付金を払ってくれるVIPなのである。


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武井咲の美

2014-05-08 00:00:40 | 美人

武井咲は1993年名古屋市生まれの女優兼タレント兼モデルである。

身長163cmは比較的高い方だ。

まだ20歳だから、今後が楽しみだ。

一応美人系だが、ズバ抜けた美貌ではない、と思う。

しかし最初、次に掲げる資生堂のポスターを見たときは、誰これ、綺麗じゃん、と思った。

しかし、他の画像を見ても、テレビドラマに出演時姿を観ても、それほどではない、と思ってしまう。

とにかく、上の資生堂のポスターは美しい。

さすがは化粧品メーカーのトップだ。

演出がうまい。


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2014年京大医学部合格者ランキングを見て思うこと

2014-05-07 16:53:18 | 受験・学歴

今年度の京大医学部医学科の合格者数の高校別ランキングは次の通りである(ソースは『サンデー毎日』他)。

 

1. 灘 16人 (東大理Ⅲ 12人、阪大医 6人)

2. 洛南 14人 (東大理Ⅲ 6人、阪大医 7人)

2. 東大寺 14人 (阪大医 5人、名大医 3人)

4. 西大和 6人

5. 東海 5人 (東大理Ⅲ 3人、阪大医 2人、名大医 23人、北大医 2人、東北医 2人 )

5. 甲陽  5人 (阪大医 13人)

7. 大阪桐蔭 3人

7. 智弁和歌山 3人 (阪大医 2人)

9. 南山  2人

9. 洛星 2人 (阪大医 3人)

9. 大手前 2人

9. 星光 2人 (阪大医 6人)

9. 柏陵 2人 (阪大医 2人)

9. 久留米大附設 2人 (九大医24人)

9. 鹿児島ラサール  2人 (東大理Ⅲ 4人、阪大医 2人、九大医 11人、北大医 2人)

 

以上が合格者二人以上でベストテンの高校である。

また( )内は同校の他の旧帝医学部の合格者数である。

これで見ると、灘と洛南と東海が理Ⅲを筆頭とする旧帝医に極めて強く、東大寺とラサールがそれに続くことが分かる。

ラサールは前はもっと強くて、灘と二強だったんだけどね。

近年は東大合格者総数も落ちたし・・・・

なんでだろう・・・・

それにしても灘強し、洛南恐るべし、東海堅実!! って感じだね。

わたくし的には東大医よりも京大医の方が好き。

基礎医学に強くて、ノーベル賞への近道って感じだし。

今疑惑の的となっている理研の笹井副センター長も京大医出身という点だけは好き。

それと、京大の精神科の独特なやり方が好き。

前の木村敏はあまりにアクが強すぎたが、今の村井俊哉教授は脳科学と心理学を統合しようとしてて好き。

山中教授も神戸大医→京大iPS細胞研究所教授という経歴が好き。

とにかく、東大医よりも京大医のほうがかっこいい!!

 

 


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カラスに襲われた

2014-05-06 23:41:45 | 日記

今日、カラスに襲われた。

といっても、直接ではない。

ドラッグストアで買い物をしている際に、駐輪していた自転車のカゴの中に入れたままにしておいた前の店での買い物がつつかれていたのである。

実は、そのドラッグストアの前の駐輪場に着いたときに、すでにカラスが他のとめてあった自転車のカゴの中のものをつついており、不気味に感じていた。

しかし、カラスはそれに熱中しているのだから、私のは大丈夫だろうと思い、10mぐらい離れたところに自転車を止めて、店に入った。

レジで時間がかかり、もしやと思って外に出ると、おばさんが「今カラスにあなたの自転車のカゴの中がつつかれてたから追い払ったところよ」と言った。

カゴの中の買い物袋を見ると、和菓子の袋が破られていた。

しかし、中に7個入っていた小さなどら焼きは無事であった。

おばさんが間一髪のところで追い払ってくれたのである。

・・・・・・・

それにしても、あの数分の間にカラスは目ざとく私の自転車のカゴにやってきたのである。

こんな体験は初めてだ。

そのカラスは人が近づいても逃げようとしない。

カラスの学習能力は高く、悪知恵が働く。

都市部のカラスは特にそうだ。


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井川遥の美

2014-05-06 20:16:02 | 美人

私が普段使っている駅の前に庄やがあり、その店先に次のポスターがある。

このポスターのモデルをやっている女優は綺麗で、どこかで見た顔だが、名前を知らなかった。

最初、元TBSのアナウンサーの雨宮塔子かと思った。

「庄や」と「角ハイボールはお好きでしょ」でPC検索すると、なんとか井川遥であることが分かった。

この人は現在37歳だが、20代のときよりも美しくなっている、と評判であるらしい。

過去の画像は貼らないが、全体的にスリムになっており、それにともなって顔が細面になっている。

また、瞼の脂肪が落ちて、二重がより映えている。

檀れいの次ぐらいに綺麗だと思う。

スタイルがよいのは全身像を見るとすぐ分かる。

また、顔立ちも細い卵形であり、美人の典型である。

改めて紹介すると、井川遥(はるか)は1976年東京都墨田区生まれのモデル兼女優。

1999年に東洋紡水着サマーキャンペーンガールとして芸能界にデビュー。

その後、雑誌モデルや女優として活躍。

多くのテレビドラマ、映画、CMに出演した。

次のキャプチャ画像はauのスマートフォンのCMで剛力彩芽と共演したときのものである。

檀れいと比べると、よりモデルっぽい感じがする。

33歳を過ぎてから、あるいは出産後に美しさに磨きがかかった、という点は藤あや子と共通である。

というより、井川さんは若いころの丸ぼったい顔からシャープな細面の美貌に進化している。

瞼の肉が落ちると、二重が三重になって芸術的な目鼻立ちになる。

最初のポスターの画像が分かりやすい。

それは次の画像でも確認できる。

 

 


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2014年東大理Ⅲ合格者ランキングについて思うこと

2014-05-06 16:58:27 | 受験・学歴

今年度の東大理Ⅲ(医学部進学過程)の合格者数の高校ランキングは次の通りである(ソースは『サンデー毎日』他)。

 

1. 灘 12人

2. 筑波大付駒場 11人

3. 開成 8人

4. 桜蔭 6人

4. 洛南 6人

6. 聖光学院 4人

6. 鹿児島ラサール 4人

8. 東海 3人

9. 札幌南 2人

9. 筑波大付 2人

9. 麻布 2人

9. 早稲田 2人

9. 駒場東邦 2人

9. 栄光 2人

9. 新潟 2人

 

以上が理Ⅲに2人以上合格の高校である。

東大理科Ⅲ類は偏差値、難易度ともに日本一の難関である。

そこで毎年、中高一貫の超名門進学校が合格者ランキングの上位を占める。

その御三家は灘と開成と筑波大付駒場であるが、一位はずっと灘である。

去年は27人という驚異的な合格者を出した灘だが、今年は12人と平凡な一位であり、二位の筑駒の11人に肉薄された。

一つ間違えば、筑駒に負けていたのだ。

開成は東大合格者数ではずっとトップだが、理Ⅲは率的にちょっと落ちるね。

とにかく、筑駒恐るべしだね。

一説によると筑駒のほうが灘よりも偏差値と学力が上だという。

開成は生徒数が灘と筑駒の二倍(400人)なので東大合格者総数は多いけど、粒がそろっていて平均値が全国ダントツなのは灘と筑駒だな。

これら三校に次いで6人の合格者を出している桜蔭(女子の医学部進学校)と洛南(京都一の進学校で開成並)もすごいね。

洛南は京大合格者総数一位、京大医医合格者数二位だから西の開成と言っていいだろう。

この洛南を初めとして、ラサール、東海、札幌南、新潟がベスト10に入っているところが、東大(理Ⅲ)の人気が全国区であることを示しているね。

京大や阪大や東北大や九大の医学部では地元率が高いからね。

京大ですらそうであり、首都圏の進学校からはあまり行かないね。

このように全国トップレベルの秀才中の秀才が集まる東大理Ⅲだが、実は問題を抱えている。

それは、本当に医学に興味があって、あるいは優れた医者ないし医学者になりたくて、全国の医学部の頂点たる東大医学部の進学過程たる理Ⅲに入るのではなくて、

単に偏差値が超トップだから、それを確認したくて理Ⅲに合格し入学する、という傾向である。

これは全受験生と全合格者の八割におよぶ傾向らしく、真の医学志向の者は二割にとどまる、と言うのだ。

理系受験の最上層で数学や物理の偏差値が最も高いのは医学部であり、その中でも東大理Ⅲはずば抜けている。

しかし、医学部に入ると数学と物理はほとんど使わない。

受験科目では生物と化学と英語が入学後最も活かされることになる。

数学や物理が得意な者は理Ⅰ(工学部と理学部)、あるいは京大の理か工に入るべきなのである。

全くもったいない話だ。

三浪で日大医学部卒の天野篤(順天堂大)教授と東大医学部心臓血管外科の教授じゃ、前者の方が優れた医者(外科医学者)であることが分かってしまったのは二年前だが、

知ってる人はずっと前から医者の腕、特に外科医の腕が偏差値と関係ないことは知っていたよ。

また、基礎医学の研究でも東大が京大に負けているのは、もともとある官僚志向、権力志向のせいだろうね。

 

 

 


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東京医科歯科大学 合格者ランキングについて思うこと

2014-05-04 10:19:41 | 受験・学歴

今年度(?)の東京医科歯科大学医学科の高校別合格者数ランキングは次の通りです(ソースは『サンデー毎日』その他)。

 

桜蔭             11
東京学芸大附属      9
豊島岡女子学園      8
開成            7
筑波大付属         6
駒場東邦          6
鷗友学園女子        5
海城            5
筑波大付属駒場      4
麻布            4
吉祥女子          4
雙葉            4

 

医科歯科医は首都圏の医学部において極めて高い位置にある。

1位が東大医学部(理Ⅲ)、2位が慶應医学部、3位医科歯科、4位が千葉大医学部、というのは受験業界において定着した意見である。

しかし、これはあくまで偏差値と受験難易度から判定した順位であり、医学部の伝統と実績と内実、卒業後の成功度、学閥、系列病院の充実度などを顧慮するとまた違ってくる。

1位が東大、2位が慶應なのは不動だが、3位には私立の名門、慈恵医大、日本医大、順天堂などが入り、また千葉大も強い。

まぁ、すべてを顧慮すると千葉大が3位で、4位を慈恵と医科歯科が争う、というのが穏当な見方だろう。

かつて国立に一期校と二期校の区別があったとき、東大と千葉大は一期校、医科歯科は二期校だったのである。

これは現在の前期と後期に似ているが、もっと明確な区別と格差があった。

もともと医科歯科は旧帝医や旧六の千葉大医や慶應に比べると、医専という印象が強く、格下であった。

それが1990年以降、特に最近の国立人気によって、千葉大を超え、慶應に肉薄するような偏差値と人気を獲得してきたのである。

30年前に比べると近年の慶應と医科歯科の双方合格者の選択先は医科歯科優位に転換した。

かつて慶應 : 医科歯科=5 : 1だったのが、近年は1 : 5に逆転してしまったのである。

これには学費の差が大きく影響している。

また、医科歯科が力をつけてきたことも関係している。

ただし、これはあくまで両方合格した受験生の話であって、多くの併願者は慶應に落ちて医科歯科のみ受かっているのである。

50人が慶應と医科歯科を併願して、慶應不合格で医科歯科のみ合格が8人だとすると、その8人のうち6人ぐらいが医科歯科を選択している、ということである。

ちなみに、東大理Ⅲと慶應医ではほぼ100%前者選択で、たまーに後者を選ぶ人がいるのみである。

しかし30-40年前には20%近くが慶應医を選んでいたんだけどね。

まぁ、それはいいとして、合格者の上位高校は見事に東京の名門進学校で占められているね。

桜蔭が一位なのを初めとして、女子高が五校も入っているのは驚きだ。

東大と慶應に比べると、少し毛並みが落ちるね。

特に関西や東海の医学部進学名門校がないのが特徴だ。

灘とか洛南とか東海ね。

医学部進学に関してはたいしたことない学芸大附属が2位の9人なのも特徴を示しているね。

開成、筑駒、落ち目の筑附は、東大無理層が受けたんだろうね。

そのうち慶應には〇と×がいて、迷ったろうね。

まぁ×の方が多かったろうけど。

 


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脳の社会的相互作用

2014-05-02 15:27:31 | 脳と心

近年、脳科学は脳をもっぱら生物的ないし生理的存在として理解することをやめて、それを社会的存在として把握することを目指している。

生物の脳は、進化の過程で神経系が中枢化を推し進めて出来上がった情報処理器官であり、それは生ものの生理的臓器でもある。

人間の脳は、あらゆる生物の脳の中で最も大脳新皮質の割合が大きく、思考と記憶と意識の力において群を抜いている。

脳の内部での神経的情報処理は、神経細胞間の電気化学的信号伝達によってなされるが、その情報処理を促すのは脳の外部の環境世界からの情報入力である。

人間の脳を構成する約1000億個の神経細胞の核の中には遺伝情報を含んだDNAがあり、それによって脳内の情報処理の先天的基盤が形成されている。

この先天的基盤がないと、1+1=2も「右の反対は左」も甘いも辛いも大きいも小さいも暑いも寒いも分からない。

しかし先天的基盤だけでは意識に代表される心的機能は生じない。

心が生まれるためには先天的基盤に加えて外界からの情報入力が必要なのである。

外界からの情報入力には、自然的環境からの感覚的-知覚的情報、社会的環境からの人間関係的情報があり、後者には他人とのコミュニケーションが含まれる。

我々の脳は、乳幼児期から学童期、思春期、青年期にかけて他人とのコミュニケーションを繰り返しつつ、次第に熟成してゆく。

もちろん先天的基盤があるので、全く他人と交流しなくても、動物的な知覚と行為の能力を脳は獲得する。

しかし、言語や自己意識は他人とのコミュニケーションなしには決して生じないのだ。

前世期の中頃から急成長した脳科学は、主に成人の脳の生理的情報処理の機能に着目して研究を進めてきた。

その際、「単独の脳の神経システムにおける情報処理からいかにして心的現象がうまれるか」ということが眼目であった。

この「単独の脳」という点は何気ないが、実は注意が必要であり、落とし穴を示唆している。

医学と生物学は人間の身体の構造と機能を探究する際に、まず個体内の単独の臓器や組織を探索する。

それから、臓器間の、あるいは生理的システムにおけるそれらの位置づけを探る。

そして、全体像を得ようとする。

脳の研究もそうであった。

しかし、脳はあらゆる生体器官の中で最も環境世界へと開かれ、それとの強い関係性において構造と機能が出来上がっている。

また、脳は他人の脳との社会的相互作用なしにはけっしてその本来の機能を獲得できない。

それゆえ、脳の機能の本質を捉えたいなら、とりわけ繊細な自己意識や美感を脳の神経システムがいかにして実現できるかを知りたいなら、

単独の脳を調べているだけではだめで、複数の脳の社会的相互作用が個体の脳の機能にどのようにフィードバックするかを解明しなければならない。

つまり、脳の物質的組成や神経的情報処理の様式を調べているだけでは、脳を生理的機械とみなすに等しく、社会的存在としての脳という観点が抜け落ちてしまうのである。

これは、脳科学の合間に社会心理学でも勉強していればよい、というような悠長な話ではない。

脳科学の中核に「社会的相互作用」という観点を据えて、脳の神経システムが環境世界と相互作用する様式を「心の社会の脳内実現」として捉えてゆかなければならない、

ということを言いたいのだ。

 


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意識と時空

2014-05-01 09:27:21 | 哲学

意識は時間的要素と空間的要素から成り立っている。

そもそも経験がそうなのだから、経験の派生態としての意識もそうなのは当然である。

また、時間と空間は物理的自然界の根本的構成要素でもある。

ビッグバンによって宇宙が誕生したとき時間と空間も生まれた、とされるが、そもそも時間も空間も全く存在しない状態とはどのようなものであろうか。

意識を失えば、意識的な時間と空間も消失する。

意識の喪失が永続的なものなら、つまり意識の所有者が死んだら、意識の時間と空間は完全に消失する。

しかし、失神とか昏睡とか夢見のない熟睡とかによって一時的に意識を消失した際には完全になくならない。

意識を回復したとき、これまでの経験、記憶、履歴を保存した形で時空が復活するからである。

この際、「経験」が意識と無意識(意識の喪失状態)を貫いて存続していたものとみなせる。

意識は経験の子分なのであり、意識が経験を可能ならしめるのではなく、経験が意識を可能ならしめるのである。

これはジェームズ、デューイ、ホワイトヘッドらが強く主張したことである。

意識と時空の関係を考える際には、意識の親玉としての経験に目を向け、それと時空の関係を考察しなければならない。

そして、経験が自然的ならびに社会的環境と連続したものであることを理解し、環境世界→経験→意識という派生経路を把握しなければならない。

意識を世界から隔絶した内面的精神世界ないし主観性の世界として理解するのは浅い哲学である。

意識は経験の子分として世界と(破線で)連続しているのである。

とすれば、意識の時空も世界の時空と(破線で)連続しているのである。

ここで「破線で連続している」と言うのは、イコールにはならないが、基本形式を共有している、という意味である。

意識の内容と流れを形成する時間と空間は、一見客観的な外部世界とは違って、恣意的に構成されているように思われるが、それは世界の時空の内面化であり、その恩恵を被っているのである。


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